第十二話 一パーセントの爆発
地下競売場への入口は、市場主の館にあった。
正面から入れば、警備兵は三十人。首輪で操られた魔物もいる。
「作戦は?」
館の裏路地で、ミルが聞いた。
「屋根から入る」
クロエが答える。
「誰が登るの?」
フィオが三階の窓を見上げた。
「私」
「零・一秒ずつ?」
「普通に登れるわよ!」
クロエが縄を持って雨樋を登る。その後を身軽なセレスが追った。二人が内側から裏口を開け、レインたちは倉庫へ入る。
最初の見張りは、フィオが棚の埃を《微風》で舞わせた隙に、ミルが背後から気絶させた。
「私の風、こういう使い方もあるのね」
「掃除と逆だけどな」
階段の下から、子供の泣き声が聞こえた。
地下には鉄格子が並んでいた。獣人、魔族、人間。十人以上の子供が閉じ込められている。
セレスが鍵穴へ指を入れた。
「《微圧縮》」
錠前の内部が一パーセント縮む。噛み合っていた金具に隙間ができ、クロエが細い針を差し込んだ。
「開いた」
「一パーセントでも役に立つでしょ」
クロエが笑う。
セレスは返事をせず、次の錠へ走った。
最後の格子を開けた時、地下室の扉が閉まった。
上階から警備兵が降りてくる。
反対側の通路には、市場主が立っていた。太い指に宝石をいくつもはめ、鎖につないだ巨大な亀を従えている。
「私の商品を盗むとは、ずいぶん高くつくぞ」
亀の甲羅には鉄板が重ねられていた。頭にも兜。隙間はほとんどない。
「子供は商品じゃない」
レインは前へ出た。
「金を払わず連れ去る者が、正義を語るな」
「セレスの分は払った」
「なら、その女だけ持って帰れ」
セレスの爪が掌へ食い込む。
レインは市場主ではなく、彼女を見た。
「どうしたい?」
「聞くまでもないでしょう」
「お前の口から聞きたい」
セレスは子供たちを背にかばった。
「全員、ここから出します」
「分かった」
レインは亀へ指を向けた。
「《追尾火弾群》!」
火弾が地下室を埋める。
すべてが亀へ殺到した。鉄板に当たり、次々と弾ける。煙が晴れると、鉄は赤くなっていたが、亀は動いている。
「無駄だ! 城門破りにも耐える装甲亀だぞ!」
市場主が鎖を振る。
亀が突進した。
「散って!」
クロエが子供たちを誘導する。フィオとミルが左右から扉を押さえ、警備兵の侵入を止めた。
レインは二度目の火弾群を撃つ。
同じだ。数が多くても、装甲へ熱が散る。
「セレス!」
「はい!」
「一パーセントでいい。俺の火を縮めてくれ!」
セレスが手を伸ばす。
だが、その手は途中で止まった。
「私が力を貸せば、契約が成立するのですか」
「何の契約だ?」
「私はあなたの所有物になるのですか」
亀の足音が迫る。
レインは指先を下ろさなかった。
「ならない」
「では、何になりますか」
「それもお前が決めろ」
「選んで、いいのですか」
「そのために首輪を外した」
セレスは目を閉じた。
次に開いた時、その目に迷いはなかった。
「では、仲間を選びます」
胸の奥で五つ目の音がした。
【共鳴を確認】
【《追尾火弾群》と《微圧縮》を連結します】
【スキル連結成功】
【《圧縮追尾爆炎弾》を獲得】
レインの前に、一つの火球が生まれた。
これまでより小さい。親指の先ほどしかない。
だが光は白く、周囲の空気が歪んだ。
「《圧縮追尾爆炎弾》」
白い点が飛ぶ。
装甲亀は頭を引っ込めた。火球は軌道を変え、鉄板の継ぎ目へ入り込む。
一秒の静寂。
甲羅の内側で、炎が膨張した。
轟音が地下室を揺らす。鉄板が内側から剥がれ、天井へ突き刺さった。装甲亀は煙を吐き、その場へ伏せる。
市場主の顔から血の気が引いた。
「私の財産が……」
「まだ言うか」
セレスが市場主の前へ歩いた。
男は鞭を抜いた。
振り下ろされる前に、セレスは一歩踏み込み、拳を腹へ叩き込んだ。
「これは、スキルではありません」
市場主が膝をつく。
「私が、自分で覚えたことです」
地上では、市場から逃げた売買人たちを衛兵が捕らえていた。クロエが侵入前に、違法競売の証拠と場所を書いた紙を詰所へ届けていたのだ。
「先回りもできるようになったのか」
レインが言う。
「私は元から頭がいいの。《瞬速》が遅いだけ」
