3話 荒
『それはそうと、梔子クンに聞いたぜ』
まるであしたにでもいなくなるかのように嘯いておいて、相変わらずの減らず口。
拍子抜けするほどなにもなく数週間が過ぎて本格的な秋も近づいてきた九月下旬、南戸との定期連絡――じつはとっていたのだ――を終えて通話を切ろうとしたとき、雑談が始まった。
『文化祭でのクラス展示のタイトル、【サブンカル展】になったらしいじゃねえか。久栗クンが考えたんだってな』
「……南戸、その話題はやめるんだ」
『オヤジギャグとは泣かせてくれる。いつからこの街は秋すっとばして冬になったんだ?』
「いいかそのお喋りな口を閉じるんだオーケイ?」
『おお、今日は冷えるな。まさに寒んカルチャー』
「涙の落ちる音が聞こえないのか」
『涙も凍る気温ってことか。久栗家近辺の知り合いに風邪ひかねえよう気を付けろと忠告しておこう』
「背筋も凍る仕打ちだ。弱い者イジメはやめろって言われなかったか」
『言われたがどうだっていうんだ』
「厳しい批判と世間の目を浴びる」
『アタシはそんな圧力には屈しない』
「屈しろよ」
『キミもそうやって数の暴力で他人の価値観を捻じ曲げようとするやつだったのか。卑怯者め』
「なんで俺が悪いみたいになってんだよ」
気を抜いてたら倫理観がいつのまにか迷子になる。
こっちは油断大敵。
むこうは悠悠自適。
『それで、梔子クンの展示の準備はどうだ?』
「俺と梔子の、だろ。まあ可も不可もなくって感じだろ。白々雪のおかげで何してても目立たねえしな」
『アタシは位置づけを聞いてるんじゃあねえぞ少年』
「わかってるって。梔子がやりたかったのは古典作品らしいけど、さすがにサブカルチャーじゃないしな……まあ最近は漫画でも古典作品扱ったのあるからよかったよ。梔子も初めて知ったみたいだし、新鮮なんじゃねえか色々」
もちろん、クラスメイトたちと一緒になにかするのも。
ちなみに文化祭は明後日。教室は今日すでに展示用につくり替えている。全員分の展示スペースを確保するために苦労したが、なんとかなった。
おかげで教室の壁が三面本棚になったけど。
『それならいいが……しかし久栗クン、やけに楽しそうじゃねえか』
「そう見えるか?」
『ここからじゃキミの顔は見えねえが、耳ではそう聞こえるぜ。まるで好きな子と一緒に展示ができてご機嫌麗しい小学生のようだ。初恋したか』
「バカにしてんのか」
『アタシなりに褒めてるんだが』
「どのあたりが?」
『馬鹿みたいに純情だなと思ったんだ』
「バカにしてるじゃねえか」
『しまったアタシとしたことが』
「ちくしょうわかってたけど腹立つ」
電話の先でケラケラ笑う南戸。
「でもまあ、テンションあがってるのは否定しねえよ。恋うんぬんは抜きにしてな」
『ほう。珍しいじゃねえか停滞主義者クン』
「なんかこう、うれしいだろ。大事にしてる友達がようやくクラスに溶け込んできたって」
『恋心じゃなくて親心だったか。ってことはその反面、少し寂しくもあるんだな』
「それも否定しねえよ」
『……キミはつまらない男になったな』
「うるせえよ」
『アタシなりに褒めてるんだが』
「どのあたりが?」
『ものすごくつまらない男から、つまらない男になったなと』
「それもバカにしてるだろ」
『バレたか。最近の玩具は賢いな』
「おい本音が漏れてるぞ」
どう扱われようともはやどうでもいいが、せめて生存権くらいは認めてほしいものだ。
そのあともしばらく雑談をしてから南戸との通話を終えた。
すこしだけ考えごとをして、ベッドに横になる。
俺は文化祭を楽しんでる。平凡に、平和に。
そこにたいした意味はない。南戸に言ったとおり梔子のこともあるけれど、つまらない授業を受けなくていいしクラスがまとまっている雰囲気も悪くない。
