第 2 話: 雑貨屋のエリーとやきもき右手
# 第2話:雑貨屋のエリーとやきもき右手
裏山のシャドウ・ウルフの一件は、村では「奇跡的な暴発」として処理された。
魔力測定器をショートさせるみのるの規格外の魔力が、何かの拍子に一気に放出されたのだろう、と。普段の俺が相変わらず火起こしの火種すら出せない「魔力ゼロ」のままである以上、バルガスたちもそれ以上の説明を思いつかなかったのだ。
だが、俺とセリアだけは、あの『奇跡』の正体を正確に知っていた。
「……本当に、私と繋いでいるときだけなんだね」
ルミナスの村の裏手、誰もいない荒れ地で、セリアが頬を朱に染めて呟いた。
「ああ。離すと一瞬で魔力が消えて一般人に戻る。繋ぐと、ほら……」
俺はセリアの小さな右手を握りしめている。
その瞬間、錆びついた魔力のバルブが開き、全身を極上の魔力が駆け巡る。前方に右手を突き出すと、空気の粒子が俺の意志に従って渦を巻くのが見えた。オリジナルスキル『カスタマイズ』の出力表示が、脳裏に【等倍・1.2倍・1.5倍・2倍(以降ロック中)】と明滅する。
手を離す。魔力は氷が溶けるように霧散し、ただの非力な八歳児に戻る。
繋ぐ。また魔力だまりが熱く脈打つ。
「すっごい不便……じゃなくて、バカップルみたいな検証はそこまでにしなさいよ!」
頭上から、花の妖精チルが呆れたような声を落としてきた。
「畑を耕すのにも、木を切り出すのにも、いちいち手を繋いだままなんて動きにくくてしょうがないじゃない! 見てるこっちの自意識が崩壊しそうよ!」
「言われなくてもわかってるよ……。だけど、いつ魔獣に襲われるかわからないし、用心するに越したことはないだろ」
俺は照れ隠しにチルの小言を受け流しつつ、セリアの手を繋ぎ直した。
確かにチルの言う通り、動きにくいことこの上ない。だが、繋いだセリアの手のひらから伝わる確かな熱が、前世高校生としての俺の理性を激しく揺さぶる。
他意はない、これは防衛のためだ、と心の中で何千回目かの言い訳を繰り返した。
それから数日後。
俺たちは日常の消耗品や、開墾作業で破損した道具を買い出すため、村から少し離れた町にある雑貨屋へと向かった。
道中も、安全対策(という名目の羞恥プレイ)として、俺の左手はセリアの右手としっかりと結ばれていた。すれ違う町の人々が「まぁ、仲の良いこと」と生温かい微笑みを向けてくるたびに、俺の胃はきりきりと音を立てて痛んだ。
「青いツバメ亭」
町で最も品揃えが良いとされる雑貨屋の看板をくぐり、俺たちは店内に入った。
埃っぽい木製のカウンターの奥で、退屈そうに肘をついて店番をしていたのは、俺たちと同い年くらいの――黄金色の髪をした少女だった。
「いらっしゃい。何をお探し?」
少女は気だるげに言ったが、その整った顔立ちは、この辺境の町にはいささか不釣り合いな気品を漂わせていた。
「ええと、このシャベルと、あと傷薬を二つ」
俺はカウンターに道具を置き、前世の癖で、懐の革袋から硬貨を取り出した。前世でよく寄ったコンビニの深夜、蛍光灯の下で小銭を数えていた寂しげな記憶がふと脳裏をよぎるが、それを頭を振って消す。
買い物の合計金額は、銅貨二十四枚。
俺は無意識に、お釣りが銀貨一枚(銅貨五十枚分)で綺麗に戻ってくるように、銅貨七十四枚をカウンターに並べた。現代日本のコンビニで小銭を崩したくない時に誰もがやる、あの懐かしい生活の手癖だ。
さらに、お釣りを受け取る際、右手の人差し指と中指でカウンターをトントン、と二回叩いた。前世の日本の居酒屋やコンビニで、店員に無言で「ありがとう」を示す時の俺の悪癖だった。
その瞬間、金髪の少女の動きがピタリと止まった。
彼女はカウンターの銅貨と、俺の指の動きを、まるで幽霊でも見たかのように凝視していた。
やがて、大きく見開かれた青い瞳が、ゆっくりと俺の顔へと向けられる。
