第6話 反抗期
天野さんと連絡先を交換したあと、 私たちはそのまま駅へと向かっていた。
天野「移動費です。 流石にこちらの都合でもありますから」
そう言って渡された封筒は、 思っていたよりずっと重かった。
綾愛「……こんなに?」
天野「命懸けの仕事ですからね。
移動含めの費用ですので計画的な使用をお勧めします」
命懸け。
その言葉が妙に現実感を持って胸へ沈む。
つい数日前まで、 私はただのバイト暮らしの一般人だったはずなのに。
今は裏組織の人間と連絡先を交換し、 異世界へ行く準備をしている。
意味が分からない。
リア「おぉ〜、人界のお金ですね」
綾愛「その言い方…なんか馴染みなさすぎて変な感じ…」
リア「でもこれでしばらくは安心ですね!」
綾愛「……まあ」
安心。
その言葉を聞きながら、 私は無意識に封筒を握り締める。
結局、 私の中で安心の基準は昔から変わらない。
金。
人間、それさえあれば幸福と安心を得られるのだ。
逆にそれがなければ人は壊れてしまうほどに…
家に金を入れて、 迷惑をかけないこと。
必要最低限だけでも役に立つこと。
それが私のできること。
いや…こんなことは今は考えちゃだめだ。
リアと一緒に新幹線へ乗り込む。
初めてだったが、
天野さんからのレクチャーのおかげでなんとかなった。
指定席へ腰を下ろした瞬間、 ようやく一息つけた気がした。
リア「速っ……!」
発車と同時にリアが窓へ張り付く。
子供か。
綾愛「リア、 一応静かにね」
リア「人界でもこれくらいの速度出せるんですね」
綾愛「舐めやがって異世界人…ていうか異界って新幹線みたいなのないんだ」
リア「そもそも交通手段の概念が結構違いますね。
基本みんな飛んでますし」
綾愛「ずる」
そんな軽口を返しながら、 私はスマホを開いた。
その瞬間。
綾愛「……うわ」
リア「?」
通知欄。
母からの不在着信、一件。
妹からの不在着信、三十一件。
綾愛「温度差で風邪引きそう」
リア「妹さんすごいですね……」
綾愛「というかこれ絶対怒ってるな……」
恐る恐るラインを開く。
『どこ!?』 『生きてる!?』 『返事して!!!』 『警察行くよ!』 『ねぇ!!!!』
圧が強い。
文字だけで分かる。
綾愛「……はぁ」
なんだか、 少しだけ胸が苦しくなる。
私は短く返信を打った。
『ごめん。 生きてる。 今日帰る』
既読。
三秒。
『は??????』
早い。
『ふざけんな』 『今どこ』 『電話出ろ』
綾愛「こわ」
リア「愛ですねぇ」
綾愛「いやどうだろ…殺意すら感じる勢いなんだけど…」
でも。
少しだけ、 安心した自分がいた。
その一方で。
視線は自然と、 母親からの通知へ向く。
一件だけ。
それだけ。
昔からそうだった。
物心ついた頃から、 母は忙しかった。
夜の仕事をして、 昼に寝て、 起きてまた仕事へ行く。
疲れていたのだと思う。
だから仕方ない。
私はずっとそう考えてきた。
……考えてきたのに。
綾愛「……やっぱ、 興味ないのかな」
ぽつりと零れた声。
リアはその言葉を聞いていたはずなのに、 何も言わなかった。
ただ静かに、 窓の外を見ていた。
その沈黙が、 逆にありがたかった。
変に慰められるより、 ずっと。
新幹線を降り、 電車を乗り継ぎ、 見慣れた田舎へ戻ってくる。
都会のビル群は消え、 代わりに山と田んぼが増えていく。
リア「おぉ……」
綾愛「またその反応?」
リア「山があります」
綾愛「そりゃあるよ」
リア「めちゃくちゃあります」
綾愛「田舎だからね」
リアは窓の外へ顔を近付け、 楽しそうに景色を眺めていた。
その姿を見ていると、 少しだけ肩の力が抜ける。
駅を出る。
冷たい風。
少し湿った土とアスファルトのにおい。
見慣れた住宅街。
リア「静かですね」
綾愛「……人少ないから」
リア「いいところじゃないですか」
綾愛「どうだろ」
リア「空広いですし」
綾愛「……何その着眼点」
リアは本当に、 こういう何気ない景色にも素直に感動する。
そのたびに私は、
自分がどれだけ周りを見ていないのか…
この町を嫌っていたのか思い知る。
