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この世界は64回で終わる  作者: あめのみなづき
第一部 観測されない少年
8/15

第7周 記録されない存在

夜明け前。

まだ空気に夜の冷たさが残る中、焚き火の残り火がかすかに赤く燻っていた。


簡易の野営地の端で、マリユスは無言で観測機材の調整を続けている。

幾重にも刻まれた魔導陣が、朝の薄光を受けて淡く脈動していた。


その背後から、足音が近づく。


「まだやってるの? ほんと、好きねえそういうの」


 クリスティーナが、呆れ半分に声をかける。


「精度が足りない。昨日の座標記録には誤差が残っている。このままでは再現性が取れない」


「はいはい、出ました構造理論。で? 今日の目的は?」


マリユスは一瞬だけ手を止め、静かに答えた。


「位相異常の再観測だ。昨日確認された“青い花”の座標は、通常の空間構造と一致しない。あれは――偶発ではない。意図的に“そこに在る”」


「つまり?」


「発生源を特定する。可能であれば、位相構造そのものの取得を行う」


クリスティーナは軽く肩をすくめた。


「……要するに、もっと奥まで行くってことね」


「そうだ」


「で、その道、あんた分かってるの?」


一瞬の沈黙。

マリユスは、ほんのわずかに視線を逸らした。


「……地形情報はある程度把握している」


「“ある程度”ね。この森、地図通りに進めると思ってる時点で甘いわよ。あそこは“ズレる”。昨日もそうだったでしょ」


マリユスは反論しない。

代わりに、少しだけ視線を上げる。

そこには、少し離れた場所で話している二人――アーロンとカイの姿があった。


「……案内役が必要だな」


「最初からそう言いなさいよ」


クリスティーナはくるりと踵を返すと、二人の方へ歩き出した。


「カイ、アーロン。ちょっといい?」


二人が振り返る。


「どうした?」


「今日、もう一度あの場所に行くわ。昨日の花が出た地点、覚えてる?」


アーロンが小さく頷く。


「うん。あの林の手前だよね」


「その先まで行きたいの。もっと奥」


カイが眉をひそめる。


「……あそこより奥は、あんまり良くねえぞ。空気が変わる」


「知ってる。でも行く」


即答だった。


クリスティーナは真っ直ぐに二人を見る。


「案内してくれる?」


 カイは鼻で笑った。


「はは、言うじゃねえか。いいぜ、行ってやるよ」


アーロンも少し迷ってから、頷く。


「……うん。僕も行く。あの花、気になるし」


それを聞いたマリユスは、静かに機材を持ち上げた。


「決まりだな。出発する」


「仕切るなよ構造くん」


「その呼称はやめろ」


「却下」


クリスティーナが肩をすくめる。


「ほら、行くわよ。日が昇りきる前に入った方がいい」


クリスティーナが二人を促し、一行はまだ眠る森へと足を踏み入れた。


 歩き始めてしばらく経ち、森の奥へ進むにつれて朝靄あさもやが濃くなっていく。

先頭を行くのはカイとアーロンだ。

この森を熟知するカイと、最初に「青い花」を見つけたアーロンが、頼もしく道案内を務めていた。

その数歩後ろでは、マリユスが銀色の大型観測機材を大事そうに抱え、険しい顔で足場の悪い山道に挑んでいる。


額にはうっすらと汗。それでも本人は、涼しい顔を取り繕っている。

そんな彼を振り返り、カイが悪戯っぽく声を飛ばした。


「おーい、構造くーん! そんな棺桶みてえな箱抱えて、ちゃんと歩けてんのか?」


そんな彼を振り返り、カイが悪戯っぽく声を飛ばす。


「おーい、構造くーん! そんな棺桶みてえな箱抱えて、ちゃんと歩けてんのか?」


「まず訂正しよう。私は『構造くん』ではない。マリユスだ。次に、これは棺桶ではない。魔導カメラと位相測定器を連動させた、精密観測装置だ」


「説明が長えよ」


「理解力の低い相手には、自ずと語数が増える」


「……ケンカ売ってんのか?」


「事実を述べているだけだ」


「朝から元気だなあ、二人とも……」


