第二十八話 炎を裏返す吸血鬼
魔王城が国境へ現れた。
山より大きな黒い城が、空間の裂け目から半分だけ突き出している。城壁から溢れた魔物は、両国の共同管理区域へ向かっていた。
「難民を狙ったんじゃない」
リネアリスが完成させた境界標の前で、アルティシアが言った。
「ここには二国の兵が集まっている。まとめて潰す気だ」
迎撃軍の先頭には、勇者パーティーがいた。
聖剣を持つ勇者。重鎧の神官。大盾の戦士。そして、赤い日傘を差した吸血鬼。
吸血鬼は夜色の髪を波打たせ、黒いドレスの裾を戦場の泥から浮かせている。
「リバーシア・ハンカチーフ・インヴァータよ。リヴァと呼ぶことを許すわ」
「初対面でずいぶん偉そうだな」
「六百十二歳よ。たいていの者より偉いわ」
エスメが横から言った。
「年齢で偉いなら、私は三百歳だから半分くらい偉いの?」
「若造は黙っていて」
「嫌な六百歳ね」
勇者が二人の間へ入った。
「喧嘩は後にしてくれ。レイン、君たちには東門を頼みたい」
「魔王は?」
「俺たちが倒す」
リヴァは扇を広げた。
「あなたたちの力は聞いているわ。でも、寄せ集めの火遊びを魔王へ向けるのは危険よ」
フィオが眉を上げる。
「火遊びで飛竜を四十匹落としたけど?」
「魔王は炎を無効化する」
それなら相性が悪い。
レインは反論せず、東門へ向かった。
戦闘は夜明けまで続いた。
《境界突破砲》で城壁を抜き、門の内側から錠を壊す。クロエとヴァレンが道を開く。
ミルとセレスが負傷者を運び、ベルの歌が両国兵へ届く。ノクティリアの時間領域が崩落を止めた。
東門を制圧した時、城の中央から聖剣が飛んできた。
地面へ突き刺さる。
刃は根元から折れていた。
「勇者たちが負けた」
アルティシアが城内を見る。
玉座の間では、勇者パーティーが炎の壁に囲まれていた。
中央に立つ魔王は、人の姿をしている。黒い冠と白い外套。右手には、青い炎が浮かんでいた。
「人間の火は、我には届かぬ」
レインは《境界突破砲》を撃った。
火球は炎の壁を越え、魔王の胸へ当たる。
消えた。
熱も爆発も、何も残らない。
「言ったでしょう!」
リヴァが倒れた神官をかばう。
「炎無効よ。撃つだけ魔力の無駄!」
魔王が青い炎を投げる。
レインたちは左右へ散った。炎は石床を燃やさず、そこにあったものの生命力だけを奪う。
「あれも火なのか?」
「死の属性を持つ炎よ」
リヴァはハンカチを取り出した。白い布を空中へ投げる。
「《布裏返し》」
布がくるりと裏返った。
それだけだった。
「今、何のために?」
クロエが聞く。
「落ち着くためよ」
「役に立ってない!」
「知っているわ!」
リヴァは牙を見せた。
「六百年、何度言われたと思ってるの!」
レインは裏返った布を見た。
「表と裏を入れ替えるのか」
「見れば分かるでしょう」
「火の属性も裏返せる?」
「布ではないわ」
「俺の火を布に見立てる。表が炎。裏が、その反対」
「炎の反対は氷?」
フィオが聞く。
「違う。魔王に効かない炎の反対は、魔王に効く炎だ」
リヴァが扇を閉じた。
「ずいぶん勝手な理屈ね」
「試す価値はある」
「私があなたへ力を貸す理由は?」
「ない。勇者を助けたいなら貸してくれ」
リヴァは倒れた仲間たちを見た。
勇者は折れた剣を握ったまま立とうとしている。
「勘違いしないで。あなたの仲間になるためではないわ」
「今はそれでいい」
胸の奥で十四個目の音が鳴った。
【共鳴を確認】
【《境界突破砲》と《布裏返し》を連結します】
【スキル連結成功】
【《属性反転砲》を獲得】
レインの指先に青い火が灯った。
魔王の炎と同じ色。
だが性質は逆だった。
「《属性反転砲》!」
火球が魔王へ飛ぶ。
「無駄だ」
魔王は避けない。
青い火が胸へ触れた瞬間、白く反転した。
