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【完結】この世界は64回で終わる  作者: あめのみなづき
第三部 観測者の帰還
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第41周 もう一人では歩かない

古代の記憶。若いセラフィウス。現代の神父。

アーロンは聞きたいことは山ほどあった。


あなたは、僕が古代で見たあの人なのか。どうして今、ここにいるのか。


「……神父様。あなたは、僕が古代で見たセラフィウスと、どう繋がっているんですか」


セラフィウスはしばらく沈黙した。それは否定でも、肯定でもなかった。


「……今は、すべてを語れません」

「……」


アーロンは拳を握った。


以前の自分なら、きっと誰かの答えを待っていた。

マリユスに聞き、神父にすがり、カイの後ろに隠れるようにして、世界が何を意味しているのかを教えてもらおうとしていた。

しかし、それらは、もう誰かに守られているだけでは見えないものだった。


自分で繋がなければならない。

自分で、選ばなければならない。


「語れないなら、()()()()です。でも、僕はカイを一人にしません」


その言葉に、セラフィウスの目がわずかに見開かれる。

アーロンは振り返り、まだ息の荒い観測者を見た。


「マリユス。動ける?」


マリユスは黒い手袋をはめ直し、椅子の背を掴んで立ち上がった。

その足取りはまだ僅かに覚つかない。

だが、その瞳には、世界の終わりを見つめる冷徹な意志が完全に戻っていた。


「問題ない。言ったはずだ、感情の処理には時間がかかるが、円環は待たない、と」


『マリユス、まだ位相波形が不安定です!』


その横で、グレイスが本当に心配そうに彼の袖を引いていた。

その指先は淡く光っているが、確かにマリユスの服の繊維を掴んでいるように見えた。


その姿を見て、アーロンの胸が激しく震えた。

古代で出会った、あの優しく、明るい少女。

世界にただ一人残され、それでもアーロンに未来を託した、ミーティア。


「……グレイス」


アーロンは衝動的に、彼女を名前で呼んでいた。

グレイスが不思議そうに、長い睫毛を揺らしてアーロンを振り返る。


「今の君は……その、人工知能のプログラムじゃなくて、君自身の『意志』とか、そういうのがあるの?」


単なるシステムへの質問としては、あまりに感傷的で、的外れな問いだった。

マリユスなら「無意味な質問だ」と切り捨てるかもしれない。

だが、グレイスは動きを止め、少しだけ小首をかしげた。


『意志、の定義は不明ですが――』


グレイスは、そっと自分の胸に手を当てた。


『マリユスが心を失いかけたとき、わたしの記録領域メモリーにはないはずの「痛み」が走りました。彼を失いたくない。消えてほしくない。……それを意志と呼ぶのなら、そうなのかもしれません、アーロン』


そう言って、グレイスはほんの少しだけ、照れくさそうに微笑んだのだ。

その笑顔は、かつて古代の崩壊する世界の中で、アーロンに「ありがとう」と言ったミーティアの笑顔と、完全に重なった。


(やっぱり、君なんだ――)