アーロンが苦笑しながら振り返る。木漏れ日が金の髪に落ちて、柔らかく揺れた。


「でもマリユスさん、本当に大丈夫ですか? 昨日もあまり寝てなかったみたいだし」


「問題ない。睡眠不足は集中力で補完できる」


「ほら出た。構造くん名言集『寝なくても平気』」


マリユスの後ろを歩いていたクリスティーナが、すかさず吹き出す。


「事実だと言っている」


「昨日の晩、シチュー食ってる途中で三回くらい船こいでたの、どこのどいつだよ」


一瞬、森が静まり返った。アーロンが目を丸くする。


「え、寝てたの?」


「……意識を深部に沈め、思考を整理していただけだ」


マリユスの口元がぴくりと引きつる。


「ハハッ! それを世間じゃ寝落ちって言うんだよ! 匙持ったまま固まってよ。口元にシチューまでつけてさ」


「……それは、その」


マリユスが珍しく言葉を詰まらせる。

その様子に、アーロンも堪えきれずに吹き出した。


「ごめんなさい……ちょっと想像したら、可愛くて」


「笑うな、アーロン。……可愛い、とは何だ」


「いや、でも、なんだか安心しました」


アーロンは笑いをこらえながら首を振った。


「主席研究員って聞いていたから、もっと近寄りがたい人だと思ってました。でも……普通に、眠くなるんだなって」


「だろ? こいつ、顔だけはやたら整ってるけど、中身は結構ポンコツなんだよ」


マリユスがぴたりと足を止めた。


「……今、何と言った?」


「顔だけはいいって?」


「その後だ」


「ポンコツ」


「その前だ!」


カイがきょとんとする。アーロンがクスクスと笑い声を漏らした。


「そこ、気にするんだ」


「……無駄話は終わりだ。この先の位相濃度が上がっている。急ぐぞ」


強引に話を切り上げた瞬間、マリユスの靴先が木の根に引っかかった。

ぐらりと機材が傾く。


「危ない!」


クリスティーナの鋭い声が響く。

アーロンが反射的に手を伸ばしかけたが、それより早く、バランスを崩しかけたマリユスの横から、大きな腕が伸びた。

ひょいと、あまりにもあっさりと、カイが機材ごと抱え上げる。


「ほら見ろ。言った先からこれだ」


「……返せ」


「断る。お前が転んで壊す方がよっぽど損失だろ。ほら、行くぞ」


カイは機材を肩に担ぎ、にっと笑って歩き出す。クリスティーナも淡々と頷いた。


「実務的に、今回はカイが正しいわね。悔しかったら、まず朝食を毎日食べなさい」


「食べている」


「昨日の朝は?」


「……液体栄養」


「それ、ただの紅茶でしょ。全然違うわよ」


アーロンは思わず笑ってしまった。カイがそんな彼の肩を軽く小突く。


「なんだよ、アーロン。楽しそうだな」


「うん。なんか、いいなって思って」


「だろ? 場所も飯も人間関係も、難しく考えすぎねえのが一番だ」


マリユスが即座に毒づく。


「それは君の人生が単純なだけだ」


「なんだと? よし、帰ったら鹿肉をいつもの倍、食わせてやる」


「……脅迫か」


「愛情表現だよ!」


木漏れ日の中、笑い声が森の奥へと溶けていった。


 だが、そんな和やかな空気も、ある地点を境に霧散した。


湿った土の匂いと、静止した空気。

密生する木々が不自然に開けたその場所には、青い花が円を描くように、ひっそりと咲いていた。

陽光を反射しているのではない。

花そのものが内側から淡い燐光――世界に馴染みきらない「ノイズ」を放っている。


「……これだ。間違いない。この座標の情報密度だけが異常に飽和している。……いや、違う。ここだけ振動の『型』が古すぎるんだ」


マリユスは素早く機材を設置すると、レンズを花へ向けた。


「魔力反応は微弱ね。周囲のエーテルを吸い上げるどころか、むしろ固有波形を『押し出している』みたいだわ」


横からモニターを覗き込むクリスティーナの鋭い指摘に、マリユスは懐中時計の脈動に意識を浸したまま、硬質な声で応じた。


「押し出しているのではない。ここが事象の『起点』――全ての振動が収束する中心点なんだ。クリスティーナ、シャッターを切れ。第一階層の位相定数をこの座標に固定した状態で、全帯域をサンプリングする」


