第三十話 全員の火
「神殿は私ごと消すつもりです」
ネーミが光の輪を見上げる。
「逃げ道は?」
「ありません。《浄化指定》された場所は、五分後に存在を焼かれます」
「神が直接?」
「神殿が借りた権能です」
住民が通りへ出て、空を見上げている。まだ危険に気づいていない。
「避難させても間に合わない」
アルティシアが窓から距離を測る。
「町の外まで半刻はかかる」
「光の輪を壊す」
レインが《属性反転砲》を撃つ。
火球は境界を越え、輪へ当たった。浄化の光を破壊の闇へ反転させようとする。
だが火は輪の一部を曇らせただけで消えた。
「範囲が広すぎる」
「一人で町一つを覆う力へ対抗するのは無理です」
ネーミが言う。
「私を輪の外へ投げてください。対象が私だけなら、町は助かる可能性があります」
「可能性?」
「神殿の判断次第です」
「なら駄目だ」
「他に方法はありません」
窓から七色の光が差し込んだ。
小さな妖精が、卓上の果物籠へ座っている。
人の手のひらほどの体。虹色の髪と透明な翅。林檎を両腕で抱え、勝手にかじっていた。
「あるよ」
妖精が言った。
「誰?」
フィオが林檎を取り返す。
「シェアリーナ・カラービジョン・ユニゾニア。シェアでいいよ」
「どうやって入った?」
「窓」
「閉まってたけど」
「隙間」
シェアは林檎を取り返そうとフィオの指へしがみついた。
「神殿の光は、白に見えるけど十九色が重なってる。一本ずつなら弱い」
「色が見えるのか?」
「見える。見せるだけなら、みんなにもできる」
シェアが目を閉じる。
「《色共有》」
一瞬、レインの視界が変わった。
白い輪の中に、無数の色が見える。赤、青、黄。名前を知らない色まで、細い糸のように絡み合っていた。
すぐに元へ戻る。
「今のは?」
「私が見た色を一瞬だけ、相手にも見せる。それだけ」
「十分だ」
レインはネーミを見る。
「あの一本ずつへ名前をつけられるか?」
「見えれば」
「駄目です」
ネーミは首を振る。
「私はその力を使わない」
「町が消える」
「使えば、もっと多くを消せる力になる」
「だから一人で持たせない」
レインは仲間たちを見る。
「俺の《連結》は、俺が最後に撃つ。それがずっと引っかかってた。力をくれた全員がいるのに、俺だけが選んで使う」
「今さら気づいたの?」
ベルが言った。
「遅い」
「でも、今なら変えられる。シェアの共有を繋げれば、完成した能力を全員へ分けられるかもしれない」
「共有できるのは色だけだよ」
シェアが言う。
「色は光だ。魔力にも色があるなら、力も共有できる」
「たぶんね」
「軽いな」
「妖精は重い話が苦手」
光の輪が狭まる。
残り三分。
ネーミは窓の外を見た。通りで母親が子供を抱いている。
「私が力を使い、あなたが間違えたら?」
「全員で止める」
「止められなければ?」
「その時は、俺だけじゃなく全員で責任を負う」
「きれいごとです」
「一人で死のうとするよりはましだ」
ネーミは目を閉じた。
「一度だけです」
胸の奥で十五個目の音が鳴る。
【共鳴を確認】
【《属性反転砲》と《名前表示》を連結します】
【スキル連結成功】
【《概念命名》を獲得】
空の光へ、文字が重なる。
ネーミが一本の赤い糸を指す。
「《脆い》」
赤い光に亀裂が入った。
だが一本だけ。残る色は町を覆うほどある。
「シェア!」
「はいはい」
妖精がレインの頭へ飛び乗った。
「みんなに見せればいいんだね」
「見るだけじゃない。俺たちの力も、互いに見せる」
フィオの風。クロエの速さ。ミルの分割。
十四の連結が、色として視界へ浮かぶ。
シェアは初めて真剣な顔をした。
「きれい」
「貸してくれるか?」
「返してくれる?」
「何を?」
「色。一人で見るの、飽きてたから」