「……お釣りは、銀貨一枚、よね?」
少女の声が、微かに震えていた。
「え? あ、ああ。計算が早くて助かるよ」
「その、指の動き……小銭の出し方……」
少女はカウンターから身を乗り出し、掠れた声で囁いた。
「……その手の出し方。それに、受け取るときの指の動き。……まさか、ね。そんなわけがないわ」
少女は自嘲気味に笑ったが、その瞳は激しく揺れていた。
「……え? あ、いや……」
「あなた、名前は?」
「……みのる、だけど」
「みのる……。嘘。漢字で、どう書くの?」
「……『実』、だけど……」
少女の青い瞳から、一瞬で気だるさが消え去った。彼女はカウンターを両手で掴み、信じられないものを見るように俺の顔を凝視した。
「……みのる。実なの? 本当に……実なのね!?」
心臓がドクン、と大きく跳ね上がった。
その名前を、この世界で呼ばれるはずがない。前世の、俺を呼ぶ声。
「え、り……? 絵里なのか!?」
確信した。
目の前にいる金髪の少女エリーは、前世で俺が死の間際にトラックからかばって突き飛ばした、あの幼馴染の絵里だったのだ。
「うそ……本当に、実なのね……! 生きて、ううん、転生してたのね!」
エリーはカウンターを掴む指先が白くなるほど力を入れ、堰を切ったように涙を溢れさせながら、顔を輝かせた。
だが、その歓喜の表情は、一瞬にして凍りついた。
エリーの視線が、俺の「左手」へと注がれたからだ。
そこには、俺の左手を両手でぎゅっと握りしめたまま、警戒するようにエリーを睨みつけているセリアの姿があった。
「ねえ、実」
その青い瞳の奥に、澱んだ暗い影が広がる。
「なんでその子と、ずーっと手を繋いでいるの?」
「あ、いや、これはだな……」
「私……私ね、この世界で、八年間ずっと……実のことだけ考えてた」
エリーの瞳がみるみるうちに潤み、声が震えで掠れていく。
「実が、私をかばって死んじゃって……。知り合いも誰もいない、この埃っぽい雑貨屋の裏で、毎日、ごめんなさいって、ごめんなさいって謝って……。いつかまた会えるかもって、それだけを考えて……生きてきたのに。なのに……」
エリーは一歩、俺に詰め寄った。その小さな肩は激しく怒りと悲しみで震え、涙で濡れた瞳には、狂おしいほどの独占欲と焦りが渦巻いていた。
「なんでその知らない女と、そんなに嬉しそうに手を繋いでるのよ! 実の隣は、私の場所だったはずなのに……っ!」
エリーの涙交じりの非難が、前世の罪悪感を容赦なく抉る。
セリアが俺の前に半歩進み出た。
「イチャついてなんかいないわ! これは、みのるを守るために必要なの!」
「みのる? 実をそんな名前で呼ばないで。それに、守るなら私のほうが先よ!」
「なによあんた!」「実を離しなさい!」
二人の美少女が俺の両脇で激しく火花を散らす。
俺の左手はセリアにがっちり掴まれ、右手はエリーに引き寄せられ、両側から強く引っ張られて痛い。
しかし、その痛みよりも、両手から流れ込んでくる二つの熱い魔力の奔流のほうが、遥かに衝撃的だった。
脳裏に浮かぶ『カスタマイズ』の出力表示。
今度は、左手の【等倍・1.2倍・1.5倍・2倍】に加え、右手の【等倍・1.2倍・1.5倍・2倍】までもが激しく回転し始めている。
さらに、これまで完全に沈黙していた、ダイヤルのさらに奥にある「ロック領域」が、二人の魔力が交差したことで、パチパチと青い火花を散らして揺らいだ。
(まさか……両手で二人と繋いだら、この2倍制限のロックが……解除されるのか?)
その驚愕の事実に気づいたが、目の前の修羅場はそれどころではなかった。
「ちょっと、実! はっきりしなさいよ!」
「みのる、この泥棒猫を何とかして!」
最強だけど、世界一やきもきする俺の異世界生活は、どうやらここからが本当の地獄(三角関係)の始まりのようだった。