この町には、 嫌な記憶が多すぎた。
学校。
家。
ご近所さん。
全部。
息苦しかった。
どこへ行っても、 “普通”になれない自分だけが浮いていた。
家の前へ着く。
見慣れた玄関。
なのに、 心臓が少しだけ速くなる。
綾愛「……はぁ」
リア「緊張してます?」
綾愛「そりゃするよ……」
私はインターホンを押した。
数秒後。
ガチャ。
扉が開く。
母「……あぁ」
酒臭かった。
髪は少し乱れ、 化粧も落ちかけている。
恐らく、 今起きたばかりなのだろう。
昔から見慣れた姿。
綾愛「……ん…」
母は私を見る。
そのあと、 リアを見る。
少しだけ目を細めた。
何か言われると思った。
怒鳴られるかもしれない。
呆れられるかもしれない。
でも。
母「……入りな」
それだけだった。
綾愛「……うん」
私は少し拍子抜けしながら、 家へ上がる。
リアもぺこりと頭を下げて続いた。
母親はその辺に敷いていた布団に潜っていった。
自室…
といっても一つの部屋を妹3人とカーテンで仕切って3分割しているのだが…
まぁ自称自室にリアを案内する。
六畳。
狭い。
物も少ない。
リア「おぉ〜」
綾愛「……反応薄くない?」
リア「落ち着く部屋ですね」
綾愛「そう?」
リア「綾愛らしいです」
必要最低限しか置いていない部屋。
この部屋を見て私らしいはなんか複雑…
昔から、 物欲が薄かった。
欲しいと思っても、 どうせ無理だと分かっていたから。
綾愛「……ちょっとバイト行ってくるから、 適当に待ってて」
リア「了解です!」
妙に馴染んでるなこいつ。
バイト先へ向かう道中。
私はずっと、 なんて言うべきか考えていた。
突然辞めるなんて迷惑だ。
でも、 もう普通には戻れない。
結局。
綾愛「……辞めさせてもらいたくて」
店長「あー……分かった」
綾愛「……え?」
あまりにもあっさりだった。
店長「まぁ色々あるよな」
綾愛「……はい」
引き止めもない。
惜しまれることもない。
それが普通だ。
私は別に特別じゃない。
代わりなんていくらでもいる。
綾愛「……そっか」
胸の奥が少し冷える。
でも同時に、 納得している自分もいた。
昔からそうだった。
学校でも。
家でも。
“私じゃなきゃダメ”なんて場所は、 一つもなかった。
帰り道。
夕焼け。
部活帰りの学生達。
笑い声。
それを見た瞬間、 胸がざわついた。
『天織ってなんか怖い』
『空気重いんだよね』
『あいつんちやばいらしいよ』
『親父怖いらしい』
『母親夜職らしいよ』
『だからいっつも同じ服着てんのか』
頭の奥で、 昔の声が蘇る。
綾愛「っ……」
息が詰まる。
昔から、 人の顔色ばかり見ていた。
怒ってないか。
嫌われてないか。
迷惑じゃないか。
ずっと考えていた。
小学生の頃…
家に帰り、父親が家にいるだけで胃が痛くなった。
中学では、
同じ小学校の子もいる為噂はすぐ流れ…
近づくものは誰もいなかった。
笑うタイミング。
…そもそもちゃんと笑えているのか
話す内容。
…会話ってこれであってるのかな
距離感。
…そもそも私と関わる人なんて…
全部間違える。
だから合わせようと頑張った。
周りに。
必死に。
でも…
結局、 父親の拳が顔に落ちたあの日、 全部壊れた。
『気持ち悪いんだよお前』
殴られながら思った。
あぁ。
頑張っても意味ないんだって。
他人の機嫌なんて取っても、 結局壊れる時は壊れるんだって。
その日から父親はいなくなった。
でも。
だからといって、 自由になれたわけじゃない。
私はもう、 他人を必要と出来なくなっていた。
期待して、 裏切られるのが怖かった。
期待させて、裏切るのが怖かった。
だから最初から求めない。
そうして、 気付けば空っぽになっていた。
綾愛「っ……は……」
動悸がうるさい。
呼吸を整えながら、 私は家へ戻った。
玄関を開ける。
すると。
上の妹「だからそれでさ!」
リア「えぇ〜!?」
めちゃくちゃ盛り上がっていた。
綾愛「……なにしてんの」
上の妹「あ、おかえり」
リア「あ、おかえりなさい!」
居間には、 妹二人とリア。
完全に打ち解けていた。
綾愛「馴染むの早くない?」