楽しいから、楽しめてるんだ。
梔子はどうだろう。
あいつの無表情からは楽しいのかどうかはわからない。
そもそも楽しいって感じれるのだろうか。
もしそれを感じることができたとすれば、文化祭に参加した意味は大きいんじゃないか。
あした聞いてみよう。
そう思って、俺は目を閉じた。
口 口 口 口 口
……甘かった。
それは腐りかけの果実と似ている。
甘いほど柔らかく、崩れやすい。
つねにうまくいくことなんてありはしない。足りなかったのは注意力か、それとも運かはわからないが。
「なんスか、これ」
「見たまんまだ」
俺が登校したときには、すでにこのありさまだった。
きのうの放課後、全員で残って懸命につくりあげたクラス展示がぐちゃぐちゃに荒されていた。
手製の本棚はへし折られ、展示物は踏みにじられていた。
まともに残っている作品はない。
クラスメイトたちが呆然と立ちすくむなか、俺は視線を走らせる。
盗られた物は……おそらくない。
教室の鍵はかからない。やろうと思えば誰にでもできるが、やる理由がないだろう。
すぐに担任が駆けつけて顔をしかめた。俺たちにとっても嬉しくない出来事だが、教師にとっても頭痛の種になるだろう。同情する。
担任がしかめっ面でクラスメイトたちに片付けるよう指示しているなか、俺は隣に問う。
「白々雪、おまえはどう思う?」
「……不可解な点がふたつほどあるッスね」
「なんだ?」
「ひとつは、本棚の壊れかたッス。木の板を切って組み合わせただけの単純なものッスけど、壊されてるのは棚板だけッスよね。支え板や基盤はいっさい壊されてないところを見るに、壊した何者かはただ壊すためにこの教室を荒したわけじゃなさそうッスね」
なるほど、たしかに展示品を置く場所だけが壊されている。
「それで、もうひとつは?」
「あとひとつは展示物の壊れる順番ッスかね。破片や本の残骸をよく見てください……教室の前方にあったものほど下にあり、後方にあったものほど上に重なってます。目的いかんによりますが、荒した犯人にとっては前方のほうが重要視してた可能性が高いッス」
もちろん誰の展示物がなにでどこにあったのかなんて、俺は覚えていない。さすが白々雪といったところか。
一瞥しただけでそれだけの推察ができるのは白々雪ならではだろう。
感心するが、それよりもまあ片付けを手伝うべきか。探偵の真似事をしていてもクラスメイトからうざったく思われるだけだろう。
俺と白々雪もほうきとちりとりを持って、片づけに加わった。
急遽ホームルームが開かれたのはいうまでもない。
本来なら、今日は文化祭の最終準備の日だ。出欠確認だけとって、各自部活やサークルのほうへと顔を出す予定だった。俺はもちろんクラス展示以外に参加しないので、すぐに帰るつもりだった。
担任が神妙な顔つきで、この教室の惨事に心当たりがある者がいないか聞いてきた。
重い沈黙。
誰も何も言わない。本当に知らないのか、言えないのかは推し量ることはできない。
しばらく無言の時間が続いたとき、担任がぽつりとつぶやいた。
「今日の朝、一番はやく登校したのは誰だ」
「たしか、梔子さんです」
と、クラス委員の女子生徒が手を挙げる。
俺はそこでハッとした。
一番前の席に、見慣れた小さな背中は――なかった。
「そういえば梔子はどこにいったんだ?」
担任が訝しむが、クラス全員が首をひねる。
俺も登校してきたとき、廊下でぽつんと佇む梔子の背中を見た気がする。
「白々雪、おまえ見たか?」
「ええ。片づける前までは廊下にいた記憶があるッス」
「澪は?」
「わたしも廊下で見たよ」
「じゃあどこいったんだ、あいつ」
なんとなく、いやな予感がした。
俺はすぐにケータイを取り出して梔子に電話をかける。
