第二十九話 名前のない暗殺者
魔王討伐の祝宴で、レインは三度殺されかけた。
祝宴へ参加したのは、旅を続けた全員ではなかった。
アルティシアは捕虜交換の交渉中。リネアリスは共同区域へ戻り、リヴァは負傷した勇者のそばにいた。
アクアも村の復旧へ一度帰った。
「全員が揃わない宴会って、寂しくない?」
フィオが料理を取りながら聞く。
「用事を捨てて集まるほうが変だろ」
レインは答えた。
「でも、乾杯くらい一緒にしたかった」
ベルがリュートの弦を鳴らす。
「なら音を繋ぐ」
シェアが各地で見た色を共有し、ベルが同じ時刻を知らせる短い曲を演奏した。
国境でアルティシアが杯を上げる。
難民野営地でリネアリスが水筒を掲げる。
勇者の病室でリヴァが赤い薬を飲む。
アクアは村の井戸水を一滴増やした。
同じ場所にはいない。
それでも同じ曲が終わるまで、それぞれが飲み物を口にした。
「これなら全員ね」
フィオは満足し、二皿目を取った。
「乾杯は一回だぞ」
「食事は別」
この宴会で、レインは一人ずつの不在を自然に受け入れ始めた。
仲間を自分の周囲へ置き続けることが、繋がりではない。
その直後に暗殺が始まったため、余韻は長く続かなかった。
一度目は毒入りの杯。セレスが匂いで気づいた。
二度目は天井から落ちた短剣。クロエが給仕の手元を見ていた。
三度目は寝台の下に仕掛けられた爆符。フィオが掃除中に見つけた。
「掃除って、暗殺対策になるのね」
ベルが感心する。
「汚れたままなら、爆符も隠れてたわ」
フィオは胸を張った。
「私がいなかったら三回死んでる」
「一回目と二回目は?」
「仲間の功績は私の功績」
暗殺者は、四度目に正面から来た。
夜の宿の食堂。扉を開け、給仕服の女が入ってくる。
灰色の髪を片側だけ長く伸ばし、左目を隠していた。
「レイン・クロフォード」
「注文なら厨房へ」
「あなたを殺しに来ました」
「正直だな」
「三度失敗したので、隠す意味がありません」
女は短剣を抜いた。
ヴァレンも剣へ手をかける。
「一対一を希望します」
「断る」
レインが即答した。
「なぜです」
「仲間がいるのに一人で戦う理由がない」
「卑怯とは思わないのですか」
「暗殺者が言う?」
クロエの指摘に、女は少し考えた。
「確かに」
短剣を下ろす。
「私はネーミリア・タグライト・エクリプシオン。ネーミと呼ばれています」
「誰の命令だ?」
「答えられません」
「魔王軍?」
「違います」
ベルがネーミの顔を見る。
「嘘ではなさそう」
「なら、神殿か」
メモリアーナが言った。
ネーミの左目がわずかに動いた。
「オルディナスの名を読んだから、私たちを消すの?」
「答えられません」
「その言葉が答えだ」
ネーミは短剣を再び構えた。
「知りすぎました」
彼女の姿が食堂の暗がりへ溶ける。
クロエが椅子を投げた。何もない空間で椅子が弾かれ、ネーミの輪郭が浮かぶ。
ヴァレンが踏み込む。短剣と長剣が三度ぶつかった。
ネーミは強い。
だが一人だった。
ミルが退路を塞ぎ、フィオが粉を撒いて足跡を見せる。ベルが衣擦れの音を増幅し、セレスが投げられた針を圧縮して軌道を逸らした。
最後はクロエが背後へ回り、ネーミの首へ縄をかけた。
「降参?」
「殺してください」
「嫌よ。寝覚めが悪い」
ネーミは縄を解こうとしなかった。
「失敗した暗殺者に名前はありません」
「さっき名乗っただろ」
「任務名です。本名ではありません」
「固有スキルは?」
レインが聞く。
ネーミは黙った。
腰の小瓶へ視線が動く。瓶には小さな札が貼られ、「毒」と書かれていた。
「《名前表示》か?」
メモリアーナが推測する。
「物へ名前をつけると、自分だけに見える。暗殺道具を取り違えないための力」
「それだけではありません」
ネーミは初めて動揺した。
「名前をつけると、その物が名前へ近づくことがある」
「毒と書けば、毒が強くなる?」
「ほんのわずかに。偶然と区別できない程度です」
レインの胸で連結核が反応する。
境界を越え、属性を反転させる砲へ、名前による性質を足す。
「何を考えました」
ネーミが鋭く聞く。
「敵へ名前をつけられるかもしれない」
「駄目です」
即座に拒絶された。
「その力は使ってはいけない」
「なぜ?」
「神殿が恐れているからです。《名前表示》は、世界を命名した神の力の欠片だと」
ネーミは縄をつけたまま立ち上がった。
「私を殺してください。でなければ、神殿は町ごと消します」
窓の外が白く光った。
空に巨大な文字が浮かんでいる。
【浄化対象】
文字の下で、町全体を囲む光の輪が閉じ始めた。
ネーミリアが神殿へ連れていかれたのは、名前を授かった翌日だった。
授技能式で《名前表示》が現れた時、神官たちは礼拝堂を封鎖した。
両親は別室へ連れていかれ、その後、一度も会っていない。
「今日から、お前に家名はない」
神官は少女の髪を切った。
「家族の名も忘れろ。お前の力は神の所有物だ」
与えられた最初の任務名は、タグ・ゼロ。
物へ名をつけ、暗殺道具を管理する役だった。
十二歳で毒の名を覚え、十五歳で人を殺した。
神殿は標的へ名前をつけた。
異端者。反逆者。浄化対象。
名前がつくと、その人が誰であったかを考えずに済んだ。
二十歳の時、神官から新しい任務名を与えられた。
ネーミリア・タグライト・エクリプシオン。
本名を奪った側が、新しい名を褒美として渡した。
《名前表示》が概念へ近づく可能性に気づいたのは、ある暗殺の夜だった。
逃げる標的の扉へ、追跡用に《脆い》と名をつけた。
短剣で触れただけで、厚い扉が崩れた。
神殿は喜ばなかった。
彼女を地下室へ閉じ込め、誰にも使い方を話すなと命じた。
神の名前を借りる人間が、名前そのものを変える力を恐れた。
「私を殺してください」
レインへ頼んだ時、死にたかったわけではない。
また誰かに名前をつけられ、命令どおりの存在へ戻ることが怖かった。
だから最後に、自分で選びたかった。
死という名前でさえ。




