2話 声
「では、うちのクラスの文化祭の出し物は『サブカルチャー作品展示』に正式決定です」
パラパラと拍手が起こった。
体育祭、音楽祭、修学旅行、そして文化祭。
ごく一般的な学生らしいイベントがあるなら、そこに身を投じるのは悪くない。充実したスクールライフを送りたい者は存分に楽しむだろうし、無難にすごしたいものはひっそりと参加する。俺はもちろん後者だが、それでもすこしは楽しみだった。
文化祭。
二週間後に開催される学生のお祭りは、いくつか企画がある。
体育館と講堂を使っておこなうステージ。
中庭とグラウンドを使っておこなう縁日。
そして、各教室を使っておこなう展示。
夏休み前の抽選でハズレくじを引いた俺たちのクラスは、ステージを借りることはできずに展示企画となっていた。俺としてはホッとしたんだが、クラスメイトの大半は残念がっていた。ガッカリしていた筆頭の澪が言うには、どうやらクラス全員でダンスをしたかったらしい。実際、隣のクラスは重低音を響かせながら踊り狂うらしい。あくまで噂だが。
そのために夏休みを使ってまで猛練習していたようで、ますます俺はクジが外れて安堵したものだが、とにかく展示になった以上は練習時間も必要なく九月が始まってから展示内容を決めたのだった。
クラス委員長のなんとかという女子生徒が投票結果を告げたあとは、とんとん拍子に話は進んだ。漫画や小説やアニメなど、様々なサブカル作品を紹介するために、各自好きな作品のサンプルと紹介文を考えてこいとのことだった。
どれを持って来よう、誰の作品がいいか、などとクラス内が喧々囂々と騒がしくなっていくなか、俺はぼうっと窓の外を眺めていた。
とくに誰かに薦めたい作品がない俺にとってはあまり興味もない企画だ。
そんな俺に気が付いたのは、左隣の席の澪=ウィトゲンシュタインだった。
「ツムギくんは歌音ちゃんに聞いてみたら? 歌音ちゃん、詳しいでしょ?」
「……それはダメだ」
「なんで?」
「俺の展示がBLになったらクラスのやつにどう思われるか考えてみろ」
「あ、うん……そうだねやめとこう」
鉄壁の笑みがひきつった澪だった。
誰だって、自ら望んでホモ扱いされたいとは思わん。
「そういう澪はどうするんだ? 日本の作品、あんま詳しくないんだろ?」
「私? やっぱり童話かなあ。小学生向けの本ならわりと読んでるし」
「ああ、日本語の勉強か」
「それだけじゃなくて、将来のために、ね?」
そういえば、澪は先生になりたいんだったっけ。
日本語でドイツ語の先生をするにしろ、ドイツに日本語の先生をするにしろ、読んでおいて損はない。さすが優等生、もう将来を視野に入れてるのか。
「それで、白々雪さんはどうするの?」
「ウチッスか。そりゃあおススメの装幀本を展示させてもらうッスよ」
「サブカルだぞ? 漫画とかアニメとかならわかるけど装幀っておまえ……」
「そうッスよサブカルチャーですよ。メインカルチャーに対して一部の集団が好む文化がサブカルチャーなんスよ。そもそも漫画やアニメはもはや浸透しすぎてサブカルかどうかも怪しいッスよ。それに比べて装幀の貞操はまだまだ堅いッスよ? オタク文化ともいわれるマイナージャンルこそ、真のサブカルだとは思わないッスか? とはいってもサブカルの定義すら曖昧なんスけどね」
「……そうだな」
俺がこいつを論破できるはずもない。
まあ白々雪のことは、クラスのやつらも半ばあきらめているだろうから、大人しく展示区画の一部をマニアック仕様にすることくらいは認めてくれるだろう。
この二人はまあ、クラス展示には積極的に参加するとして、だ。
「…………。」
「……梔子さんのこと、気になるの?」
「ん? まあな」
一番前の席に座る梔子は、相変わらず借りてきた猫のような大人しさで本を読んでいる。
あいつが好きなのは古典だ。サブカルチャーとは程遠い。
