第二十三話 逃げる記録者
## 第二十三話 逃げる記録者
書庫都市レクシアには、町より本のほうが多かった。
通りの両側に書店が並び、宿にも食堂にも本棚がある。町の中央には、七階建ての大書庫がそびえていた。
「メモリアーナ・ワンレター・アーカイヴを探している」
レインが受付で尋ねると、司書は無言で後ろを指した。
灰色の外套を着た女が、窓から逃げようとしていた。
「待ってくれ!」
「嫌です」
女は迷いなく窓枠を越えた。
ここは三階だった。
「危ない!」
レインが駆け寄る。
女は外壁に取りつけられた雨樋を滑り、二階の庇へ着地した。そのまま隣の建物へ飛び移る。
「長命族って、みんな脱獄が得意なの?」
クロエが聞く。
「一緒にしないで」
エスメが窓から身を乗り出した。
追跡は一時間続いた。
クロエが先回りすると、女は市場の荷車へ潜る。フィオが見つけると、粉袋を破って視界を塞ぐ。ヴァレンが屋根から回り込めば、本屋の裏口へ逃げた。
最後に追いついたのは、足の遅いミルだった。
女が隠れた路地の壁を、短槌で塞いだのだ。
「追いかけっこは終わり」
「退いてください」
女は赤銅色の長髪を外套へ隠していた。見た目は二十代だが、目だけがひどく疲れている。
「話を聞いてほしい」
レインが路地の入口で言う。
「聞いたから逃げています」
「まだ何も言ってない」
「あなたの名前を聞きました。レイン・クロフォード。ゴミスキル保持者を集め、町を爆破し、王都の監獄を破った危険人物」
「間違ってはいないけど、順番と説明が足りない」
ベルが顔をしかめる。
「誰がそんな歌を広めたのかしら」
全員の目が彼女へ向く。
「私の歌は町を爆破する前に作ったものよ」
女は壁を背にした。
「私の名はメモリアーナ・ワンレター・アーカイヴ。《一文字記憶》の保持者です。見た文字を一文字だけ、完全に覚えます」
「一度に一文字?」
「一生で一文字です」
フィオが口を開きかけ、閉じた。
「笑って構いません」
「笑わない」
レインが言う。
「何を覚えた?」
メモリアーナは答えなかった。
「その一文字を魔王軍も狙ってる」
「だからあなたに渡せと?」
「違う。逃げたいなら逃げていい。ただ、魔王軍が近くにいる。それだけ伝えに来た」
レインは道を開けた。
「追わないの?」
クロエが小声で聞く。
「本人が嫌がってる」
「向こうに捕まったら?」
「捕まらないよう、俺たちは魔王軍を探す」
メモリアーナは開いた道を見た。
「私の力が欲しくないのですか」
「欲しい」
「正直ですね」
「でも、欲しいから捕まえるなら魔王軍と同じだ」
メモリアーナは一人で路地を出た。
それから三日、レインたちは彼女を追わなかった。
代わりに、町へ潜んだ魔王軍を探した。書店の買い取り記録、宿帳、北門を通った荷車。メモリアーナの居場所へ繋がる情報を一つずつ消し、偽の足跡を南へ流した。
四日目の夜、大書庫が燃えた。
大書庫が燃えるまでの三日間、追われなかったメモリアーナは、かえって眠れなかった。
追跡される前提で逃走路を選び、宿を毎晩変えた。窓へ髪を一本挟み、誰かが開ければ分かるようにした。
朝になっても髪は落ちていない。
二日目、南門でレインたちの偽情報を聞いた。
「赤銅色の髪の長命族は、昨日南へ出たらしい」
兵士が旅人へ話している。
自分はまだ町の北側にいる。
彼らが足跡を消していると気づいた。
助けを頼んだ覚えはない。
恩を着せるつもりかもしれない。
そう疑いながら、メモリアーナは大書庫へ戻った。
禁書庫の古文書だけは置いていけなかった。
三百年かけて復元した一文字が、危険人物へ繋がる。
皮肉だった。
書庫の入口には、フィオが残した掃除印があった。
清掃員同士だけが読む簡単な記号。
――この建物は見張られている。
メモリアーナは意味を知らなかった。
ただの落書きと思い、扉を開けた。
中には火薬の匂いがした。
気づいた時には遅かった。
同じ頃、大書庫の外からも七階の炎が見えた。
メモリアーナが守っていた禁書庫だった。
「罠よ」
ベルが言った。
「分かってる」
レインは大書庫へ走った。
「それでも行くんでしょうね」
「火事を見て、置いていけるか!」




