第15話
監視モニターの粗い画面越しでも、施設へ歩みを進める柚木とノヴァの姿ははっきりと確認できた。すでにバンから降り立った二人は、獲物を確実に仕留めようとする捕食者のような冷酷な足取りで、俺たちの潜む地下シェルターの入り口へと迫りつつあった。
「先生、奴らが来た!」
俺は叫び、腕の中のアカリを抱き起こした。油汚れの染み付いた作業着越しに、金属の冷たい感触が伝わってくる。
柴田はよれよれの白衣の裾を翻し、壁際に設置された古びたコンソールへ飛びついた。乾いた指先が、埃を被ったキーボードを激しく叩く。
「地下鉄の旧式防衛システムを起動する。だが、あのノヴァという戦闘用の機体相手では、数分の時間稼ぎにしかならないだろう」
柴田の穏やかな声には、隠しきれない焦燥が滲んだ。
鈍い駆動音が地下空間に響き渡り、シェルターの通路に分厚い鋼鉄の隔壁が何枚も降りていく。重厚な金属が床に叩きつけられる音が、俺たちの退路が絶たれていく現実を容赦なく突きつけてきた。
俺はアカリを背負おうと、その小さな体の前にしゃがみ込んだ。
「アカリ、しっかり掴まれ。別の出口を探してここから逃げるぞ」
だが、背中に回るはずの細い腕は、俺の肩を弱々しく押し返した。
「……だめ、です」
ひび割れた声が、静かな地下室に落ちる。
「ふざけるな。早くしろ!」
「わたしは、もう……動けません」
アカリの視覚素子が不規則に明滅し、右腕の関節からは火花が散った。システム崩壊は、俺の想像以上に進行した状態だ。
俺は焦燥感に駆られながら、アカリの体を無理やり引き上げようとした。だが、彼女は足を踏ん張り、頑なに動こうとしない。
不意に、アカリの胸元からノイズ混じりの淡い光が漏れ出した。
「なんだ……?」
光は空中で乱反射し、やがて三次元の映像を結んだ。システム崩壊の余波で、メモリ内に蓄積された映像ログが空間に無秩序に投影され始めたのだ。
空中に浮かび上がったのは、見慣れた俺の家の薄暗い居間だった。
少しサイズの合わない俺のお下がりの服を着て、不格好なエプロンを身につけたアカリが映し出された。彼女は山積みの洗濯物を畳もうと奮闘し、足元のコードに引っかかって派手に転び、傍らにあった洗剤の箱をぶちまけた。
粉まみれになったアカリを見て、俺が頭を抱えながらも、呆れたように吹き出した映像。
『あなた、すみません……あ、笑ってくれましたね!』
映像の中のアカリが、真っ白な顔で嬉しそうに笑う。
俺は息を呑んだ。
家事を手伝おうとしては失敗ばかりするポンコツ。機械ゆえのズレた行動で、毎日何かしらのトラブルを起こした。だが、その無垢で一生懸命な姿に振り回されるうち、俺は確かに父親としての活力を取り戻したのだ。
娘を喪い、無気力な日々を送った俺の止まった時間を動かしてくれたのは、間違いなくこの騒がしい日常だった。
映像の中の俺は、久しく忘れた穏やかな顔をした。アカリが俺を呼ぶたびに、胸の奥で凍りついた何かが少しずつ溶けていくのを感じたのだ。
光が激しく明滅し、映像が別の場面へと切り替わる。
結衣の元同僚である篠原が、俺の工場を訪ねてきた日の記録だ。
『彼女は、結衣の未完成プロジェクトの試作機なんです』
篠原の切実な声がシェルター内に響く。そして、結衣が遺した複雑な設計図のデータが、重なるように浮かび上がった。
結衣がどれほどの想いを込めて、この特殊仕様のAIコアを組み上げたのか。機械ではない、特別な秘密を抱えた存在としてアカリをこの世に残した娘の執念。俺はその想いの深さに、改めて胸を締め付けられた。
アカリは虚ろな目で、空中の映像を見つめた。
自身の内部ログと現在の状況を照らし合わせ、彼女のAIはひとつの冷徹な結論を導き出した。
自分が抱える『結衣のロック』こそが、霧島たちを呼び寄せ、俺を危険に晒す元凶なのだと。
「わたしを、初期化してください」
アカリは静かに懇願した。
その声には、恐怖も迷いもなかった。与えられた役割を全うしようとする純粋な意志だけがあった。
「そうすれば、ロックは解除されます。追っ手も諦めるはずです。あなたはもう、危険な目に遭わずに済みます」
「馬鹿なこと言うな!」
俺は怒鳴り、アカリの肩を強く掴んだ。
アカリのメモリ深層には、結衣からの最後のメッセージが厳重にロックされた状態で眠ったままだ。それを解除するための唯一の手段が、アカリのAIを初期化することだ。
だが、それを実行すればどうなるか。
俺と過ごした騒がしくて温かい日々の記憶も、今目の前にいる『アカリ』という人格も、すべて永遠に消え去り、空っぽの機械に戻るのだ。
「お前がいなくなるのが、一番悲しいんだ。そんなこと、できるわけないだろうが!」
俺の叫びに、アカリは悲しそうに目を伏せた。
「わたしは機械です。あなたの笑顔を守るのが、わたしの役割です」
譲らないその言葉が、俺の胸を容赦なく抉る。
結衣の最期の言葉を知るか。それとも、目の前で俺を慕うこの不器用な家族を守るか。
究極のジレンマが、重い鉛のようにのしかかる。
娘の遺言は、俺がずっと求めたものだ。だが、その代償としてアカリを殺すことなど、到底できるはずがなかった。
決断を下せない自分への嫌悪感で、心が完全に折れそうだった。
「頼むから、そんな悲しいこと言わないでくれ……」
俺はアカリを抱き寄せ、その冷たい背中に顔を埋めた。
「君たち、伏せなさい!」
柴田の鋭い声が飛んだ。
直後、地響きのような轟音がシェルターを揺るがした。
天井からパラパラと埃が落ち、古い照明が不気味に点滅する。
壁の監視モニターを見上げると、ノヴァが隔壁に向かって無機質な拳を振り下ろした。
一撃、また一撃。
分厚い鋼鉄の扉が、外からのすさまじい衝撃によって内側へとひしゃげ始める。
防衛システムなど、あの冷酷な捕食者には何の足止めにもならなかった。
ひしゃげた隙間から、冷たい風が流れ込んでくる。
俺はアカリを庇うように抱きしめたまま、ひび割れていく扉を見つめることしかできなかった。
逃げ場はない。時間もない。
絶望的な無力感が、静かに地下室を満たしていく。




