第九話 敵国の矢
ミルを加えた四人が次に受けたのは、国境砦への物資護衛だった。
戦争に参加する依頼ではない。
受付の説明を、レインは三度確認した。
「砦へ荷を届けたら帰還。戦闘が起きても、自衛以上の行動は求められない。それで間違いないですね」
「間違いありません」
その約束は、砦まで半日の丘で破られた。
矢が御者台へ突き刺さった。
「伏せろ!」
レインが叫ぶ。
続く矢は車輪の軸へ当たり、荷馬車が傾いた。偶然ではない。走る馬車の急所を正確に射抜いている。
丘の上に、白銀の鎧を着た騎兵が並んでいた。
先頭の女騎士が弓を下ろす。
白に近い銀髪。青い外套。距離があっても、冷たい目だけはよく見えた。
「ラグナ側の輸送隊へ告げる」
女騎士の声が丘を下る。
「武器を捨て、荷を置いて去れ。命までは取らない」
「どうする?」
フィオが荷車の陰で聞いた。
「荷物は食料と薬だ。渡したら砦の負傷者が死ぬ」
「戦争には参加しない約束だったよ」
ミルは短槌を握っている。
「向こうも同じこと言ってそう」
クロエが丘を覗いた。
レインは立ち上がった。
「俺は冒険者レイン・クロフォード! この荷は病人の薬だ。渡せない!」
女騎士が新しい矢をつがえる。
「ならば、車輪を二つとも奪う」
「命は取らないんじゃなかったのか?」
「歩いて帰れ」
弦が鳴った。
レインは《連装高速火弾》を放つ。分かれた火弾が矢を空中で砕き、丘の斜面へ着弾した。
騎兵たちがどよめく。
女騎士だけは動かなかった。
「興味深い」
「こっちは全然面白くない」
「私はアルティシア・ルミナリエ・アローガイド。セレディア王国弓騎士団、第三隊長だ」
「名前を聞いても荷物は渡さないぞ」
「墓碑に刻む名を教えただけだ」
「命は取らない話はどこへ行った?」
「気が変わった」
アルティシアの矢が放たれる。
一本目は荷車の左。
二本目は右。
三本目だけが、空中で数センチ軌道を変えた。
火弾の隙間を縫い、レインの頬を切る。
「曲がった?」
クロエが目を見開く。
「《微誘導》だ」
アルティシアが次の矢をつがえた。
「数センチだけ、矢の軌道を変えられる。世間では役立たずと呼ばれる力だ」
「十分役に立ってるじゃないか」
「そう言ったのは、お前が初めてだ」
アルティシアの目がわずかに揺れた。
その時、空が暗くなった。
雲ではない。
翼だった。
谷の向こうから、黒い飛竜が群れをなして上昇してくる。十、二十ではない。空を埋めるほどの数だ。
谷は東西に細長く、南側をレインたちの街道、北側をアルティシアの丘が挟んでいた。
飛竜は谷底から上がってくる。
荷馬車を捨てて西へ逃げれば砦まで半日。東へ戻れば、開けた街道で空から狙われる。
「森は?」
クロエが南斜面を指す。
「木が低すぎる。飛竜の火で全部燃える」
ミルは傾いた荷馬車の車軸を調べた。
「直すなら二十分。車輪を一つ捨てて橇にするなら五分」
「五分を作る」
レインが言う。
フィオは荷の覆いを外し、薬箱を小分けにした。
「一台に積んだままだから狙われる。四人で持てる分へ分けるわ」
「清掃員の仕事?」
「収集車が壊れた時と同じ。荷物を残さず運ぶ」
クロエが軽い箱を二つ背負い、フィオは布袋へ薬瓶を詰める。ミルは車軸を槌で外した。
レインは谷底に煙突の煙を見つけた。戦争で人が減っても、まだ村人がいる。
「あの村も守る」
アルティシアも気づき、騎兵へ村へ下りる道を塞がせた。
敵同士だった二つの隊が、言葉を交わさず同じ配置を選ぶ。
レインは街道側。アルティシアは丘側。
飛竜を谷の中央へ集め、村と薬から引き離す。
その狭い空なら、レインの火弾とアルティシアの矢を同じ獲物へ集中できる。
先頭の飛竜には、骨で作られた鞍が載っていた。
黒衣の魔族が騎乗している。
「人間どもよ」
拡声魔法に乗った声が響く。
「争いを続けろ。勝った側から我々が喰う」
飛竜が火を吐いた。
敵味方の区別なく、丘全体が炎に包まれる。
レインとアルティシアは、同時に武器を空へ向けた。
飛竜が現れる直前まで、アルティシアにはレインたちを見逃す理由がなかった。
彼女の国、セレディアでは薬が不足していた。
今年の戦争で国境の薬草畑が焼け、傷病兵だけでなく町の子供まで熱病で死んでいる。目の前の荷車に積まれた薬を奪えば、少なくとも百人は助かる。
荷の届け先が敵国の砦でも、迷う余地はないはずだった。
「隊長」
副官が馬を寄せる。
「一気に囲みますか」
「待て。あの冒険者の魔法を見てからだ」
「火球なら、魔術師を先に射れば」
「普通の火球ではない」
一本目の矢を放った時、レインの火は複数へ割れた。
アルティシアは反射的に《微誘導》を使い、矢を火の隙間へ滑らせた。
数センチ。
子供の頃から、何万回も繰り返した数センチだった。
授技能式の日、父は神官へ聞いた。
「娘は弓騎士になれますか」
神官は困った顔で答えた。
「軌道を数センチ変えるだけでは、矢を的へ当てる助けにもならないでしょう」
狙いが外れている矢を数センチ曲げても、やはり外れる。
なら、最初から的の数センチ横へ当てられる腕を身につければいい。
アルティシアは毎日、中心を狙わず、中心の横を射た。
風が吹いても、馬が走っても、狙った数センチ横へ届くまで。
最後にスキルで曲げれば、矢は中心へ入る。
役立たない力を補うために鍛えた技術が、いつしか彼女を第三隊長まで押し上げた。
それでも軍の記録には、《微誘導》ではなく弓術だけで昇進したと書かれた。
弱いスキルは、成功の理由にしてもらえない。
レインは火球を外した。
だが彼は、自分の弱さを隠さなかった。
風、速さ、分割。すべて仲間の力だと、丘の下から平然と叫ぶ。
「隊長?」
副官がもう一度呼ぶ。
「矢をつがえろ」
アルティシアはレインへ狙いを定めた。
「殺すのですか」
「頬を狙う」
「なぜ?」
「あの男が数センチをどう見るか、確かめる」
放った矢を、《微誘導》で火の隙間へ通す。
矢はレインの頬を切った。
彼は怒るより先に、軌道が曲がったことへ気づいた。
「十分役に立ってるじゃないか」
その一言を聞いた時、アルティシアは次の矢を射る指が少しだけ遅れた。
飛竜の影が、二人の間へ落ちた。




