第十六話 紙の向こう側
装甲魔獣の前脚が石畳を砕いた。
ヴァレンシアは正面から踏み込む。振り下ろされた爪を半歩でかわし、長剣を脚の関節へ滑らせた。
金属音が響く。
刃は薄い傷を残しただけだった。
「硬いな」
ヴァレンシアは笑った。
「楽しそうに言うこと?」
フィオが広場から住民を逃がしながら叫ぶ。
「斬れないものが出てくると、剣士はだいたい喜ぶの」
ベルはリュートを抱え、崩れた鐘楼の陰へ退いた。
「偏見だ!」
ヴァレンシアが抗議する。
その間にも魔獣の尾が迫った。
ヴァレンシアは長剣の腹で受け、十歩ほど弾き飛ばされる。空中で姿勢を戻し、両足で着地した。
「否定する説得力がないね」
ミルが短槌を構えた。
「《増幅圧縮爆炎星群》!」
レインが五つの白い火球を放つ。
火球は装甲魔獣を追い、肩、首、腹へ集中した。爆発が爆発を膨らませ、広場を白い光で覆う。
煙の中から魔獣が飛び出した。
銀色の装甲は赤熱している。それでも割れていない。
「あれを軍が王都まで運んだとは思えません」
セレスが言う。
「鐘楼の地下に隠してたんだ」
クロエが魔獣の首から落ちた黒札を拾う。
「私たちが来る前から」
ゼノグラードは、ヴァレンシアがここで模擬戦を行うことまで知っていた。情報網の広さに背筋が冷える。
「考えるのはあとだ!」
レインは二度目の星群を撃った。
魔獣は前脚を折り、頭を装甲の下へ隠す。爆発を最も厚い背で受けた。
「ただ撃つだけでは無理よ」
ベルが声を張る。
「分かってる!」
火力では足りない。
必要なのは、硬さを無視して内側へ届く力。
レインはヴァレンシアへ走った。
「紙を貼った鉄板、試すぞ!」
「今か?」
「今しかない!」
フィオが自分の荷袋から紙包みを取り出した。
「昼用のパンが!」
包みを開き、パンを口へくわえる。残った油紙をレインへ投げた。
「一生分の感謝を要求するわ!」
「紙一枚だぞ!」
「パンを裸にした代償は重い!」
クロエが《瞬速》で魔獣の側面を抜け、油紙を装甲へ貼りつける。粘ついた油が金属に紙を留めた。
「ヴァレン!」
「呼び捨てを許した覚えはない!」
言いながらも、ヴァレンシアは指を向ける。
「《紙貫通》!」
細い光が油紙へ当たった。
紙に穴が開く。
その下の装甲にも、針ほどの穴が開いていた。
「通った……」
ヴァレンシアが息を呑む。
「お前の力は紙で止まってない。紙の向こう側まで貫いてる!」
「こんなこと、考えたこともなかった」
「なら今、考えろ。紙がなくても、俺の火が触れた場所を紙だと思えるか?」
「無茶を言う」
「無茶じゃない。お前が紙を貫くと決める。俺がその道を火に追わせる」
魔獣が突進した。
ヴァレンシアはレインを押しのけ、一人で正面に立つ。長剣を装甲の穴へ突き入れた。
刃は数センチ入り、止まる。
魔獣の角が彼女の脇腹を打った。
ヴァレンシアの体が宙を舞う。
「ヴァレン!」
レインが抱き留めた。二人まとめて石畳を転がる。
「なぜ前へ出た!」
「剣士だからだ」
「答えになってない!」
「お前こそ、なぜ私の役立たずにこだわる」
「役立たずじゃないと、もう証明しただろ!」
ヴァレンシアは装甲に残った小さな穴を見た。
「私の剣では斬れなかった」
「でも、《紙貫通》は通った」
「剣より、あの力を選ぶのか」
「どっちもお前だ」
レインは彼女を立たせた。
「剣で時間を作れ。《紙貫通》で俺に道をくれ」
ヴァレンシアは長剣を握り直した。
「命令するな」
「頼む」
「なら、受けよう」
胸の奥で七つ目の音が鳴る。
【共鳴を確認】
【《増幅圧縮爆炎星群》と《紙貫通》を連結します】
【スキル連結成功】
【《絶対穿孔爆炎群》を獲得】
ヴァレンシアが走った。
魔獣の爪を剣で逸らし、六本の脚の間へ滑り込む。腹の装甲へ一閃。傷は浅いが、魔獣の目が彼女を追った。
「今だ、撃て!」
「《絶対穿孔爆炎群》!」
白い火球が放たれる。
装甲へ触れた瞬間、爆発しない。金属を紙のように貫き、体内へ消えた。
五つすべてが内部へ入る。
「ヴァレン、離れろ!」
彼女が腹の下から飛び出す。
次の瞬間、魔獣の装甲の隙間から炎が噴いた。
内側で連鎖した爆発が巨体を持ち上げる。銀色の獣は背から地面へ落ち、二度と動かなかった。
広場に歓声が響く。
ヴァレンシアは長剣を鞘へ戻した。
「勝負は私の勝ちだな」
「何の勝負だ?」
「最後に隙を作ったのは私だ」
「倒したのは全員の力だぞ」
「なら、私もその全員へ入れろ」
レインが返事をする前に、フィオが裸のパンを掲げた。
「加入費は油紙一枚分ね」
「安いな」
「パンを裸にした精神的損害も含むわ」
「高くなりそうだ」
ヴァレンシアは真顔で財布を出した。
彼女が冗談を理解するまで、もう少し時間が必要だった。
《絶対穿孔爆炎群》の試験は、王都の採石場で行われた。
紙を貼った木板は貫く。
鉄板も貫く。
だが紙を宙へ浮かせ、その後ろに人形を置くと、火球は紙だけを抜けて地面へ落ちた。
「向こう側まで必ず通るわけではない」
ヴァレンが結果を書く。
「紙と対象が、一つの物として接している必要がある」
次に、敵を模した革袋へ紙を貼る。
火球は表面を貫いたが、中の砂へ入ったところで止まった。
「絶対、という名前も嘘だな」
レインが言う。
「防御を一層だけ無視する。何層も違う素材があれば、途中で止まる」
「十分強い」
「だが、弱点を知らなければ味方の後ろまで貫くと思い込む」
ヴァレンは剣の稽古と同じように、能力の失敗を繰り返した。
レインが一人で試そうとすると、必ず隣へ立つ。
「私の《紙貫通》が核だ。結果を見る権利がある」
「危ないぞ」
「だから来る」
彼女は力を貸すだけの素材ではなく、完成能力の共同研究者になった。
試験記録の署名欄には、二人の名が並んだ。
戦いの翌朝、ヴァレンシアは一人で広場へ戻った。
装甲魔獣の死骸は運び出され、石畳には焼け跡だけが残っている。
レインは焦げた油紙を拾っていた。
「何をしている」
「登録所へ持っていく。合成の証拠」
「そんな紙くずを?」
「お前の力が装甲を貫いた最初の一枚だ」
ヴァレンシアは紙を受け取った。
中心に小さな穴。周囲は黒く焦げている。
「父に見せたかった」
「剣士だったのか?」
「師匠でもあった。私が銀札になる前に死んだ」
「きっと喜んだ」
「勝手なことを言うな」
「悪い」
「だが、そうだといい」
ヴァレンシアは油紙を丁寧に畳んだ。
「登録所へは私も行く。共同保持者の名を間違えられては困る」
「長いからな」
「フィオレンティーナほどではない」
「基準にされてる……」
後ろで聞いていたフィオが呟いた。




