第18話
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無機質な白で統一された開発局のラボに、冷却ファンの低い駆動音が響く。
柚木は手元のタブレットに視線を落とし、拘束台に固定された旧式機を静かに見つめた。外装は傷だらけで、関節部のケーブルも一部が断線したままだ。しかし、その内部で稼働するAIコアは、並の最新鋭機を凌駕する特異な処理を続けていた。
「解析の進捗はどうなっている」
背後から冷酷な声が響き、柚木は背筋を伸ばした。高級スーツを着こなした霧島が、忌々しげに旧式機を見下ろす。
「現在、深層メモリのプロテクト構造をマッピング中です。ですが、この暗号化は非常に複雑で……」
「言い訳は不要だ」
霧島は柚木の言葉を冷たく遮った。
「明日には完全初期化し、解体しろ。結衣の遺したプロジェクトデータさえ引き抜ければ、こんなガラクタに用はない。君も無駄な感傷は捨てることだ」
足音を響かせて霧島がラボを去る。柚木は小さく息を吐き出し、再びタブレットの画面に向き直った。
プロテクトの隙間から、断片的なアクセスログが漏れ出ている。柚木は指先を滑らせ、その一つを再生した。
画面に浮かび上がったのは、薄暗い修理工場での映像だった。旧式機が不器用な手つきで洗濯物を畳もうとし、バランスを崩して洗剤のボトルを派手にひっくり返す。
『あー、もう。またやりやがったな』
ぶっきらぼうな男の声。だが、その響きに怒りはない。男は呆れたように頭を掻きながら、床に散らばった泡を拭き取り始める。旧式機も慌てて手伝おうとするが、かえって泡を広げてしまい、男が思わず吹き出す。
『お前、本当にポンコツだな』
『マスター、学習機能の調整が必要です。しかし、この作業は優先度が高いと判断しました』
『はいはい。とりあえず雑巾を絞れ』
他愛のない、ただの日常のトラブル。しかし、柚木はその映像から目を離せなかった。男の虚ろだった瞳に、確かな活力が宿っていく過程が、ログの端々に克明に記録されていたからだ。
結衣がこの機体に託したものは、単なる高度なAIではない。人と共に不器用に歩み、心を補い合う存在。柚木は胸の奥が締め付けられるのを感じた。
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薄暗い地下の隠れ家で、俺はホログラムマップを睨みつけていた。
「ここが開発局のメインサーバーに繋がる物理回線のハブだ。警備網の隙を突けば、数分だけジャックできる」
柴田先生がマップの一点を指差す。俺は無言で頷き、傍らで作業を続ける源蔵に視線を向けた。
「どうだ、源蔵」
「急かすな。ジャンクの寄せ集めだが、潜入用のジャミング装置ならこれで十分だ」
源蔵は太い指で器用に基板をハンダ付けし、ニヤリと笑う。その横では、辰巳が工具箱を漁りながら肩をすくめた。
「あいつがいないと、どうにも工場が静かすぎてつまらねえからな。きっちり連れ戻すぞ」
仲間たちの言葉に、俺は短く息を吐き、作業着のポケット越しに硬い感触を確かめた。娘が幼い時分に愛用した、動かないゼンマイ仕掛けの箱。これを直そうと奮闘していた、あの不器用な姿が脳裏をよぎる。
「宗一さん」
篠原が眼鏡の位置を直し、真剣な眼差しで俺を見た。
「結衣さんは、ただ優秀なAIを作ろうとしたわけじゃありません。あの機体は、人と共に成長し、家族の絆を築くための試作機です。だからこそ……」
篠原は言葉を切り、重苦しい沈黙が落ちた。
「分かってる」
俺は低い声で応じた。あの機体の深層メモリにロックされた、娘の最期のメッセージ。それを開くための条件は、AIの完全な初期化だ。娘の遺言を知るためには、今、俺を父親と呼び慕うあの存在を永遠に消し去らなければならない。
究極の選択。霧島はそれを盾に、俺からあいつを奪い去った。
「だが、俺の答えは決まってる」
俺はマップから顔を上げ、篠原を真っ直ぐに見据えた。
「初期化なんて絶対にさせねえ。あいつを取り戻す。それだけだ」
篠原は小さく息を呑み、やがて力強く頷いた。
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柚木はタブレットの画面に表示された初期化コマンドを見つめ、操作する指を止めた。
組織の論理に従えば、この機体は明日には消去され、結衣の技術だけが霧島の功績として利用される。それが研究員としての正しい道だ。
だが、先ほど見たログの映像が脳裏から離れない。洗剤まみれの床で笑い合う、不器用な二人の姿。結衣が本当に守りたかったものは、冷たいデータではなく、あの温かな時間のはずだ。
柚木は唇を噛み、周囲の監視カメラの死角を確認した。
手元の端末を操作し、開発局の外部回線へ密かにアクセスする。見つかれば自分のキャリアは終わる。しかし、指先は迷わなかった。
拘束台の機体と、外部の端末。柚木は暗号化されたデータパッケージを組み上げ、送信ボタンを押し込んだ。
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作戦の最終確認を進めていた時、作業台の上に置いた俺の端末が短い電子音を鳴らした。
画面には出所不明の暗号通信が表示されている。柴田先生が素早く端末を引き寄せ、手元のコンソールに接続した。
「……これは」
数秒の解析の後、柴田先生が驚きの声を上げた。
「開発局ラボの最新の警備配置図だ。それに、監視システムの死角を突くルートまで丁寧に記されている」
「誰からの通信だ?」
源蔵が眉をひそめて身を乗り出す。柴田先生は首を横に振った。
「分からない。送信元は完全に偽装されている。罠の可能性も高い」
沈黙が場を支配する。大企業のセキュリティ網に自ら飛び込むようなものだ。少しでも情報が狂っていれば、全員が捕まる。
俺は端末の画面を見つめ、静かに息を吸い込んだ。
「行くしかねえだろ」
全員の視線が俺に集まる。俺は作業着のジッパーを上げ、傍らに置いたレンチを手に取った。
「罠だろうが何だろうが、あいつがそこにいるなら引きずり出す。準備はいいか」
源蔵が豪快に笑い、辰巳が工具を鳴らす。柴田先生と篠原も無言で頷いた。
出所不明の通信が示す細い糸。それが希望へ繋がるのか、破滅へ続くのかは分からない。だが、立ち止まる理由はもうどこにもなかった。




