第二十二話 半秒の領域
「《埃停止》!」
ノクティリアが手を伸ばした。
砂時計の中で、最後の一粒が止まる。
落下口まで、髪一本ほどの距離。
「止まった!」
フィオが叫ぶ。
「半秒だけだ!」
砂はすぐに動き出す。
「《埃停止》!」
また止まる。
ノクティリアは息を止め、半秒ごとにスキルを重ねた。
「いつまで続けられる?」
レインが聞く。
「百日よりは短い!」
壁上の魔術師が杖を振り下ろす。魔王軍兵が中庭へ雪崩れ込んだ。
「砂時計を壊せ!」
ヴァレンが走る。
兵たちは砂時計を盾で囲んだ。レインが《無限転移爆炎群》を放つが、火球は黒い結界へ触れた瞬間に消える。
「魔力吸収結界です!」
セレスが叫ぶ。
「物理攻撃なら?」
「届けば壊せる!」
ミルが石を投げる。盾兵が弾いた。
ノクティリアは停止を繰り返している。額に汗が浮き、折れた角の根元から血が滲む。
「あと、何秒だ」
「数えるな!」
「百日耐えたんだろ!」
「あれは座ってできた! 今は頭が割れそうだ!」
レインは結界を見る。
触れた魔力を消す。それなら、触れる前に止めればいい。
爆炎を結界の外で停止させ、圧力だけを内側へ重ねる。
「ノクティ! 砂と一緒に、俺の火も止められるか!」
「二つ同時は無理だ!」
「一つにする!」
「何を――」
「砂時計を中心に、火が燃える時間そのものを止める!」
ノクティリアの目が見開かれた。
「私の力は埃一粒だけだ」
「アクアの力も一滴だけだった」
「失敗すれば全員死ぬ」
「だから聞く。俺に貸せるか?」
砂が一瞬だけ落ちる。
ノクティリアは歯を食いしばり、再び止めた。
「百日間、誰も来なかった」
「遅くなった」
「助けを待ってはいない」
「知ってる」
「私は自分で出るつもりだった」
「途中まで一緒に行くだけだ」
ノクティリアは笑った。
「その言葉、忘れるな」
胸の奥で十個目の音が鳴る。
【共鳴を確認】
【《無限転移爆炎群》と《埃停止》を連結します】
【スキル連結成功】
【《時止爆炎領域》を獲得】
レインは砂時計を中心に円を描いた。
「全員、円から出ろ!」
仲間たちが後退する。ヴァレンだけが敵兵に囲まれ、遅れた。
「先に撃て!」
「お前まで止まる!」
「半秒だろう!」
「今度は違う!」
新しい能力の範囲と時間が、感覚として流れ込む。
半径二十歩。三秒。
中にいるものは敵も味方も止まる。
「クロエ!」
「分かってる!」
クロエが《瞬速》で敵の間を抜け、ヴァレンの外套をつかんだ。二人で円の外へ転がり出る。
「《時止爆炎領域》!」
音が消えた。
砂が止まる。
敵兵も、振り下ろされた剣も、空中の矢も静止する。
領域の内側で動くのは、レインの火だけだった。
火球は盾の隙間へ移動し、結界へ触れる寸前で止まる。次の火球が後ろへ重なり、さらに次が重なる。
三秒後。
時間が戻った。
重なった圧力が一斉に解放される。
結界は吸収する暇もなく内側へ潰れ、砂時計が砕けた。
黒い砂が地面へ散る。
何も起きない。
一拍遅れて、壁上の魔術師が叫んだ。
「起爆核が!」
ヴァレンの剣がその杖を弾き飛ばす。
魔王軍兵は武器を捨てた。
中庭に戻った音の中で、ノクティリアだけが膝をついた。
レインが駆け寄る。
「大丈夫か!」
「三秒は……長すぎる」
「次は短くする」
「次も使う気か」
「お前が貸してくれるなら」
ノクティリアは差し出された手を見た。
「途中までと言ったな」
「ああ」
「その途中がどこまでか、私が決める」
「好きにしろ」
彼女はレインの手を取り、立ち上がった。
《時止爆炎領域》にも、すぐ欠点が見つかった。
一度目の発動で、ヴァレンの外套の端が領域へ残っていた。
本人は外へ出たのに、布だけが三秒止まる。首を後ろへ引かれ、危うく転ぶところだった。
「範囲の境界へ物をまたがせるな」
ヴァレンが外套を切りながら言う。
「人間の腕なら?」
クロエが聞く。
「試すな」
全員が答えた。
領域内では味方も止まる。外側から入った物は境界で急停止する。解除の瞬間、止めていた運動が一度に戻る。
時間を止めれば安全になるわけではない。
使う前に範囲を知らせ、全員が退避し、解除後の動きまで考える必要がある。
ベルは三音の短い合図を決めた。
一音目で範囲を示す。
二音目で退避。
三音目の三秒後に時間が戻る。
「私が聞こえない場所では?」
エスメが尋ねる。
シェアが色の合図を考えた。赤、青、白の順。
「色も見えなければ?」
ノクティリアが聞く。
クロエが石を三回蹴る案を出す。
音、色、動き。
三つの合図を重ねた。
声が届かない場所でも動けるよう、三つの合図を全員が覚えた。
収容所を出る途中、負傷した魔王軍兵が瓦礫の下から声を上げた。
先ほどまで敵だった男だ。
「置いていけ」
ノクティリアが言う。
「あいつは囚人を殴っていた」
「知ってる」
レインは瓦礫を持ち上げようとする。
「助ければ、また襲うかもしれない」
「その時は止める」
「全員を助けるつもりか?」
「無理だ。見えて、手が届く奴だけ」
ミルが加わり、石をどける。兵士の脚は折れていた。
ノクティリアはしばらく見ていた。
最後に自分の外套を裂き、添え木を固定する。
「許したわけではない」
「分かってる」
「裁判へ連れていくためだ」
「それでいい」
敵を助けることと、罪を消すことは違う。
レインは、倒れている男の罪と傷を別々に考えた。
峡谷を出た朝、アルティシアの斥候が新しい報告を運んできた。
北の書庫都市で、長命族の女を魔王軍が追っている。
固有スキルは《一文字記憶》。
レインたちは休む間もなく北へ向かった。
峡谷を離れる前、ノクティリアは収容所へ戻った。
仲間たちもついていこうとしたが、一人で行くと言った。
百日を過ごした牢へ入り、壁の傷を指でなぞる。
一日一本。
最初の十本は深い。怒りに任せて石を削った。
五十本目から浅くなり、最後の十本はほとんど見えない。体力が尽きかけていた。
ノクティリアは百一本目の傷を刻んだ。
外へ出た日。
その下に、短い文字を書く。
――自力。ただし途中から十八人。
「まだ十八人はいないぞ」
入口で待っていたレインが言った。
「未来の分だ」
「見栄を張るな」
「お前が集めるのだろう」
「集めるって言い方やめろ」
ノクティリアは牢の扉を閉めた。
鍵はかけなかった。




