第二十一話 埃一粒の反乱
ゼノグラードが残した情報は、王都の尋問官でも引き出せなかった。
降伏した兵たちは次の標的を知らない。命令は必要な時に一つずつ届き、互いの部隊にも共有されていなかった。
手がかりを持ってきたのは、アルティシアだった。
国境の廃礼拝堂で待っていた彼女は、甲冑の上に旅用の外套を羽織っている。
「敵国の騎士が一人で来ていいのか?」
「停戦監視任務だ。建前はな」
アルティシアは地図を広げ、山中の一点を示した。
「魔王軍の収容所。セレディア側の斥候が見つけた。ゴミスキル保持者を集めている」
「何人いる?」
「生存者は一人だけだ」
礼拝堂が静まる。
「他の人は?」
フィオが聞いた。
「役に立たないと判断され、処分された」
アルティシアは感情を抑えていた。それでも、地図を押さえる指に力が入っている。
「生存者の名はノクティリア・ダストストップ・クロノベル。魔族だ」
「仲間なのに捕まえたの?」
クロエが眉を寄せる。
「魔族は一枚岩ではない。魔王に従わない氏族もいる」
「スキルは?」
「《埃停止》。空中の埃一粒を半秒だけ止める」
全員が黙った。
ベルがレインを見る。
「もう使い道を考えてる顔ね」
「止める、という性質が重要だ」
「埃一粒でも?」
「アクアの一滴を見ただろ」
収容所は峡谷の底にあった。
夜を待ち、クロエとエスメが見張り台を無力化する。フィオが粉塵を舞わせて視界を奪い、ミルが石壁に足場を作った。
侵入は順調だった。
地下へ降りたところで、敵兵が全員倒れていることに気づくまでは。
「死んでる?」
セレスが首筋へ触れる。
「眠ってるだけです」
「誰がやった?」
レインは廊下の奥を見る。
牢の扉が一つずつ開いていた。蝶番へ細い針が刺さり、錠前の内部には砂が詰められている。
最後の牢の前に、黒髪の女が立っていた。
片方の角は根元から折れ、囚人服の袖を肘までまくっている。手には看守から奪った鍵束。
「遅い」
女が言った。
「助けを待ってたのか?」
「待ってない。あと一時間あれば自分で出ていた」
「鍵を持ってるなら、もう出られるだろ」
「外門の鍵がない」
女――ノクティリアは、床に倒れた看守を足で転がした。
「こいつが飲み込んだ」
「腹を切るつもり?」
フィオが聞く。
「吐かせるつもりだった」
看守が気絶したまま身を震わせた。
「何をしたんだ?」
「埃を止めた」
ノクティリアは廊下の燭台を指す。
「巡回のたび、鍵穴の中で埃を一粒止めた。次の埃が引っかかり、その次も重なる。百日かけて錠を壊した」
「半秒しか止まらないんじゃ?」
「同じ埃を、半秒ごとに止め直した」
エスメが目を細める。
「あなた、ずいぶん根気があるのね」
「鍵を八日動かすよりは早い」
「誰から聞いたの!?」
ノクティリアは初めて笑った。
「看守の噂だ。妙なエルフが収容されるかもしれないとな」
牢の奥には、壁一面に細い傷が刻まれていた。
百日分の記録。
「私を助けに来たなら、勘違いするな」
ノクティリアは鍵束を腰へ結ぶ。
「私は魔王軍の処分対象だ。連れていけば、お前たちも追われる」
「もう追われてる」
「なら、もっと追われる」
「数が増えても同じだ」
レインが外門の方向へ歩き出す。
「お前が自分で出るつもりなら、途中まで一緒に行こう」
「仲間に誘わないのか?」
「まず外へ出る」
「合理的だな」
「よく言われる」
「嘘ね」
全員から同時に言われた。
外門へ続く中庭には、巨大な砂時計が置かれていた。
上の器から黒い砂が落ちている。
残りは、わずか。
壁の上から声がした。
「脱出を確認」
黒いローブの魔術師が杖を掲げている。
「零になれば、峡谷ごと消滅する」
ノクティリアが砂時計を睨んだ。
「私を外へ出す気など、最初からなかったか」
黒い砂が、最後の一粒を落とそうとしていた。
砂時計までは中庭を横切って三十歩。
左に兵舎、右に武器庫。正面の石段を上がれば外門だが、鉄柵が下りている。
「三組に分かれる!」
レインが指示した。
「ミルとヴァレンは砂時計。クロエとエスメは外門。残りは負傷者と退路を守る!」
ノクティリアは中央から動けない。最後の砂を止め続けるには、砂時計を視界へ入れておく必要がある。
魔王軍はそれを知っていた。
弓兵が彼女だけを狙う。
アルティシアの矢が一射目を弾き、フィオの風が二射目を数センチ逸らす。三射目はセレスが鏃を圧縮し、軸との接合を外した。
「守られるのは性に合わない!」
ノクティリアが叫ぶ。
「今は止める仕事をしろ!」
ミルは盾兵の足元を《小分け》で割る。一撃では崩れない。ヴァレンが亀裂へ剣を差し込み、石板ごと持ち上げた。
二人が盾列へ穴を開ける。
クロエは外門の巻き上げ機へ走った。鎖は錆び、歯車が固まっている。
「エスメ、歯車を一センチ!」
「どちらへ?」
「回るほう!」
「それが分からないから聞いてるの!」
クロエが取っ手を蹴る。動いた方向を見て、エスメが歯車を転移させた。
一センチだけ噛み合わせが戻る。
鉄柵がゆっくり上がった。
脱出路はできた。
それでも砂時計を止めなければ、峡谷ごと消える。
各自の位置と役割が揃って、初めてレインはノクティリアへ手を伸ばした。
ノクティリアが魔王軍を離れたのは、魔王へ反対したからではない。
最初は忠実な兵士だった。
北方氏族の斥候として、人間の町へ潜入した。彼女の《埃停止》は戦闘に使えず、隊では地図運びと伝令を任された。
ある村で、反乱者を見つける命令が出た。
家々の床に積もった埃を調べ、最近動かした家具を探す。
ノクティリアは誰より埃に詳しかった。
床の一粒を止め続ければ、風が吹いてもそこだけ積もり方が変わる。人の通った方向まで読めた。
彼女は地下室を見つけた。
隠れていたのは反乱兵ではなく、魔族の徴兵から逃げた子供たちだった。
隊長は全員を連行しろと命じた。
ノクティリアは地図へ、地下室なしと記録した。
初めて命令へ背いた。
三日後、別の兵が地下室を発見した。
子供たちは連れていかれ、ノクティリアも虚偽報告で捕らえられた。
「後悔してるか?」
収容所の廊下で、レインが聞いた。
「もっと上手に隠せばよかった」
「命令へ背いたことは?」
「あの時は正しいと思った。今も思っている」
「なら、同じだ」
「何が?」
「途中まで一緒に行く。正しいと思う間は」
ノクティリアは返事をしなかった。
だが外門へ向かう時、レインの半歩前を歩いた。
助けられる者ではなく、自分で道を確かめる斥候として。