むろん強制参加ってわけでもないだろうから、展示したくなきゃしなくていいだろう。梔子もしなかったからといってそこまで残念がったりするとは思えない。
「あの様子だと、梔子さんは今年も不参加ッスね」
「……今年も?」
「ええ。去年の展示にも参加してなかったですし、そもそも文化祭当日は二日とも来てなかったッスからね」
「そうだったのか」
去年は梔子のことは気にしてなかったし、俺も白々雪とふたりで目的もなくぶらぶらしていただけで周りなんて見てなかった。
当然といえば当然か。
梔子は、誰とも話さないのだから。
「……よし」
俺は席を立って、梔子の席の正面まで歩いていった。
じっと本を読んでいるから、上から覗き込むようなかたちで見下ろす。本に俺の陰が落ちてようやく気付いたのか、長い前髪のあいだからきょとんとした目でこっちを見上げてきた。
「なあ梔子、今年は一緒になんか展示すっか? ちょうど俺も出したいものなくて困っててさ。なんか考えようぜ」
『てんじ?』
首をかしげたままさっとメモ帳に走り書いた梔子。
「話聞いてなかったのか? 文化祭だよ文化祭。サブカルチャー作品の展示紹介」
『聞いてた』
「なら、なんで不思議そうにするんだよ」
『わたしには関係ないとおもってた』
ひねくれてるわけでもなく。
梔子は一片の曇りもない表情で指先を走らせた。
理解してたつもりの俺でもひるんでしまうほど、無垢な無表情だった。
『わたしはいないものだったから』
俺は、反論しようとした口を開いたまま、動けなかった。
いないものなわけがない。そこにいる以上、無視されるようなものじゃないから。
……でも、去年の俺がそうだった。
悪意があったわけじゃない。誰かがそうしようと根回ししたわけじゃない。
ただ自然に、梔子は視界のなかにはほとんど入ってこなかった。去年の文化祭、梔子が参加していなかったことを知っているのは白々雪くらいだろう。生徒だけじゃなくて、おそらく教師たちも気にしない。喋らない生徒と関わろうとする者は、誰一人いなかった。
俺がそのまま梔子とほとんど関わらなければ、おそらく、今年も同じようになっていただろうから。
なんていえばいいか、わからない。
「そんな表情してたら梔子さんが困るッスよ」
スパンと後ろから叩かれて、俺は前につんのめる。
「去年は去年、今年は今年ッスよアホツムギ。もう梔子さんはウチらの友達なんスから、今年はきっちり参加してもらうッスよ」
「そうだよ。私も梔子さんのこともっと知りたい。友達としても、ライバルとしてもね」
白々雪と澪もやってきて、梔子に微笑みかける。
梔子はこくりと一度だけうなずくと、梨色のメモ帳を掲げた。
『わかった。考える』
「え? 梔子さんも参加するの?」
「うそ! まじで!? 気になる!」
梔子の席に、クラスメイトたちが寄ってきた。
誰も梔子に悪意を向けたりすることもなく、あまり関わらないクラスメイトと仲良くなるチャンスとばかりに集まってくる。
わらわらと増えた人並みに押され、俺は梔子の席を中心にできた輪の外にはじきだされた。こうなれば俺の出番はもうないだろう。あいつらのおかげで、梔子にも学校生活を楽しむ機会が増えた。
……いいクラスだな。
そりゃあ、梔子に興味を示さないやつもたくさんいる。
だけどそんなものは人それぞれだ。
俺が恋愛映画に興味がないのと同じ。
だから、それでいい。
「梔子さんのこと、そんなに気になるッスか?」
「約束したんだよ」
「誰と? なにをッスか?」
「南戸と……ちょっと、な」
約束とは、ちょっと違うかもしれないけど。
俺にはこの高校生活で背負ったたくさんの借りがある。
それを返すとすれば、たぶん、いましかない。
口 口 口 口 口 口
「征士郎か。まだ懲りてないのかあいつ」
女装変態野郎のことを伝えたのはその日の夜のうちだった。
