第二十七話 国境に線を引く
次の目的地は、国境の難民野営地だった。
戦争と魔王軍の襲撃で村を失った人々が、二国の間に取り残されている。どちらの国も、自国民ではないとして受け入れを拒んでいた。
野営地の中央で、一人の女が地面に白線を引いていた。
薄緑の髪を短く切り、測量杖と石灰袋を背負っている。線は曲がり、途中で何度も途切れていた。
「そこから東はセレディア領です!」
女――リネアリス・チョークライン・バウンダリアが、国境兵へ叫ぶ。
「古い測量記録では、この井戸は東側に入る。難民にも水を使う権利があります!」
「現在の国境標は西だ」
「三年前の洪水で流された標を、勝手に置き直したのでしょう!」
反対側にはラグナ王国の兵がいる。
「では難民はセレディア側へ行け」
「人だけ押しつけ合って、井戸は欲しいの?」
リネアリスは石灰袋を地面へ叩きつけた。
「私が正しい線を引きます。両国とも、その線に従ってください」
「一介の測量士に決める権限はない」
「だから測ってるんでしょう!」
レインたちが近づくと、リネアリスは警戒して測量杖を構えた。
「どちらの国の依頼ですか」
「どちらでもない。魔王軍に狙われるかもしれない人を探してる」
「なら他を当たってください。私は忙しい」
「固有スキルは《線強調》か?」
リネアリスの顔が険しくなる。
「誰から聞きました」
「珍しいスキルの登録簿だ」
今度は王都騎士団の正式な許可状があった。監獄事件の詫びとして発行されたものだ。
「私の線は少し見やすくなるだけです」
リネアリスは地面へ短い線を引いた。
「《線強調》」
白い石灰が、周囲よりわずかに明るくなる。
「夜でも見える?」
「月があれば。便利なのはそこだけです」
メモリアーナが古い国境図を広げた。
「あなたの線と、この図の境界が一致しています」
「当然です。十年測っていますから」
「十年?」
「戦争が始まる前から、両国の村を歩きました。国境は地図の線一本で、人の暮らしを二つに割る。その線くらい正しく引きたい」
空から角笛が響いた。
両国の兵ではない。
黒い鎧の騎兵が野営地を囲む。同時に、地面から透明な壁が立ち上がった。
難民とレインたちを包む巨大な結界。
「閉じ込められた!」
クロエが壁へ触れる。
手が弾かれた。
外側の魔王軍隊長が札を掲げる。
「境界系統候補、リネアリスを引き渡せ。拒否すれば結界を縮める」
透明な壁が、ゆっくり内側へ動き始めた。
難民たちが中央へ押し込まれる。
「《因果必中砲》!」
火球が結界へ当たる。
貫通も転移もできない。外れる未来を減らしても、「境界を越えられない」という法則そのものに阻まれた。
「この結界、国境線を核にしてる」
リネアリスが地面を見た。
「私が引いた線を利用したんです」
「消せるか?」
「無理です。《線強調》した線は一日消えない」
「なら、新しい線を引く」
「どこに?」
レインは結界の壁を指した。
「越えられない場所が境界なら、俺の火が通った場所を新しい境界にする」
「そんなものは測量ではありません」
「今は人を守る線が必要だ」
壁がさらに迫る。
リネアリスは難民を見た。子供を抱く母親。杖をついた老人。どちらの国にも入れてもらえない人々。
「私は、正しい線を引きたかった」
「正しさは地図だけにあるのか?」
「では、どこに?」
「線の内側にいる人を見ろ」
リネアリスは測量杖を握り直した。
「一度だけです。測り直しは認めません」
「十分だ」
彼女は透明な壁へ白墨を当てた。
「《線強調》!」
見えなかった境界に、白い一本の線が浮かび上がる。
胸の奥で十三個目の音が鳴った。
【共鳴を確認】
【《因果必中砲》と《線強調》を連結します】
【スキル連結成功】
【《境界突破砲》を獲得】
レインは白線へ火球を撃った。
爆発はしない。
火球が線をなぞり、結界の表面を一周する。
白線が内と外を分ける新しい境界になる。
「今だ!」
リネアリスが測量杖を振り下ろした。
元の結界が割れた。
難民たちが外へ走る。両国兵も駆けつけ、魔王軍を挟み撃ちにした。
《境界突破砲》は盾の防御線を越え、鎧の内側へ現れる。武器だけを焼かれた魔王軍は、短時間で降伏した。
戦いの後、リネアリスは二国の指揮官を井戸の前へ呼んだ。
「新しい国境を引きます」
「勝手な変更は認められん」
「井戸を中心に、半径百歩を共同管理区域にする。難民野営地はどちらの領土でもなく、両国が守る」
「前例がない」
アルティシアがセレディア側の列から出た。
「なら、今日を前例にしよう」
ラグナ側の指揮官はレインを見た。
「拒否したら、またその砲を撃つのか?」
「撃たない。話が決まるまでここにいる」
「それは脅迫では?」
「交渉だ」
三日後、共同管理の協定が結ばれた。
リネアリスは完成した境界標を撫でる。
「あなたたちとは行けません」
レインが驚くより先に、彼女は続けた。
「ここで測量を終えたら追いつきます。引きかけの線を放置する測量士はいません」
「待ってる」
「待たなくて結構。追いつきます」
加入したのに同行しない。
十三人目は、最後まで自分の仕事を優先した。
リネアリスが初めて国境線を疑ったのは、九歳の時だった。
家は川沿いにあった。対岸には祖母が住み、毎朝、小舟で牛乳を届けてくれた。
戦争が始まると、川の中央が国境になった。
「おばあちゃんの家は見えてるのに?」
幼いリネアが兵士へ聞いた。
「外国だから駄目だ」
「昨日まで同じ村だった」
「今日から違う」
地図へ線が一本引かれただけで、家族が外国人になった。
半年後、祖母は病気で死んだ。葬儀へも行けなかった。
リネアリスは測量士になった。
線をなくせるとは思わない。領土を分ける境界は必要だと学んだ。
だからこそ、どこへ、何のために引くのかを誰かが問い続けなければならない。
共同管理区域の協定後、彼女は川沿いへ一本の道を測った。両国の家族が、検問を受ければ行き来できる道だ。
「祖母には間に合わなかった」
境界標を立てながら、アルティシアへ言った。
「今いる人には間に合わせます」
「だから旅へすぐ加わらないのか」
「線を途中で放り出したら、また誰かが勝手に置き直す」
アルティシアは騎士団から十人を貸した。
「敵国の測量を手伝わせるの?」
「共同区域だ。今は敵国ではない」
二人は同時にレインのいる方向を見て、同時にため息をついた。




