番外編Ⅲ-①
盛大に催された王宮舞踏会──。
幾千もの灯りを宿したシャンデリアがきらめき、ホールには新たに社交界へ踏み出した若い男女が初々しく舞っていた。
祝福に満ちたその空間で、私はワイングラスを手に、少し離れた一角から目を逸らせずにいた。
――婚約者が、大勢の令嬢たちに囲まれている。
彼は昔から人当たりがよく、誰にでも気さくだ。
それを嫌というほど分かっているのに、他の女性へ向けられる笑顔を見るたび、胸の奥がざわつく。
「……なによ、楽しそうにしちゃって」
何を話しているのかは分からない。
けれど、あの笑顔を見ていると、まるで自分の居場所を取られたようで落ち着かない。
気持ちを誤魔化すように、私はワインをぐいと飲み干した。
そのとき、背後から穏やかな声がした。
「――あれは、リオネルかな?」
その声に振り向けば、オーティスが近づいてきた。
私は思わず背筋を伸ばし、反射的にスカートの裾をつまんで一礼した。
「王国の若き太陽にご挨拶申し上げます、王太子殿下」
「そんなに畏まらないでくれ。先ほども、我が親友を伴って挨拶に来てくれたじゃないか」
そう言って彼は、自然な仕草で私の隣に並んだ。
昔と変わらない距離感で、優しい笑みを浮かべたままホールを眺める。
「賢い君がリオネルの伴侶になってくれたら、私も安心するよ。……結婚式には呼んでくれるよね」
穏やかな声音なのに、心臓がひときわ強く鳴った。
彼の記憶からは、あの忌まわしい出来事も、イザベルへの想いも消えている。なのに、目の前の優しい笑みがどこか痛々しく感じられた。
「もちろんです。王太子殿下が直接祝ってくだされば、彼もきっと喜びます」
「……そうか。なら、良かった」
ふっと目を細めるオーティスは、もはや別人のように落ち着いていた。
レイリンの術によって記憶を封じられた今、彼は以前とは違う新しい時間を生きている。
もう──何も覚えていない。
「それでね、イザベル。後日、少し時間をもらえるかな? その……レイリン王女殿下に手紙を書いたんだけど、ウ・ランカ語は自信がなくてね。間違ってないか確認してほしいんだ」
「……分かりました。私でよろしければ」
「助かるよ。あと、彼女に贈るプレゼントも一緒に見てほしいんだ」
彼の嬉しそうに弾ける笑顔に頷いた、その瞬間――会場の反対側から、強い視線を感じた。
振り向けば、令嬢たちの輪を抜けたリオネルがこちらを見ていた。
眉間に皺を寄せ、目の奥に嫉妬の色を宿して。
……なによ、自分だって囲まれていたくせに。
そう思って視線を逸らすと、リオネルは真っ直ぐこちらへ歩いてきた。
「……ずいぶん楽しそうだな、二人とも」
「やぁ、リオネル。向こうのご令嬢たちはいいのかい?」
「婚約祝いの言葉をもらっていただけだ。それよりオーティス、俺の婚約者だからといってあまり親しげに近づくな。誤解されたら困る」
怒りを含んだ声色に、オーティスは少し驚いたように目を瞬かせた。
──恋敵でなくなった今、リオネルが彼に警戒する必要はないのに。案の定、オーティスは嫉妬する親友を見て、堪えきれず笑い出した。
「あはは、あのリオネルが嫉妬を! よほどイザベルのことが大切なんだね」
「……うるさい」
赤くなった頬を隠すように、リオネルは私の手を取った。
「行くぞ、ベル」
強く握られた手の温もりに、胸の奥がじんわりと満たされる。つい先ほどまで、令嬢たちに嫉妬していた自分が馬鹿みたいだ。
私たちはホールを抜け、夜風の吹き込むバルコニーへと出た。
星の瞬く静寂の中、リオネルが息を吐いた。
「……オーティスには近づくなって言っただろ」
「向こうから近づいてきたのよ。それに記憶は封じたから平気よ。今は以前のイザベルのことなんか眼中にないわ」
「それでも、だ。……何が起きるか分からないだろ」
そうやって私のことになると、なりふり構わず心配してくれる彼に、愛しさがこみ上がる。
私は口元を緩め、リオネルの肩に寄りかかった。
夜風が、花の香りを運んでくる。
舞踏会の熱気が遠のくにつれ、ひんやりとした空気が肌に心地いい。
その中で、リオネルの手が私の指を包む。どちらからともなく距離が縮まり、額が触れそうなほど近くなった。
「……お前を一人にするんじゃなかった」
その低く甘い声に、体の芯が震えた。
彼の手が私の背中をなぞり、首筋に唇を押し付けられると思わず息が漏れる。
「リ、リオネル……っ、ここ外よ……!」
「誰も来ない」
「そんなこと言って……!」
「愛してる、ベル」
さっきまで嫉妬で顔を曇らせていた人とは思えない。
金色の髪が月の光を受けて輝き、私の視界を埋め尽くした。その美しさに見惚れていると、不意に笑みがこぼれる。
「……なんで笑うんだ」
「子供みたいに拗ねてたくせに、もう調子に乗ってるからよ」
言葉を交わすたび、私たちの距離が近づく。
唇が軽く触れて離れると、リオネルがふいに目を細めて囁いてきた。
「……やっと、許可が下りたんだ」
「え?」
「前に話してただろ、婚前旅行のこと。グラント公爵がようやく許してくれた」
一瞬、時間が止まったように感じた。
何のことか思い出そうとして、自分だけが忘れていたことに気づく。それなのに、リオネルはずっと許可を取り続けてくれていたのだ。私の父から。
「でも、リオネルの方が忙しいのに……」
「忙しくても行くさ。ベルと一緒なら、何よりも優先したい」
私よりずっと忙しく駆け回っているのに、偽りのないまっすぐな眼差しに嬉しくなる。
「だから、もう少しだけ……こうしていていいか?」
「……ええ」
寄り添うようにして、今度は私の肩にリオネルが頭を預けてくる。
恋人同士という言葉だけでは足りない、深い絆がそこにあった。
「やっとお前を独り占めできる」
「それは、私も──」
すべてを言い終わらないうちに、唇が塞がれる。
月明りの下で触れたその口づけは、誓いそのもののようで熱かった。
皆さんお忘れでしょうが、コミックス⑤巻は本日発売です!!
累計23万部突破、ありがとうございます!
皆様のおかげです~感謝!まだまだ続けられるように頑張ります。
原作より糖度のあるコミカライズをどうぞよろしくお願いします。





