第三十四話 少女は聖女
空間に穿たれた穴は何かを待つように揺らめく。
行きの分はギリギリ足りる感覚だと何かを吐き出そうと穴がその内側を外に押し広げ始める。
エウクレイデスの置き土産。彼が神に会おうとした通り道。
リーベはそんな穴を見つめる。
歪んで崩れて混ざっていく世界を優しく見守るように。
「リーちゃん本当に大丈夫かな。大丈夫だよね?」
「セト。あんな子供が吾輩らのために頑張ってくれているのだ。信じてあげるようではないか」
セトはリーベが大丈夫なのかと心配でたまらないようだ。
いつもアズラは心配性だと思っているくせに、自分も同じように心配している。
アズラはそんなセトを見て、何故か安心していた。
リーベならうまくやる。
そんな信頼のようなものが感じられた。
穿たれた穴に明確な変化が現れた。
青白い光を吐き出し始め、その穴が大きくなっていく。
まるで、リーベを飲み込もうとしているように見える光景だ。
リーベが目を瞑り祈り始めた。リーベの体からも青白い光が溢れてくる。
二つの光が混じり合い互いを確認するように周囲を包んでいく。
穴の奥から青白い腕が伸びてきた。
何本も奥から現れリーベの手足を触っていく。
セトとアズラが思わず武器を構えかけたが、ヴェヒターの制止で収める。
「ヴェヒター様あれは?」
「あの手はセフィラです。白い世界。我々、ジグラットがセフィラ界と呼ぶ世界の住人です」
「ヴェヒター様の使役されているその白い騎士と同じなのですか?」
「そうです。正確には協力してもらっているといった方が正しいでしょう。セフィラと私たち神官は契約によって一体となり共に主に仕えるパートナーとなるのです」
神官たちが使役する主の眷属セフィラが住まう世界。
あの穿たれた穴は、セフィラ界とセトたちの世界を完全に結び付けていた。
青白い腕は下位のセフィラだ。
彼らが出てくる分には危険はない。
問題なのは最上位のセフィラが出現した時だ。
ビナーと同等の存在。
町一つ軽く滅ぼす存在。
その出現を阻止する。
「ふふ、こんにちは」
リーベが下位のセフィラに声をかける。
話しかけられたセフィラたちは嬉しかったのか腕をクネクネと捩じらせた。
「彼女はやはり・・・」
リーベを見守っていたヴェヒターの目が鋭くなった。アズラはその僅かな変化に感づく。
敵意でも悪意でもない。何かを見つけたと思っているのか。
ヴェヒターの考えは分からないが、今はリーベの無事を祈る。
しばらくすると下位のセフィラたちが穴の中に戻っていった。
穿たれた穴はいまだに揺らめいている。
穴の周囲の青白い光が強さが僅かだが輝きを増す。
リーベが目を開いた。力強く穴を見る。
穿たれた穴が異常に輝きを増した。
穴より、一体のセフィラが降りてくる。
美しい純白の翼に、透き通る白い肌の女性を思わせる体。
上位セフィラの中でも更に特別な、最上位に次ぐ存在。
その一体、イェホバ・エロヒム。
ビナーと同じく目や口、鼻のないのっぺらな顔をしている。
イェホバ・エロヒムはリーベの前で跪きはっきりと聞こえる人の言語を話した。
対話が始まった。
(接触。光栄。契約。条件。提示)
「ううん。今日はお願いがあって来てもらったの。この穴を塞いでほしいんだけどいいかな?」
リーベがイェホバ・エロヒムに穴を閉じてもらうように頼んだ。
(可能。条件。提示)
「むー。今渡せるようなの持ってない」
イェホバ・エロヒムは穴を閉じるのに対価を求めているようだ。
リーベは今、対価を支払えるものを持っていない。
そもそも、何を支払えば対価となるのかが分からない。
「ヴェヒター様。セフィラには何を対価として渡せば」
「セフィラとの契約時に支払う対価は基本として自身の寿命や肉体の一部になります」
「それはダメだ! リーちゃんが何かを失うなんて!」