白々雪と澪が帰ったあと、俺は梔子を送るついでに南戸に会いにきた。浴衣を着た南戸にそっくりなやつの話をしたら、返す言葉でそう言った。
「双子の弟ってのは?」
「いかにも。アタシとは似ても似つかない性格だがね」
「そうか? なんか飄々としてるとことかそっくりだと思ったけど」
「慧眼が足りねえぞ久栗クン。征士郎は快楽主義者だが、アタシは禁欲主義者だ。根本が違うだろう?」
「……それ、逆じゃないか?」
征士郎のことはわからないが南戸が共和推進派とは思えない。
俺の訝しみを、南戸は鼻で笑い飛ばした。
「よく考えてみろ少年。征士郎もアタシも、自分の容姿がどれほど美しく女性的に優れているのか熟知している。その魅力もな。だが女のアタシは男の衣服を纏い、その姿をひと目につかせないように生きている。じつに勿体ないことだと思わねえか?」
「まあ、それはそうだけどさ」
「対して征士郎は女の服を纏い、化粧をし、美しさを存分に発揮している。さすがにフェロモンまでは操作できないゆえアタシの魅力ほどには届かねえが、それでも初見のやつらからすれば脅威だろう。キミ、征士郎が道を歩いていたとき通行人の反応は見たか?」
「ああ……かなり見惚れてたな。男も女も」
「その反応を楽しむのが征士郎。それを危険と思うのが、アタシだ」
なるほど。
たしかにそう考えてみたら、南戸は常に自分を抑えている。
嘘と方便で塗り固めているけど、あくまで自分のためじゃなく、周りのために。
「おまえ、けっこういいやつ――」
「勘違いしてくれるなよ。毒は常用してると耐性を生む。懐の奥底にひそめたナイフはここぞって時に取り出すもんだぜ?」
「……ま、そういうことにしておくよ」
「言うようになったねえ少年」
にやり、と笑う南戸だった。俺も口元だけ笑って返す。
征士郎が探していたことだけは伝えておいたからいいだろう。もう時間も遅いからそう長居するつもりはない。早寝早起きの梔子もとっくに風呂に入りにいっている。
風呂上がりの梔子も見たいけど、そこは自重しよう。
帰ろうと立ち上がった俺を、南戸がふんぞりかえったまま片手をあげて制止した。
「久栗クン……ひとつだけ、頼みごとを聞いてくれないか?」
「なんだ?」
「アタシがもし征士郎に見つかったら、おそらくここにはいられまい」
「……なんだって?」
寝耳に水の言葉に、俺は眉をひそめる。
「征士郎は弟ゆえずる賢さこそアタシに劣るが、腕力は遥かに優れている。おそらく久栗クンや梔子クンであろうと喧嘩して勝てる相手ではない。そんな征士郎がここまできたのは、アタシを連れて帰るためだろう。あいつはシスコンで過保護だからな」
「……それで?」
「言葉でどうこうできる相手でも、腕力で敵わなければ防げない。もしアタシが連れ去られたあとのことを、キミに頼みたいのさ。さすがに、ここまで言えばもうわかるだろう?」
「ああ、そうだな」
俺は開け放したままの廊下のむこう――梔子屋敷の中庭のむこうを眺めた。
灯りがついた風呂場の窓から、三十分前からもくもくと湯気が立ち上っている。梔子はゆっくりと風呂に入るのが好きらしい。いまはまだあり得ないけど、鼻歌すら聞こえてきそうだ。
「急げとはいわない。だが、悠長している暇はねえんだよ。梔子クンの学校生活はのこり一年と半年……それまでに、せめて社会に出て困らないほどの感情と能力は身につけてもらいたい。それがアタシの願い……いや、キミへの頼みだ。聞いてくれるな?」
「もちろん」
俺だってまだ梔子に借りた恩を返したとは思わない。
……いや、それは口実だ。
ずっと考えていた。
あのとき、あの梔子の叫びを聞いてから。
梔子の心を見てから。
俺は、あいつの言葉を聞きたいって思ってしまったから。
『――わたしは、久栗君と喋りたい――』
あのとき俺は、梔子詞の声が聞きたいと思ってしまったんだ。
次の更新は二日後の予定です。