解放された子供たちは神殿の保護院へ移された。
夕方、五人は港を見下ろす丘にいた。
セレスは海風に髪を揺らしながら、自分の首へ触れる。そこにはもう何もない。
「改めて聞く」
レインが言った。
「俺たちと来るか?」
「はい。ただし条件があります」
「何だ?」
「私の分の報酬は、私が管理します」
「当然だ」
「寝床も選びます」
「当然」
「嫌な命令には従いません」
「俺も命令は嫌いだ」
セレスは頷いた。
「では、契約成立です」
「契約書は?」
クロエが聞く。
「必要ありません」
セレスはレインを見た。
「今度は、破られないと信じます」
翌朝、一行はカレドを発った。
帰路には三週間かかった。セレスは毎晩、自分で宿を選び、報酬の入った袋を枕元に置いた。誰も取り上げなかった。
三週間後の夜、一行は久しぶりにラグナへ戻った。
宿屋の扉を開けると、アリアが皿を運んでいた。
「おかえり、レイン」
彼女はフィオ、クロエ、ミル、セレスの順に見た。
「ずいぶん増えたね」
「事情がある」
「毎回そう言う男は信用されないよ」
フィオがアリアの手を取った。
「初めまして。あなた、分かってる人ね」
「フィオレンティーナ・ヴァンデル・ブリーズハートさん?」
「どうして私の名前を?」
「レインが手紙に書いてたから。三回くらい綴りを間違えてた」
「おい、読むなよ」
「私宛ての手紙でしょ」
アリアは笑い、五人分の席を作った。
食事の途中、セレスの袖から一本の糸がほどけた。
アリアが指先でつまむ。
「《糸接ぎ》」
淡い光が走り、糸が数秒だけ元へ戻る。
「今のは?」
セレスが聞いた。
「役に立たないスキル。あとで普通に縫うね」
アリアは何でもないことのように針箱を取りに行った。
レインも深く考えなかった。
その夜、遠く離れた魔王城では、ゼノグラードが五枚の記録紙を机に並べていた。
火。風。速さ。分割。誘導。
そして、新たに届いた報告書には「圧縮」とある。
「成長が早い」
七つの水晶眼が、異なる色に光った。
「本人を殺す必要はない。次の素材を渡さなければいい」
ゼノグラードは配下へ命じた。
「世界中から、役立たずと呼ばれる固有スキルの女を探せ」
物語はここから、偶然の旅ではなくなった。
その夜、宿の客室は足りなかった。
アリアは空き部屋の鍵を並べ、五人を見た。
「二部屋しかないよ」
「私とセレスが一緒」
フィオが即座に決める。
「どうして?」
クロエが聞いた。
「市場から来たばかりで、一人は不安でしょう」
「私は平気です」
セレスが答える。
「私が不安なの」
「何が?」
「またレインが変な契約を破らないか」
「もう破る契約書はありません」
残る一室にクロエとミル。レインは食堂の床で寝ることになった。
「最初に戻ったな」
毛布を受け取りながら言う。
「今度は銅貨二枚、払ってるからね」
アリアが念を押した。
夜更け、レインは物音で目を覚ました。
階段の下にセレスが立っている。
「眠れないのか?」
「扉に鍵がありません」
「客室にはついてる」
「内側からだけです」
「外から閉じ込められないように」
セレスは階段の手すりを握った。
「首輪がないと、落ち着きません」
言ってから、自分でも驚いた顔をした。
自由になったのに、命令が来ないことが怖い。どこへ行ってもいいと言われると、どこにいればいいか分からない。
レインは立ち上がらなかった。近づけば、逃げ道を塞ぐ気がした。
「明日の予定を決めよう」
「予定?」
「朝食を食べる。その後、ギルドで報酬を受け取る。昼に装備を買う。嫌なら途中で別れていい」
「その次は?」
「明日決める」
「ずいぶん短いですね」
「最初は一日でいい」
セレスは食堂の椅子へ座った。
「朝食は、何ですか」
「アリアの豆煮込み」
「おいしい?」
「銅貨一枚の量じゃない」
「答えになっていません」
「食べれば分かる」
翌朝、セレスは豆煮込みを二杯食べた。
フィオが三杯目を勧め、アリアに止められた。
「宿の分がなくなる」
「底に残ってた分よ」
「鍋いっぱいあるでしょ」
「底の気持ちになれば底なの」
レインは以前聞いた理屈に笑った。
セレスも少し遅れて笑った。
その日から彼女は、予定を一日ずつ自分で決めた。