「あくまで基本です。例外もある」
みんなが心配する中、リーベはウーンと考え込んでいる。
貰って嬉しいもの、楽しいもの。
頭からプスプスと煙が出てきそうな感じになっていた所、あるものを思い出した。
「マルク! 甘いお菓子残ってる?」
「お菓子ですかね? ありますが何に使うので?」
「この子にあげるの」
マルクから菓子店フルーティフルールで購入したお持ち帰り用のお菓子を拝借すると、リーベはそれをイェホバ・エロヒム見せた。
「はい! わたしの大好きなもの」
(疑問。不純物。再考)
「むー。お菓子は美味しんだよ。食べてみて」
(不可。摂取。再考)
「ぶー! 分かった。わたしが食べる」
お菓子はいらんといわれたリーベが拗ねて自分で食べ始めてしまった。
ヴェヒターは心配になってきた。というより、セフィラにあんな失礼な態度を取るとは神官としては目眩がしそうだ。
(興味。不純物。摂取。幸福)
「うん! おいしいよ! でもあげない。いらないっていったもん」
ヴェヒターは本気で心配になってきた。自分から交渉を打ち切ろうとしている。
そもそも、あれは交渉なのだろうか?
(興味。摂取。可能。構築)
「もぐもぐ」
のっぺらな顔に小さな可愛らしい口だけちょこっとつけて、リーベのマネをする。
イェホバ・エロヒムが口を用意したから食べれるよアピールを開始したのだ。
具体的には食べるマネだ。
リーベがほっぺに手を当てんー! な感じで悶えると、イェホバ・エロヒムもほっぺに手を当てんー! な感じで悶えている。
最初の神々しいイメージが何処かにいってしまった。
(提示。条件。摂取。オ・カ・シ)
「・・・うーん。わかった。はい」
お菓子を食べることが対価に格上げされた。ヴェヒターは目を見開き驚愕の視線を向けている。
アズラはそんな神官様はほっておいて交渉が上手くいったようだと胸をなでおろした。
イェホバ・エロヒムはリーベから受け取ったお菓子を不思議そうにマジマジと目のない顔で見つめている。
可憐な手で摘みパク! と口の中に放り込んだ。
モグモグとその頬が上下する。
(!)
ピクッ! とイェホバ・エロヒムが固まった。お口に合わなかったのか、何やらプルプルしている。
スッとリーベの方に手が伸びる。
リーベはニコッと微笑みながら二つ目を渡すと、貰った瞬間にパク! と口の中に放り込む。
(モグモグ。幸福)
「ね! おいしいでしょ。今度一緒に食べに行こ」
(条件。承諾。モグモグ)
この契約はセフィラを呼び出せるという契約だ。呼び出す条件はお菓子をあげること。
ヴェヒターは何故か自分の手を眺めている。彼もセフィラと契約しているので何かを対価として支払ったのだが、何を支払ったのだろうか。
まあ、それは置いておいて無事に穴を塞ぐ約束を取り付けた。
対話が終了した。
早速、お菓子を食べ終わったイェホバ・エロヒムが穿たれた穴を青白い光で完全に覆い。
空間の歪んだ部分を元に戻しながら穴を急激に小さくしていく。
人にはいまだに元に戻す術が無いのに、イェホバ・エロヒムはあっという間に穴を消していく。
もしかしたら人にも秘術か何かである可能性もあるかもしれないが、おいそれと使用できないのが実情だ。
ものの数分で穴が完全に消滅した。残ったイェホバ・エロヒムはリーベからお菓子を数個貰い消えていく。
エウクレイデスの置き土産である穿たれた穴は消え。
これで、本当にエウクレイデスとの闘いが終わった。
ズタボロのセトたちだが誰一人欠けることなく勝利したのだ。
セトはアズラに肩を貸して貰い、空腹で動けないエリウはルフタに背負われていた。
ヴェヒターやマルクたちも帰路に着こうとする。
その時、ガチャンッ! とマルクが何かを蹴った。固い金属のような物。
マルクはそれを拾い上げる。
「術式機械? 何故こんなものが落ちているんだね? まあ、いい戦利品か。後で分解するとしようかね」
