第十話 数センチ先の共闘
飛竜の炎が丘を薙いだ。
「荷車を盾にしろ!」
レインは御者とフィオを引き、横倒しになった荷台の陰へ転がり込んだ。乾いた板が炎を受け、たちまち焦げる。
「薬が燃える!」
フィオが荷台へ手を伸ばす。
「今出たらお前も燃える!」
「薬がなければ砦の人が死ぬ!」
丘の上から矢の雨が放たれた。
アルティシアの騎兵隊だ。飛竜へ向けた一斉射が、炎を吐こうと降下した三匹を牽制する。
「敵国に助けられたね」
ミルが言った。
「向こうも自分たちを守っただけよ」
クロエは車輪の陰から空を睨む。
飛竜は速い。《連装高速火弾》を分裂させても、翼を畳んで火線の間を抜けてしまう。
撃つ前に進路を読めば、騎手が手綱で変える。数が増えた分、一発ごとの威力も落ちていた。
「右から来る!」
クロエの声に合わせ、レインは火弾を放った。
十六発に分かれた火が飛竜を囲む。
騎手が手綱を引いた。飛竜は急上昇し、二発だけを翼で受ける。鱗が焦げたが、落ちない。
「当たってるのに!」
「急所へ集めないと足りない!」
その時、一本の矢が飛竜の進路へ入った。
アルティシアが放った矢だ。
矢は当たらない。飛竜の顔の前を通り過ぎるだけだった。それでも飛竜は反射的に首を逸らし、レインの火弾が待つ方向へ動いた。
三発が同じ翼の付け根へ刺さる。
飛竜が傾き、騎手ごと斜面へ落ちた。
「誘導したのか」
レインが呟く。
アルティシアは次の矢をつがえ、丘の下へ叫んだ。
「冒険者! お前の火は狙いが甘い!」
「そっちの矢は威力が足りない!」
「事実を返すな!」
二本目の矢が飛ぶ。
今度は飛竜の右目すれすれを通り、顔を左へ向けさせた。
「そこだ!」
火弾が開いた口へ集中する。
爆発。二匹目が落ちる。
アルティシアは馬を駆り、丘を下ってきた。レインたちの荷車の横で止まる。
「一時休戦だ」
「こっちから頼むつもりだった」
「勘違いするな。魔族を退けた後、荷はもらう」
「その時はまた撃ち合いだ」
「望むところだ」
空には、まだ四十匹近い飛竜がいる。
騎手の一人だけが攻撃に加わらず、はるか上空から戦場を見下ろしていた。顔の上半分を、七つの水晶眼がついた仮面で隠している。
「あいつ、指揮官か?」
レインが聞く。
「違う」
アルティシアの声が硬くなった。
「魔王軍参謀府の紋章だ。戦いを見ている」
上空の男は火弾を避ける飛竜を見ていた。次にアルティシアの矢を。そして最後に、レインと三人の仲間へ顔を向ける。
観察されている。
そう気づいた時には、飛竜の群れが再び降下を始めていた。
「数が多すぎる」
ミルが短槌を構える。
「一発ずつ誘導していたら間に合わない」
アルティシアが言う。
「なら、全部の火にお前の誘導を乗せる」
レインは彼女へ手を差し出した。
「私のスキルを利用するつもりか?」
「一緒に使うんだ」
「言い方を変えただけだ」
「嫌なら断れ。でも、後ろにいる部下を見ろ」
騎兵たちは円陣を組んでいた。すでに何人かが火傷を負い、弓を引く腕も疲れている。
アルティシアは差し出された手を見た。
「我が国では、《微誘導》は騎士の誇りを汚す力だと言われた」
「数センチで俺の頬を切ったくせに?」
「嫌味か」
「褒めてる」
飛竜の羽音が迫る。
アルティシアはレインの手を取らなかった。
代わりに、その指先へ自分の矢を触れさせた。
「私の矢についてこい」
胸の奥で四つ目の音がした。
【共鳴を確認】
【《連装高速火弾》と《微誘導》を連結します】
【スキル連結成功】
【《追尾火弾群》を獲得】
アルティシアが空へ矢を放つ。
