第1話:「年金は100年安心!」とお花畑FPが美談を語るセミナーの最前列で、夏のボーナスから10万毟り取られた俺の目が完全に死んでいる
この小説はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
「皆さん、『年金なんてどうせもらえない』なんてSNSのデマを信じて、払うのを損だと思っていませんか? 実はそれ、大いなる誤解なんです!」
都内の小綺麗なセミナールーム。プロジェクターの強い光を背に浴びながら、仕立てのいいスーツを着た女性ファイナンシャルプランナーが、ピンマイク越しにハツラツとした声を響かせていた。スライドには『2026年新制度対応:老後安心のマネープラン』という文字が踊っている。
「厚生労働省が発表した最新の財政検証を見れば、未来への不安なんて一瞬で吹き飛びますよ! いまの若いZ世代の皆さん、朗報です。将来、月10万円未満の低年金に沈んでしまうリスクがある人は、わずか24%。就職氷河期世代の約39%と比べれば、劇的な改善です!
なぜか分かりますか? 令和の日本は共働きがスタンダードになり、女性やフリーター層もほぼ全員が厚生年金に加入して手厚い報酬比例分を積み上げられる、素晴らしい社会になったからです。つまり若い世代の皆さんは、先行世代よりも遥かに多くの年金を受け取れる圧倒的な『ポテンシャル』を持っているんです!
さらに、国の数理モデルは、経済成長に伴う賃金上昇の波を完全に織り込んでいます。マクロ経済スライドによる微調整を経ても、将来の所得代替率は法律上の絶対防衛ラインである『50%』をガッチリ死守するように設計されています。国が皆さんの現役時代の『半分』の生活水準を100年先まで100%保障してくれるんですから、これほど安心なシステムは世界中どこを探してもありませんよ!」
会場の若い受講生たちが、ほう、と安堵のため息を漏らす。熱心にメモを取るペンノートの音が静かに響いた。FPの弁舌はさらに熱を帯びる。
「よくメディアが『高齢者は負担の5倍も貰えて、今の30代は1倍くらいしか貰えないから世代間格差だ!不公平だ!』と煽りますよね。でもあれ、非常に悪意のあるグラフなんです。数字の切り取りです」
FPはホワイトボードに『私的扶養』と大きな文字を書いた。
「今の80代高齢者が現役だった昭和30〜40年代を思い出してください。当時はまだ年金制度が未成熟で、多くの人が自分の親を家で養う『私的扶養』の時代でした。つまり当時の若者は、自分の親の面倒を身銭でみながら、同時に始まったばかりの年金保険料も払うという『二重の負担』をしていたんです。だから当時は保険料率を低く抑えるしかなかった。今の若い人は親を直接養う負担から解放され、社会全体で支える『共助』の恩恵をフルに受けている。保険料の倍率だけを見て損だ得だと言うのは、ナンセンスなんですよ」
さらに、とFPはスライドを切り替える。画面には『GPIF:運用資産額293兆円』の文字。
「国が誇る年金積立金管理運用独立行政法人──通称『GPIF』の運用資産額は、今や約293兆円に達しています。世界最大のファンドが国内外の株式に分散投資し、着実に増やし続けている。年金は死ぬまで続く『最強の終身保険』です。国を信じて、まずはこの美しい『世代間の支え合い』という土台を固めることから始めましょう!」
会場は「国がやってくれているなら安心だ」「昔の人も大変だったんだな」という温かい連帯感と、明るい未来への希望で満たされていた。
その温風が吹き荒れる部屋の最前列で、佐藤は冷え切った目でスマートフォンを見つめていた。
画面に表示されているのは、本日支給されたばかりの、夏のボーナスのデジタル明細だ。
【支給額:500,000円】
【差引手取額:402,150円】
「……二重の負担、ねえ」
むしり取られた約10万円の文字を睨みつけながら、佐藤は心の中で冷酷に毒づいた。ただの詭弁だ。人口動態という大前提の数字を無視した、悪質なすり替えに過ぎない。
昭和の昔は現役世代10人で1人の高齢者を支えていた。だが現代は、わずか2人で1人を支える騎馬戦状態だ。分母が違いすぎる。だからこそ、昔は数パーセントだった国民負担率は今や五公五民の一歩手前まで跳ね上がっている。