魔王の絶対耐性が、絶対的な弱点へ変わる。
炎が外套を貫き、体内へ走った。
魔王が初めて叫ぶ。
「今よ、勇者!」
リヴァが叫んだ。
勇者は折れた聖剣を拾い、ヴァレンが作った隙から踏み込む。アルティシアの矢が魔王の腕を逸らし、クロエが零・一秒だけ足を止める。
聖剣が、魔王の冠を砕いた。
最後の一撃を放ったのは、レインではなかった。
魔王の体が白い炎に包まれ、玉座とともに崩れる。
城全体が揺れ始めた。
「喜ぶのは外へ出てから!」
ミルが負傷した神官を担ぐ。
全員が崩れる城から脱出した。
朝日が昇る中、魔王城は空間の裂け目へ沈んでいく。
勇者はレインへ手を差し出した。
「君が魔王を倒した」
「違う。最後に斬ったのはあんただ」
「だが――」
「全員で倒した。それでいい」
リヴァが二人の間へ日傘を差し込む。
「美談はあとになさい。私は勇者一行へ残るわ」
「連結は?」
「必要な時だけ貸す。あなたの後ろを歩く趣味はないもの」
「分かった」
「引き止めないの?」
「本人が決めたなら」
リヴァは少し不満そうに扇を鳴らした。
「気に入らない男ね」
「同感よ」
ベルが頷いた。
魔王は倒れた。
だが魔物は消えず、スキルによる身分制度も変わらない。
魔王城から救出された兵の半数は、人間だった。
国境で捕らえられ、隷属紋を刻まれた者。借金の代わりに傭兵として売られた者。故郷の貴族へ復讐するため、自分から魔王軍へ入った者。
逆に、両国軍の中にも魔族がいた。角を兜へ隠し、家族へ仕送りするため戦っていた。
戦後の捕虜交換で、アルティシアは名簿を一人ずつ確認した。
「魔族だから魔王側、人間だから王国側とは限らない」
レインが言う。
「国境線より複雑だな」
リネアリスは名簿へ出身地と本人の希望を書き足した。
帰国を望む者。
別の国へ亡命する者。
裁判を受ける者。
故郷そのものが消えた者。
全員を一つの扱いにはできない。
「魔王を倒せば終わると思ってた」
クロエが捕虜収容所の柵へ寄りかかる。
「私も」
フィオが答えた。
「物語なら、ここで宴会でしょう」
ベルは新しい歌の頁を破った。
「宴会はした」
「フィオは食べただけ」
「大事な仕事よ」
魔王という分かりやすい敵が消えた後、残ったのは一人ずつ違う事情だった。
レインの《万象連結》がまだなくても、彼らは選択肢を繋ぎ直そうとした。
制度ではなく、まず名簿の一行から。
古文書に記された神、オルディナスも姿を見せなかった。
戦いは終わっていなかった。
勇者とリヴァが出会ったのは、レインたちより十二年前だった。
当時の勇者は十三歳。聖剣を抜いたばかりで、魔物を見ると一人で突っ込む子供だった。
リヴァは彼を食べるつもりで近づいた。
「勇者の血は、さぞ上等でしょうね」
眠る少年の首へ牙を寄せる。
勇者は目を開け、干し肉を差し出した。
「腹が減ってるなら、これを食え」
「私は吸血鬼よ」
「肉にも血は入ってる」
呆れている間に、神官が浄化魔法を撃った。
勇者はリヴァをかばい、背中を火傷した。
「なぜ敵を守るのです!」
「まだ何もされてない」
「牙を向けていました!」
「噛まれてない」
リヴァはその日から、一行を監視すると言ってついてきた。十二年経っても、加入したとは認めていない。
魔王を倒した後、リヴァは折れた聖剣を見て泣いた。
「剣が?」
レインが尋ねる。
「違うわ。あの馬鹿が、ようやく一人で突っ込まなかったからよ」
勇者はレインたちの連携を見て、仲間が作った隙を待った。十二年かかった成長だった。
「あなたも覚えなさい。仲間が強いなら、自分が最後を取る必要はない」
「今回は取ってない」
「なら忘れないことね」
彼女が勇者一行へ残るのは、レインを選ばなかったからではない。
十二年かけて育てた関係を、新しい力のために捨てなかったからだ。