「全員で見る」
「じゃあ、貸す」
胸の奥で十六個目の音が鳴った。
【共鳴を確認】
【《概念命名》と《色共有》を連結します】
【スキル連結成功】
【《能力共有》を獲得】
連結核から十六本の光が伸びる。
そのうち一本は町の外へ伸び、勇者一行の陣にいるリヴァへ届いた。
これまでの連結は、離れるほど弱くなった。《能力共有》は魔力の色を道標にし、距離の外へ道を延ばしている。
ただし、本人が受け入れなければ道は開かない。遠くへ伸びるほど、渡せる力も小さくなる。
フィオの手に小さな火が灯った。
「私が、火を?」
クロエの周囲で時間が遅くなる。
ミルの短槌が境界を越える光をまとう。
全員が、同じ完成能力を別々の形で受け取っていた。
「一本ずつ壊す!」
レインが叫ぶ。
フィオの火が風に乗り、赤い糸を焼く。
クロエは停止した時間の中を走り、青い糸へ触れる。
ミルが黄色い糸を二つに割り、アルティシアの矢が分かれた端を追う。
セレスは紫の光を圧縮し、ベルの歌がひびを増幅する。
ヴァレンが白い糸を貫き、エスメが一センチずつ輪の外へずらす。
アクアが攻撃を複製し、ノクティリアが崩壊の瞬間を止める。
メモリアーナは壊した色を記録し、フェリが外れる順序を減らす。
リネアリスは戻ってきたばかりの測量杖で、輪の内と外に新しい境界を引いた。
リヴァも勇者一行の陣から力を送り、浄化を保護へ反転させる。
ネーミが最後の糸へ名をつけた。
「《消える》」
空を覆っていた輪が、細かな光となって砕けた。
町へ七色の雨が降る。
誰一人、傷つかなかった。
ただし、《能力共有》は全員へ同じ強さを与えなかった。
フィオが火を使うと風に乗りやすいが、貫通力は低い。
ヴァレンの火は剣の形になり、近距離でしか保てない。
エスメは火球を一センチ動かせても、連続転移すると目眩を起こした。
アクアが複製できるのは、自分の魔力で作った一滴ぶんだけ。
全員がレインと同じ能力を得たのではない。
共有された力が、元の持ち主のスキルを通じて別の形へ現れる。
「私は掃除の風に火がついたみたい」
フィオが箒を振ると、床の埃だけが赤く光って集まった。
「火事にならない?」
「熱くない」
「戦闘には?」
「目くらましくらい」
「また弱くなったね」
クロエが笑う。
「でも、掃除には前より便利」
フィオは満足そうだった。
共有とは、同じ者になることではない。
同じ力を渡されても、使い方は一人ずつ違う。
オルディナスが全員を同じ規格へ揃えようとした時、《能力共有》が抵抗できた理由もそこにあった。
共有されたものは、持ち主の中で必ず違う形になる。
レインは床へ座り込んだ。
「今までで一番疲れた」
「ほとんど見てただけじゃない」
フィオが言う。
「全員へ力を渡してたんだ」
「私たち、意外と強いわね」
「最初から言ってる」
「紙一枚と火打石以下が?」
「それも最初からだ」
笑い声の中で、ネーミだけが砕けた光を見ていた。
「神殿は、また来ます」
「その時も全員で止める」
「私は仲間になるとは言っていません」
「じゃあ、監視か?」
「その言い訳はもう三人使っています」
エスメが指を折った。
「誰が最初だったかしら」
「私よ」
ベルが答える。
ネーミは少し考えた。
「では、再暗殺の機会を待ちます」
「それでいいのか?」
「私が決めます」
彼女は初めて、自分で選んだ名前を名乗った。
「ネーミリア。それが本名です」
その夜、ネーミリアは宿帳の前で一時間迷った。
名を書く欄は一つ。
神殿から与えられた長い名を書くか。幼い頃の名を思い出せないまま、空欄にするか。
「決まるまで待つよ」
アリアは後ろの客を別の台帳へ案内した。
「迷惑では?」
「名前を急かす宿屋はないから」
「神殿名を書けば追跡されます」
「偽名でもいい」