リア「コミュ力です」
綾愛「その能力私も欲しい」
下の妹「……ちっ」
綾愛「…久しぶりにあってファーストコンタクト舌打ちって…」
下の妹「うるさい」
綾愛「辛辣だなぁ!?」
そのまま下の妹は部屋に戻ってしまった。
嫌われてんなぁ…私。
まぁ仕方ないか。
上の妹「てかお姉ちゃんその人誰? 彼女?」
綾愛「違う違う違う!!!」
リア「えっ違うんですか?」
綾愛「お前!?」
妹が爆笑する。
その光景が、 少しだけ眩しかった。
母は仕事へ出たらしく、 テーブルには夕飯が置かれていた。
手作りだった。
綾愛「…珍しい」
上の妹「今日ちょっと機嫌よさそうだったよ」
不格好で、 正直あまり美味しくない。
でも。
綾愛「……」
昔。
まだ家が壊れていなかった頃。
母は笑っていた。
父もいた。
皆でご飯を食べていた。
そんな記憶が、 ふと蘇る。
綾愛「……っ」
危ない
泣きそうになる。
私は慌てて顔を伏せ、 黙々と食べ進めた。
リアは何も言わない。
ただ静かに、私の隣でご飯を食べていた。
夜。
風呂を終え、 部屋へ戻る。
ベッドへ倒れ込む。
疲れた。
心も身体も。
そんな時。
ガチャ。
リア「失礼します」
綾愛「……なに?」
リア「寝ます」
当然のように入ってくる。
綾愛「狭いんだけど」
リア「大丈夫です」
何が?
結局押し切られ、 二人でベッドへ入る。
近い。
体温が伝わる。
昔の私なら、 こんな距離感耐えられなかったと思う。
でも今は…
不思議と、 安心していた。
リア「……あやめ」
綾愛「ん」
リア「今日、 何かありました?」
綾愛「……別に」
リア「嘘です」
即答だった。
綾愛「……」
リア「夕方帰ってきた時、 凄く顔色悪かったですよ」
沈黙。
暗い天井。
狭い部屋。
近い体温。
その全部が、 変に心を緩ませる。
綾愛「……私さ」
気付けば、 口が動いていた。
綾愛「居場所、 なかったんだよね」
誰にも言ったことのない話。
綾愛「家でも学校でも、 ずっと頑張ってた」
綾愛「怒られないように、 嫌われないように、 ちゃんとしなきゃって」
綾愛「でも、 結局全部駄目で」
声が震える。
綾愛「父親に殴られた時、 思ったんだよ」
綾愛「なんでこんな頑張ってるんだろって」
綾愛「そしたら急に、 全部どうでもよくなっちゃって」
綾愛「他人なんて必要ないって、 思うようになった」
綾愛「……いや、 そう思わないと無理だったのかも」
涙が滲む。
綾愛「でも結局、 自分の為にも生きれなくて」
綾愛「誰かの為にもなれなくて」
綾愛「空っぽなんだよ。 私」
静寂。
そのあと。
リアがゆっくり抱き寄せてくる。
リア「……私は、 あやめみたいな経験したことありません」
リア「だから、 分かるなんて言えません」
リア「でも」
暖かい声だった。
リア「私が見てきたあやめは、 そんな人じゃないです」
綾愛「……」
リア「失敗続きだったかもしれない。
でもあやめ、 ずっと頑張ってたじゃないですか」
リア「家族の為に働いて、 お金を入れて」
リア「今回のお金だって、 家族に使おうとしてた」
リア「そんな人が、 他人を愛せない…愛していないわけないです」
綾愛「っ……」
涙が溢れる。
リア「それに、 下の妹さんの反抗期」
綾愛「……え?」
リア「反抗期って、 甘えなんですよ」
リア「感情をぶつけても大丈夫って、 信頼してるから出来るんです」
リア「少なくとも妹さんは、 あやめを必要としてます」
リア「ちゃんと、 愛されてますよ」
その瞬間。
張り詰めていたものが、 全部壊れた。
綾愛「……っ、ぁ……」
涙が止まらない。
綾愛「こわ、かった……っ」
リア「はい」
綾愛「いらないって、 思われるの……っ」
リアは何も言わず、 ただ優しく抱き締めてくれる。
リア「大丈夫です」
リア「私は、 あやめのこと必要ですから」
暖かかった。
涙が止まるまで、 リアはずっと背中を撫でてくれていた。
やがて泣き疲れた私は、 リアへ縋るように目を閉じる。
リアもまた、 優しくこちらを抱き寄せたまま。
静かな夜の中。
二人はゆっくり、 眠りへ落ちていった。