そもそも、昔は子どもが親の面倒を見ていたと言っても、当時と今では平均寿命がまるで違う。昭和の親たちは、今ほど認知症を患って長期の介護を必要とする前に旅立っていった。現代の現役世代は、この高すぎる国民負担率を支払うために、国から「共働き」を実質的に強要されている。ライフスタイルが変わり、生きるだけで精一杯の現代人が、昔より楽になっているわけがないだろう。
何より、二重払いという地獄の構造は、現代の若者にも形を変えて完璧に引き継がれている。
【昔の構造】 親への仕送り(直接援助) + 年金保険料(将来自分がもらうための積立)
【今の構造】 税・保険料(賦課方式で他人の親を養う) + NISA・iDeCo(将来自分がもらうためのセルフ防衛)
まともな老後を送るためには、給料の額面の2割もの社会保険料をドブに捨てながら、さらに身銭を切って投資口座を開くハメになっている。二重払いは終わってなどいない。むしろ、昔よりはるかに巧妙で過酷なシステムだ。
現役世代が、NISAで貧乏になるのは当たり前だろう。
それでも、資産形成ができる一部の強者はまだいい。
少子化のブレーキが壊れたこの国で、年金や健康保険の改悪が止まるはずがない。結局のところ、最終的なゴールポストは『死ぬまで働け』という名の生涯現役社会だ。
(この国はとっくに、少子化っていう静かな有事で詰みかけてるんだよ)
佐藤が思索から戻り、前を向くと、変わらずFPが国の年金制度の素晴らしさを語り続けていた。
『さらに障害年金というもしもの保障もあります!』と、FPはさも親切そうに付け加えた。これも彼らのお決まりのキラーフレーズだ。何かあれば現役世代でももらえるから払い得だ、と。
だが、そんなものは数理的に見れば、ただの「抱き合わせ販売の詭弁」でしかない。
年金の年間給付総額約50兆円のうち、障害年金に割かれている予算はわずか5%程度、2兆円強の枠に過ぎない。現役世代が実際に受給要件を満たす重度の障害を負う確率など、統計学的には1%未満の極めて低い世界だ。
もしこれが民間の保険商品なら、これだけ発生確率が低く、給付原資も小さい特約は、月数百円のワンコインで付帯できるレベルの代物だ。
それを人質のように掲げて、「もしもの安心」という感情論ですり替え、現役世代の財布から毎月何万円も、そして今日のボーナスから10万円もの大金を強制天引きする言い訳にする。期待値を無視した、悪質なコストパフォーマンスの隠蔽だ。
そもそも、年金を「死ぬまで続く最強の終身保険」と呼ぶこと自体が、制度の本質を隠蔽するためのすり替えだ。
佐藤はスライドに映る『293兆円』という誇らしげな数字から視線を外し、手元のスマホの画面を見た。
多くの社会人がうすうす感じている、この国の圧倒的に不都合な真実。
数年前まで、佐藤は最先端のネットワークセキュリティを扱うITスタートアップの経営者だった。社会保険料の会社負担分の未払いで追徴を受け、会社が倒産するまでは。
それ以来、年金や健康保険というシステムに対して、ひときわシビアな目を向けるようになっていた。
彼は知りたかったのだ。なぜ、自分の会社が生贄にされなければならなかったのか。そこまでして維持されている社会保障は、本当に、自分たちの世代を守ってくれるのか。
その時、スマホの画面の片隅にポップアップが走った。予め厚生労働省の基幹システムへ向けて脆弱性攻撃をセットしていた、東亜連邦製のオープンウェイトAIをジェイルブレイクして改造した、自作のハッキングAIからの成果通知だった。攻撃成功の文字が暗く光る。
佐藤は表情を変えないまま、AIに向けて即座に次のプロンプトを打ち込んだ。
――標的の隔離ストレージにあるデータを片っ端から暗号化ダウンロードし、ログを消去して即座に撤収せよ。
会場には、FPの明るい声が響き続いていた。
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マーサー CFA協会 グローバル年金指数ランキング(2025年)という指標で見る限り、日本の年金の有用性は中国より低く、南米レベルです。