マルクが拾ったのは、彼の研究分野である術式機械の小型の物だった。
誰かが持っていた物なのか、エウクレイデスたちが強奪した物なのかは分からないが調べてみる価値はあるだろう。
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ベスタ公国首都ウェスタに戻って来た。
セトとアズラにとっては3日ぶりだ。
ルフタたちはもっとだろう。
数台の馬車に揺られながらセトたちはシェレグ城に向かった。
エウクレイデスたちに囚われていた人たちを保護し、一旦首都ウェスタに連れてくることにしたのだ。
出迎えてくれたのは、フローラとウィリアム公爵だ。
セトとアズラを見るなりフローラは頭を深々と下げた。
「本当に、本当に申し訳ないですわ。お二人を死地に赴かせてしまうなんて。これも全てはわたくしの未熟さ故。弁論の余地もありませんわ」
「そ、そんなことないよ。引き受けたのは僕たちなんだ。荒事になるのも分かってたし」
「そうよフローラ。だから顔を上げて」
二人はフローラのフォローに入る。妥協を許さない彼女は自分の判断で人が死ぬのも許せないのだろう。
ヴェヒターから長距離通信用魔晶石で連絡が入った時、今回の事態の大きさとセトたちが尋問されていたことを知った。
だから、死地に向かわせてしまったと死ぬ思いをさせてしまったと罪悪感にフローラは打ちのめされていた。
「いえ、せめて何か謝罪をさせてもらえないかしら。そうでないと、わたくしの気持ちが収まりませんの」
「そう言われても・・・。うーん、どうしようアズ姉?」
「私たちもフローラのせいだとは思ってはないから・・・」
帰ってくるなり3人で頭を抱えてしまった。
3人が悩んでいる間、ヴェヒターは自分の仕事は果たしたとウィリアム公爵に報告している。
「そうか・・・、周囲の村が占拠されていたのか」
「はい、かなり用意周到に計画されていたようです。あの大量に購入されていた武器も詳しく調査した方がいいでしょう」
「武器は、やはりエウノミア公国製だと思われるか?」
エウノミア公国。
カラグヴァナ王国の属国でありながら反乱を起こした国。
同じ属国であるベスタ公国も反乱に巻き込まれる可能性は高い。
今回の件も首謀者エウクレイデスが一人で起こしたとは考えにくかった。
裏に支援者もしくは組織がいる。
ベスタ公国に混乱が訪れて喜ぶ者。
それがまだ闇に紛れて隠れている。
「確証は出来ませんがおそらくそうでしょう。今回の件でベスタ公国を警戒態勢にさせ無駄な国力を使わせる。武器の売り買いに規制を入れさせ相対的に軍事力の低下を狙っている。どちらにしても、今は下手に動くべきではありません」
「その通りだな。気を付けよう」
ヴェヒターが一礼し去っていく。ウィリアム公爵はふとベスタ公国支部の今後が気になった。
「ヴェヒター、支部の再建だがお前が担当するのか?」
「はい。しばらく滞在することになると思います。また、何かあれば支部の方まで連絡をお願いします」
ヴェヒターはセトたちに別れを告げずに去っていった。彼にとってはこの件はまだ終わりではない。
腐敗した組織を立て直さないといけないのだから。
問題は山済みだがヴェヒターなら大した障害にもならないだろう。
さて、3人はまだ悩んでいた。
セトたちは報酬だけくれたらいいのだが、フローラが嫌だ謝ると引かない状態だ。
そんな彼らの所にルフタがやってきた。
「お初にお目にかかる吾輩はルフタ。お前さんが公女様ですな。折り入って頼みたいことがあるのだが聞いてもらえるだろうか」
「何でございますの?」
ルフタは公女の反応を見て安心する。カラグヴァナ王国とその属国では亜人は奴隷という差別が存在する。
亜人が貴族や王族に話しかけるのも禁止されている所もあるほどだ。