「嘘になります」
「宿帳は神様へ出す書類じゃない。明日の朝、誰を起こせばいいか分かれば十分」
ネーミリアは羽根ペンを取った。
ネーミ。
仲間が呼ぶ短い名だけを書く。
「これなら、私です」
アリアは何も訂正せず、部屋の鍵を渡した。
翌朝、ネーミリアは宿帳の字を見直した。
消えていない。
神殿の許可がなくても、彼女の名は世界へ残っていた。
それから暗殺道具にも、新しい名前をつけた。
毒針は《眠らせる》。爆符は《道を開ける》。短剣は《守る》。
名前を変えただけで性質が完全に変わるわけではない。
使う者の選択は変わった。
彼女は暗殺者の技術を捨てず、誰を守るために使うかを決め直した。
その夜、メモリアーナが古文書の新たな一節を復元した。
同じ夜、《概念命名》の試験も行われた。
ネーミリアは林檎へ《甘い》と名をつける。
フィオが一口かじった。
「少し甘い……気がする」
別の林檎へ《鉄》とつけても、金属にはならない。表面がわずかに硬くなっただけだった。
石へ《飛ぶ》と名づける。
石は一度だけ跳ねた。
「名前の解釈が曖昧です」
ネーミリアが記録する。
「《弱い》とつければ、力、硬さ、意志のどれが弱くなるか分からない」
「敵へ使うのは危険だな」
「味方へ使うほうが危険です」
《速い》が心拍へ作用すれば命に関わる。《軽い》が体重ではなく命の重さへ作用するかもしれない。
概念を扱えるようになったからこそ、言葉を慎重に選ぶ必要がある。
ベルとメモリアーナが命名の文案を確認し、リネアリスが対象の境界を定め、セレスが効果量を一パーセントへ圧縮する。
一つの名前を安全に使うため、何人もの判断が必要だった。
「神は一人で世界へ名前をつけた」
ネーミリアが言う。
「間違いを止める者がいなかったのでしょう」
レインは《万象連結》へ至る前から、その言葉を覚えていた。
強い能力ほど、一人で使わない。
《能力共有》は火力を配るためだけではなく、決定権を分けるために必要だった。
十九に裂かれた力のうち、十七番目には「創造」の印。
最後の十八番目には、「接続」の印が刻まれていた。
シェアは妖精の森で、嘘つきと呼ばれていた。
彼女には、人間やエルフに見えない色が見える。
病気の木は根元が紫に濁り、怒った動物は尾の周りが赤く揺れる。雨の前には空へ薄い銀色の筋が走った。
「あそこに色がある」
幼いシェアが指しても、他の妖精には見えない。
雨を予告して当たれば偶然だと言われ、病気の木を避ければ臆病だと笑われた。
授かった《色共有》で、一瞬だけ他人にも見せられるようになった。
だが共有された相手は、知らない色が頭へ入る感覚を怖がった。
「気持ち悪い」
そう言われてから、シェアは力を使わなくなった。
一人で森を出て、誰にも見えない色を見ながら旅をした。
神殿の浄化光が町を覆った時、十九色が見えた。
誰かへ伝えなければ町が消える。それでも宿の窓へ入るまで、何度も引き返した。
また気持ち悪いと言われるかもしれない。
フィオに林檎を取られた時、少し安心した。能力ではなく、食べ物を盗んだ妖精として怒られたから。
「色。一人で見るの、飽きてたから」
レインへ言ったのは強がりではない。本当に、誰かと同じものを見たかった。
《能力共有》が完成し、十六人の魔力の色が全員へ見えた時、シェアは泣いていた。
体が小さいので、誰もすぐには気づかなかった。
ネーミリアだけが掌を差し出す。
シェアはそこへ降りた。
「気持ち悪くない?」
「怖いです」
ネーミリアは正直に答えた。
「でも、見えなければ町が消えていました」
「じゃあ、また見せてもいい?」
「先に言ってください」
「うん」
二人の間に生まれたのは、恋の競争ではない。
恐れていた力を互いに見届ける、小さな友情だった。




