38話 ケイコへサバイバル報告
「P!しばらくだったわね・・・山の中での生活はどうだったかしら?」
ケイコが大きな声を出し、家の玄関で迎えてくれた。
「はい・・・大変でした・・・」
1ヶ月の長い旅行から帰ってきた様な気分になっており、帰ってきた安心感から疲労がドッと湧いてきており、もはやクタクタだった。
「そう・・・とりあえず先にお風呂に入りなさい。お湯を沸かしておいたわ」
そう言うと、軒先の方に指をさした。コウジの家は浴槽がなく、代わりにドラム缶の下から薪でお湯を沸かす、いわゆる五右衛門風呂だった。この家にきた当初は困惑していたが、今ではそんなドラム缶を改造したお風呂ですらも贅沢な物に感じた。
「ありがとうございます・・・やっと温かいお風呂に入れる・・・」
そう言いながら、よろよろとお風呂の方面に向かっていった。
「あなたはPの後でいいかしら?」
「ワシは構わんよ・・・1ヶ月の山籠り程度、やったうちに入らんからのぉ・・・」
そう言うと、着ていた汚れたつなぎを脱いで、畑仕事などでついた泥を落とす用の洗濯槽に放り込んだ。
「それにしても桃子のやつ・・・クマ吉と戦ったみたいじゃぞ?」
「っ!・・・あの子が1人で?」
意外なことを聞き、冷静な口調ではあったが驚いた様子だった。
「そうじゃ・・・驚いたじゃろ?ワシも最初聞いた時は驚いたわい」
そう言いながら、ケイコが持ってきた緑茶を啜っていた。
「たしかにワシがクマ吉を桃子に襲うように、というかじゃれ合いをしに行くようにけしかけたが・・・まさかナイフで返り討ちにするとは意外じゃったわい。クマ吉も災難じゃったのぉ」
「あの子・・・そんな度胸があったかしら?」
「なんでも・・・何回も襲われたから成り行きでやったみたいじゃぞ?」
「それにしてもすごいわね・・・いくらあなたが昔保護したクマで、人を襲わないとはいえ・・・Pはそのことも知らないんでしょ?」
そうケイコが尋ねながら、自分で用意した緑茶を啜っていた。
「もちろん教えとらんよ・・・それにしてもクマ吉のやつ、前より随分と大きくなってたわい。去年はまだ子グマじゃったのに、保護した頃が懐かしいわい・・・」
以前、町に降りたクマをハンターが駆除したのだが、子連れだったため子供も駆除対象だったことで、山の中にハンターと一緒に入った時に出会った子グマが、クマ吉だった。
「いまだに不思議だけど・・・なぜあの時に駆除しなかったの?仕事で殺すことなんて誰よりも慣れてるじゃない」
「・・・分からんよ。なんでじゃろな?」
そう言うと、空になった湯呑みをジッと見ていた。
「ワシがクマ吉を発見した時は無邪気に甘えてきおったんじゃ・・・母クマがいなくなって寂しかったんじゃろうなぁ。あくまで駆除は害が発生するからという理由じゃったから、殺す必要もないじゃろうと思ってのぉ。もちろんそんなことは理由にならんのは分かっておるんじゃが・・・」
「昔と違って、どんどん甘くなっているわね・・・」
初めて出会った頃のコウジを思い出しているかのように、懐かしむような言い方をしていた。
「今までは自分の平和を守るためにやっていたからのぉ・・・平和を守ることとは関係のない殺しは妙に好かん・・・こんなワシを見てお前は失望するか?」
「別に・・・今は裏業界から一応引退してるんだから関係ないでしょ?これからは残り少ない人生を自由にしたいって言ってたじゃない。あなたがそう言うのなら私はそれに付いていくだけよ・・・お茶のおかわりいる?」
そう言うと、コウジは小さくお茶のおかわりをケイコに求めるように小さく頷いた。
「ケイコよ・・・改めてありがとうな・・・」
「急にどうしたの?」
そう言いながら、ケイコはおかわりのお茶を急須から注いでいた。
「ワシがこうやって好き勝手に感情的に生活ができるのはお前のおかげじゃて・・・お前が現役の頃のように今でもきっちりとやってくれてるから安心して自由気ままにやれておる」
「そんなことないでしょ?私は長く裏社会を生きていくために培ったこのスタイルが一番楽だからそうしてるだけよ。あなたみたいに喜怒哀楽の感情を出して生活をすることなんて、私にはできないわ。あなたは感情を作るためにたくさんの努力をしたでしょ?」