ここベスタ公国はほかと比べてマシな方だが、公女のおかげかもしれない。
「実は、エウクレイデスたちに囚われていた者の処遇についてなのだが、どうか職を下さらないだろうか? 元奴隷の者もいるゆえこのまま解放しても悲惨な人生を歩む可能性がある」
「それは難しいですわ。一人にでも職を与えてしまうと次々と支援を求める者が集まってきますの。その者たち全員を必要とする事業でもあれば別なのですけど」
「やはりダメであるか。いや、無理をいって失礼をした」
ルフタは残念そうに立ち去ろうとする。
セトもなんとかしてあげたいが、囚われていた人たちは全員で70人弱もいる。
全員の面倒を見るのはとても無理だ。助けたのはいいがその後どうするかという問題が彼らに圧し掛かっている。
すると、アズラがハッ! とした顔をした。何かを思いついたのか。
「フローラ、助けた人たちの仕事だけど」
フローラはそう来ましたのねとちょっと苦笑いしながら聞く。
「私たちの使用人として契約できないかしら。奴隷の身分から使用人に上書きして欲しいの」
「?? 出来ますわ。でも、なぜ、そんなことを?」
「奴隷だと報酬が貰えないでしょ。だから、私とセトが使用人として雇って、働いたら報酬を貰えるようにするのよ。丁度、ピントさんの案件があるわ」
フローラは感心する。70人弱一括で使用人として雇い、人手がいるピント商会の仕事を受けるというのだ。
セトたちだけでは手が足りないこの仕事もこれだけの人数がいれば問題なくこなせる。さらに、使用人として雇うことで奴隷の烙印を消そうというのだ。
フローラは彼らの保証人になればいいと。
「分かりましたわ。彼ら全員を一級市民として迎え入れますの。職業はアプフェル姉弟の使用人ですわね」
「ありがとうフローラ!」
(わたくしはまだまだ甘いのかもしれないですわ)
フローラはそう思いつつアズラとセトを見ていた。こんなことで許してもらった気になっていると。
彼女の性格もあってかセトたちの優しさをそのまま受け取ることができないのだ。
「フローラ、ありがとう。これでルフタさんとエリウも喜ぶよ」
「いえ、これでいいのなら。あら? ・・・ふふ、ありがとう、セト」
「?」
3人目。時間がかかったがようやくセトから本当の名を呼んでもらった。
身分も何もついていない名。
中庭から飯ニャー! という声が響く。
セトたち姉弟も明日からは70人弱の使用人を抱えることになる。彼らのために仕事を取ってこなくてはならない。
でも上手くいけば、大きな組織になれるかもしれない。
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・・・、
・・・、
・・・、
誰も来れない、たどり着けない場所で何かが聞こえる。
「して、かの者はどうであったか?」
「はい。因子を持っておられます」
暗闇で声が二つ。一つは年老いた、もう一人は若い声だ。
「あやつめ・・・、あえて報告せんかったな。優しすぎるのも問題じゃの」
「一つ問題がございます」
「なんじゃ申してみよ」
「クリファ制御技術が奪われた可能性があります。疑わしきエウノミア公国に進軍する許可を」
「ならん。エウノミアはカラグヴァナに任せるとの決定だ。技術の一つや二つくれてやれ」
年老いた方は少し不機嫌に答えた。自分も若い声の者と同じ意見だと。
「軍は完全に七星が掌握しておる。余の声も届かんわ」
「因子を持つ者はいかように?」
「あえて籠に入れる必要もあるまいて。側にいる者に委ねよう」
年老いた声は監視せよと告げている。権力の奪い合いがその日常の全てを占めた世界で生きている者は狡猾に告げる。
「引き続き頼むぞ」
二人の声の主は暗闇に消えていく。
歴史にすら乗らない闇の奥で何かが胎動する。
第二章完結です。