「《微誘導》!」
矢が数センチだけ曲がった。
その小さな変化を道標にして、百を超える火弾が空へ昇る。
飛竜たちは散開した。
火弾も散った。
右へ逃げれば右へ。上昇すれば上へ。翼を畳んで落ちれば、地面すれすれまで追いすがる。
「追ってる……」
クロエが空を見上げた。
一匹、二匹と飛竜が落ちる。
逃げても火は消えない。旋回し、別方向から急所へ突き刺さる。
丘の空が赤い尾を引く火球で埋まった。
魔王軍の騎手が撤退の角笛を鳴らす。だが遅かった。
最後まで上空にいた仮面の男だけが、黒い霧をまとって火弾を消した。
七つの水晶眼が順番に光る。
「四人ではない」
拡声魔法が、男の独り言を丘へ運んだ。
「完成した力を核に、次を足しているのか」
男はレインを見た。
「名を覚えておこう。私はゼノグラード・アルカナ・セブンアイ」
「こっちは名乗った覚えがないぞ」
「知る方法はいくらでもある」
黒い霧が飛竜を包む。
ゼノグラードは最後にアルティシアを見て、空の向こうへ消えた。
戦いが終わると、アルティシアは弓を下ろした。
「休戦はここまでだ」
レインも指を向ける。
両軍が身構えた。
長い沈黙のあと、アルティシアは矢を筒へ戻した。
「今日のところは、魔族に奪われた荷を取り返す余力がない」
「まだ奪われてない」
「言葉の綾だ。行け」
「借りにしておく」
「敵に貸しなど作るな」
「じゃあ、また会った時に返す」
アルティシアは答えず、馬首を返した。
だが丘を上りきる直前、一度だけ振り返った。
「レイン・クロフォード。次に会う時まで、その力を失うな」
「そっちもな」
国境砦へ薬を届けた夜、停戦の使者が到着した。
期間は三十日。
条件の一つには、両国共同で飛竜の巣を討つこと。
使者の署名には、アルティシア・ルミナリエ・アローガイドの名があった。
停戦案は簡単には通らなかった。
アルティシアが本陣へ戻ると、上官は机を叩いた。
「敵の輸送隊を見逃し、さらに共同作戦だと?」
「飛竜の巣は国境の上にあります。片側だけが討てば、残りは反対側へ逃げる」
「敵国へ恩を売ったつもりか」
「両国の民を守るためです」
「お前の任務は自国民を守ることだ!」
アルティシアは薬を奪えなかった。
その事実だけを見れば、セレディアの病人を見捨てたことになる。
「ラグナ側へ条件を出します。飛竜討伐への参加と引き換えに、薬の三割を譲らせる」
「応じる保証は?」
「応じさせます」
レインは国境砦でその条件を聞き、荷の責任者へ頭を下げた。
「三割を渡してください」
「敵兵を治す薬だぞ」
「熱病の子供もいる」
「砦の負傷者が足りなくなったら?」
「飛竜の巣を早く潰せば、次の負傷者を減らせます」
責任者は長く黙った。
最後に薬箱を三つ、荷車から下ろした。
「敵へ渡した記録にはしない。飛竜に奪われたことにする」
「ありがとうございます」
「礼は、次の負傷者を出さずに返せ」
夜、国境の中間地点で薬が引き渡された。
アルティシアは箱の封を確認し、レインへ言った。
「借りは作らないと言ったはずだ」
「これは取引だ」
「お前が交渉しなければ成立しなかった」
「なら、次に俺が困ったら助けてくれ」
「敵国の人間を?」
「今日、一緒に戦った」
アルティシアは答えず、薬箱を馬へ載せた。
別れ際に、予備の矢を一本レインへ投げる。
「何だ?」
「合図だ。その矢を国境の塔へ持ってくれば、私へ話が届く」
「助けてくれるのか?」
「話を聞くだけだ」
後の停戦交渉で、その一本の矢は何度も両国の間を行き来した。