「梔子さんにかけて意味あるんスか?」
「あ」
それもそうだ。通話じゃ会話できない。
メールに切り替えて、『いまどこだ?』とだけ送信。
返信はすぐに来た。
『家にいる。今日は体調が悪いから休みます』
「……へ?」
すっとんきょうな声がでた。
どういうことだ。
さっきまで学校にいたはずだ。
それなのに、家にいる。しかもあの梔子が体調不良だと。
よくわからない。が。
「おい久栗、梔子とは連絡がついたのか? 友達だろ」
「ちょっと待ってください!」
担任だけじゃなくクラス中の視線が俺に集まってた。
すこし焦りながら、それでも落ち着いて電話をかける。
もちろん梔子ではない。
十秒ほど待ってると繋がった。
『もしもし、こちら舞花ククリ事務所。ご用の方はカードの暗証番号を教えやがれ』
「いま言うことじゃないけどな、おまえに電話かけるたび着信待ってるあいだ母親の歌を聞かされる俺の気持ちになってほしい。設定変えろ。あと母さんの名前を騙って詐欺るな」
『なんだカモ……間違えた久栗クンか。で、なんのようだ?』
「そこに梔子いるか?」
『ん? 梔子クンなら学校へ向かったはずだが』
「……やっぱり」
そうだと思った。あの梔子が病欠するなら、事前に学校に連絡してるだろう。無断欠席するようなやつじゃない。
なら、つまり梔子は――
『おい少年、梔子クンがどうした』
「すまんまたあとでかける」
通話を切る。あとでかけたらどうせうるさいから、できれば忘れてくれると助かるが。
とにかく。
状況は把握した。
梔子は間違いなく学校に来た。荒らされたクラス展示を目にしている。それでなお、この場から立ち去って家にいると嘘をついた。
さて、どうしたものか。
冷静に考えろ久栗ツムギ。
ここで正直に答えるとどうなる。まず間違いなく、この事件の犯人は梔子だと疑われるだろう。すでにクラス中の視線が懐疑的だ。声を挙げていうやつはいないが、せっかく準備してきた展示を壊されてみんな相当腹に据えかねてるだろう。
だが、俺は梔子がやったとは思えない。
梔子がなにか事情を知ってるのは間違いないだろう。口下手どころか無口の梔子が、そのへんをうまくみんなに説明してくれる……なんてのは夢物語だ。
ならここは、俺がうまく誤魔化してやるべきか。
「梔子なら、片づけの途中で板の破片で手を切ったみたいで、家に帰ってるって」
「保健室じゃなく?」
「先生、保健室まだあいてないっすよ」
「それもそうだな」
納得したようだ。
ほっと息をつきかけた、その瞬間――
「嘘はよくないッスよ、ツムギ」
思わぬところから横槍が飛んできた。
……そう。
俺は甘かった。
ひとつのことに思慮を巡らせて、うまくやれたと思ってしまう典型的なダメなやつだ。頭の回転がもうすこし速ければ、この可能性に気づけたはずだ。俺は誰よりもこいつのことを理解してるはずなのに、誰よりも近くで見てきたはずなのに、自分に都合のいいところばかりを評価して、いつでも自分の味方でいてくれると勘違いしている馬鹿な男だ。
白々雪桜子は、ひたすらに公平なやつだった。
「ウチは梔子さんのこと、まだよくわかってません。でもツムギのことならけっこう知ってます。嘘をつくのが下手なことも、梔子さんのことになると平和主義者を軽々と捨てて、いばらの道を選んでしまうことも。そうでしょう、ツムギ?」
「久栗、どういうことだ?」
クラス中から視線が突き刺さる。
背中に冷や汗が流れる。
とっさに周りを見回すと、白々雪と反対側にいたのは優等生。
誰にだって優しく、梔子のことも友達として接してくれている澪は、俺の弱々しい視線を受けて残念そうに小さく首を振った。
俺は甘かった。
この小さな嘘が自分の首を絞めるなんて、さっきまでの俺には想像もできなかった。