「了解、同期完了シンクロナイズド。……記録シャッター開始!」


 クリスティーナが空中に展開した演算ウィンドウを叩くと、記録水晶が激しい閃光を放ち、空間の情報を強引にデジタル・データへと変換していく。

だが、現像され、空中に投影されたホログラム画像を確認した彼女の眉が、不審げに跳ね上がった。


「……マリユス。これ、機材の故障かサンプリング・エラーじゃない?」


「私の機材に故障はない。あるのは『演算結果』という名の真実だけだ」


「じゃあ、この『真実』を説明して。何ひとつ、写っていないわよ」


マリユスがモニターを奪い取る。

そこには草むらも、背景の木々も、機材を担いで欠伸をするカイの姿も鮮明に写っていた。

しかし――そこにあるはずの「青い花」の場所だけが、ただの空っぽな地面として記録されていた。


「記録されない……? 私の演算が、この花を『存在』として定義できないというのか……」


マリユスの声から確信が消え、硬質な戦慄が混じる。


「変だな。僕の目には、あんなにハッキリ見えてるのに。ほらカイ、今、花びらが揺れたよね?」


「ああ。風もねえのに、生きてるみたいに動きやがる。気味の悪い花だぜ」


カイとアーロンには見えている。マリユスにも見えている。だが、王立研究所の粋を集めた観測装置には、その存在が一切認識されていない。


「視覚情報として処理されているにも関わらず、媒体に定着しない……。これは、この花が『今』に存在していない証拠だ。あるいは、世界そのものが観測を拒んでいるのか……」


マリユスは吸い寄せられるように、震える手で花へ触れようとした。


「マリユス! 不用意に触らないで!」


叫びは間に合わなかった。

指先が花びらに触れた瞬間、マリユスの脳内演算領域を、凄まじい速度の「ノイズ」が駆け抜けた。


真っ白な施設。

巨大な円環。

泣いている少女。


そして、自分によく似た、しかし決定的に異なる「誰か」が、絶望に沈む光景――。


「……あ、ぐ……あッ!!」


マリユスが膝をつく。それと同時に、青い花はロウソクの火を吹き消したように掻き消えた。後に残ったのは、ただの踏み荒らされた土だけだった。


「マリユス! 大丈夫!?」


駆け寄るクリスティーナの声も遠い。

マリユスは荒い息をつきながら、自分の指先を凝視していた。


「……消えたのではない。()()を拒絶したんだ。この世界は、記録されることで死ぬのを拒んでいる……」


「何言ってんだよ、構造くん。顔色が真っ青だぜ」


カイが心配そうに手を伸ばすが、マリユスはその手を激しく振り払った。


「触るな! ……君たちには、わからないんだ。高度演算の結果が『虚数』を叩き出すことが、どれほど、恐ろしいことか……!」


再びよろめくマリユス。彼が見たのは、数式では説明のつかない「既視感デジャヴ」の嵐。それは、既に失ったはずの記憶の残滓のようだった。


少し離れた場所で、アーロンだけが、花が消えた場所をじっと見つめていた。


「……なんか、寂しそうな音がした」


「音? 何も聞こえねえぞ、アーロン」


「うん。でも、なんか……『またね』って言われた気がしたんだ。すごく遠いところから」


クリスティーナは記録水晶をバッグに仕舞い、冷徹な実務主任の顔に戻って宣言した。


「記録失敗。現時点では、これを『未知の光学迷彩を持つ植物』と仮定するわ。マリユス、あなたの『位相剥離説』は、現段階では却下よ。……帰りましょう。これ以上は、あなたの脳が持たない」


マリユスは何も答えなかった。ただ、胸ポケットにある誰にも見せないボロボロのノートを、服の上から強く握りしめていた。

 そこには、先ほど脳裏をよぎった「白い施設」に酷似した走り書きが、既に記されていた。

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