そうケイコが言うと、視線がテレビの方を向いていた。
クマ吉を救助し、二度と人里に降りないよう、クマ吉に教育をしたその日からは、小説、映画、漫画、テレビと、人が作った物語に積極的に触れていった。
コウジは感受性を遅いタイミングから育もうと積極的に取り組んでいた。人生をより広い視点で見て、より豊かにするために必要であると感じていたからだった。一つの生命と安全な土地である日本で触れ合ったことがきっかけだったのだろうか、それは当の本人にも分からなかった。
「昔のあなたは、私以上にロボットのように完璧に任務を遂行する男だったじゃない。そんな人がここまで感情が出せる様になるなんて、そもそも努力だけではできないことだと思うわ」
「そうかのぉ・・・?お前もできると思うがのぉ・・・」
「ムリよ。多分あなたは昔から心の底では感情的に生活がしたいと思ってたのよ。私はあなたほど我慢強くない・・・だからムリなの」
ケイコにとっては小説、映画、ドラマのような、人が作った物語に触れることが苦手だった。現実に人の生き死にを間近で見てきたからこそ、映像の中で表現されている生き死にがいかにもちっぽけに見えていた。
もちろん、恋愛物も幼少期から触れてこなかったせいで全く興味も共感も持てなかったし、性行為はあくまで任務を遂行するための男を籠絡する手段としか考えていなかった。人の作ったものを見る時間というのは、ケイコにとってはただの我慢の時間でしかなかった。
もちろん、同じかそれ以上の経験をしているコウジがなぜ、苦痛に感じることなくそれらの物を進んで見れるのか分からなかったし、自分にはできないことを難なくこなしている様子を見て、尊敬している部分もあった。
「・・・お前は十分強いじゃろ。国内じゃお前に勝てるやつはおらんぞ」
「そう言う意味じゃないわよ・・・そもそもそんな感情的に生活したいとも思わないわ。商店街で愛想笑いを作るのもすごく大変なのに・・・」
そう言いながら、ケイコは真顔で自分の頬をマッサージする様に揉んでいた。
「ケイコ・・・それとこれとは少し違う気がするがのぉ・・・」
「あらそうなの?でも・・・あなたが感情的に自由に生活してる姿を見てるだけで、私は十分満足よ・・・人の作った物語を見るよりも、目の前の物語の方が信用できるし、楽しいものね」
相変わらず真顔でそう言いながら、空になった湯呑みを流しに持っていった。
「それにしてもクマ吉のやつ大丈夫かのぉ・・・毒の塗ったナイフが頭に刺さったそうじゃから」
「・・・すごいわね。Pはどうやってそんなことしたのかしら。私でもなかなかできることじゃないわよ。ちゃんと毒も仕込んだことを見るに、行き当たりばったりではなく計画的に見えるわね」
「うまく作戦を練ってやったそうみたいじゃのぉ・・・もしかしたら桃子は戦闘センスが相当あるかもしれん・・・とりあえず、今度クマ吉の様子でも見てやろう。あのガタイなら死ぬことはまずないと思うがのぉ」
「周りの環境を利用して、ベストの選択をするのは裏社会を生きていく上で一番大事なセンスよ。それを一番最初の山籠りで出来ているのなら、たしかに見込みあるわね・・・」
ケイコは無表情だったが、感心したような様子だった。
「さて・・・明日からはお前が桃子のコーチをするはずじゃが・・・やることは決まっておるのかのぉ・・・」
「大体のことは決めてるわ・・・主に体力と精神力を鍛えつつ、銃火器の扱いと戦闘する上での座学もするわ。センスがありそうだから容赦なくやるわよ」
「・・・お前、ほどほどにやるんじゃぞ?ただでさえおっかなく思われてるんじゃから」
「・・・誰が誰をおっかないと思ってるの?あなた・・・Pに余計なこと喋ってないわよね?」
桃子の本心を初めて聞いたケイコは、コウジから変な影響を受けたのではないかと疑った。
「な、何も・・・」
「私、陰口が嫌いなの知ってるでしょ?言いたいことがあるなら目の前でハッキリと言いなさい」
その言葉を聞いて、山に入る前に桃子と一緒に、ケイコが怖くてビビっている話を2人で面白おかしくしていたことを思い出し、嫌な汗が出てきていた。
「・・・お風呂上がったようじゃから、入ってくるわい」
そう言うと、コウジは聞こえないふりをし、逃げるようにお風呂に向かった。