確信が、アーロンの胸を熱く満たす。

彼女は形を変えても、時を超えても、今もこうして世界を、そしてマリユスを救おうとしている。


「……ありがとう、グレイス。行こう、マリユス!」

「言われずとも」


マリユスは端末を取り上げ、警告赤色灯が回る廊下へと一歩を踏み出した。


「カイの情緒の崩壊は、そのままアエリスの防衛システムのバグに直結する。あいつをあの状態で地下に彷徨わせるのは、文字通り自殺行為だ」


「うん!」


アーロンは頷き、走り出した。

背後で、セラフィウスが悲しげに、だがどこか救われたような目で見送る気配がした。




その頃、冷たい鋼鉄の通路を、カイはあてもなく歩いていた。


頭が狂いそうだった。


自分が「王族の血」を引いていること。

母親が流行り病ではなく、この研究所の犠牲者だったこと。


そして、自分を必死に育ててくれたと思っていた父親が、すべての元凶である研究所の「最高責任者」だったこと。

信じていたものが、砂の城のように音を立てて崩れていく。


「クソッ……! どいつもこいつも、何なんだよ……!」


行き場のない怒りをぶつけるように、カイは拳を壁に叩きつけた。

鈍い金属音が響き、皮膚が裂けて血が滲むが、心の痛みの方が勝っていて気づきもしない。


「そこまでにしなさい、馬鹿」


背後から届いたのは、少し息を切らした、だが凛とした大人の女性の声だった。

振り返ると、クリスティーナが肩を上下させながら立っていた。


「来るなって言っただろ……!」


カイは、傷ついた獣のような目で彼女を睨みつけた。


「俺は子供じゃねえ! 同情なんていらねえんだよ! 独りにしてくれって言ってるのが聞こえなかったのか!」


激しい拒絶。


普段のカイなら、ここまで周囲を怒鳴り散らすことはない。

それほどまでに、彼の心はズタズタに引き裂かれていた。

だが、クリスティーナは怯まなかった。

それどころか、あきれたように溜息をひとつつくと、ヒールの音を響かせて迷いなくカイへと近づいていく。


「な、んだよ……」


気圧されたカイが思わず一歩身を引く。

クリスティーナはカイの目の前で立ち止まると、躊躇なく彼の手首を掴んだ。

そして、自分のポケットから取り出した清潔なハンカチで、彼の拳の傷口を乱暴に、だけど決して痛まないような絶妙な力加減で拭い始めた。


「痛っ……何すんだよ!」

「怒鳴りたいなら私に怒鳴りなさい。でも、壁を殴って自分を傷つけるのはおよしなさい。みっともないわ」


「お前に何が分かるんだよ! 俺の、俺のこれまでの人生が全部嘘だったんだぞ!? 親父が、あの神父が何者かも分からなくなって……!」


叫ぶカイの声を、クリスティーナは静かに遮った。


「分からないわよ」

クリスティーナは、ハンカチをカイの手の甲に優しく巻き付け、結んだ。


「あなたの受けた衝撃も、裏切られたような絶望も、私には分からない。私はただの、一介の研究員だもの。王族の呪いなんて高尚なものは、想像してあげることもできないわ」


「だったら――」

「でもね、カイ」


クリスティーナは顔を上げ、カイの目を真っ直ぐに見つめた。

その瞳には、彼を哀れむような「同情」は一切なかった。

あるのは、一人の不器用な青年を包み込もうとする、大人の女性としての、圧倒的な包容力と優しさだった。


彼女はカイの、固く握られたままの拳を、自分の両手でそっと包み込んだ。

ひんやりとした研究所の空気の中で、彼女の手だけが、驚くほど温かかった。


「あの神父様が『研究所の管理者』だったとして、それが何だというの?」

「……え?」


「過去がどうあれ、血筋がどうあれ、彼が辺境の村で、あなたを『カイ』と呼んで育ててきた二十年間の時間は、消えてなくなりはしないわ。あなたが父親の背中を見て、不器用ながらも守られてきたと感じていたあの温もりは、偽物なんかじゃない」


クリスティーナの声は、低く、波立つカイの心に染み渡るように響いた。


「自分を責めて、世界を憎んで、心を閉ざさないで。あなたは、そんなに弱い男じゃないでしょう?」


彼女の、すべてを見透かしたような、それでいて絶対的な味方でいてくれるような温かい言葉が、カイの頑なな盾を粉々に砕いていく。

母親を亡くしたあの日から、ずっと突っ張って、誰にも弱音を吐かずに「強い男」であろうとしてきた。

だが、今、この年上の女性の前でだけは、ただの傷ついた子供に戻っていいような気がしてしまった。


「……クリス、俺、は……」


カイの声が、初めて小さく震えた。拳の力が抜け、彼女の手の中で指が解けていく。

涙が溢れそうになるのを、カイは必死に堪えた。

格好悪いところを見せたくなくて、視線をあちこちに彷徨わせる。

そんなカイの不器用なプライドを察して、クリスティーナはふっと、悪戯っぽく微笑んだ。


「よし。少しは頭が冷えたみたいね」


そう言って、彼女は包んでいた手を離し、ポンとカイの肩を叩いた。


「さあ、行きましょう。いつまでもこんな暗い通路で立ち止まっていたら、あの冷徹な観測者サマに『非効率的だ』って笑われてしまうわ」


彼女がいつもの調子で歩き出す。


残されたカイは、ハンカチが巻かれた自分の右手を見つめていた。

まだ、彼女の手の温もりが残っている。


胸の奥が、今まで感じたことのない、熱い何かで脈打っていた。

怒りでも、絶望でもない。

ただ、彼女の後ろ姿から目を離すことができない、甘酸っぱくも、狂おしいほどの感情。


(……ずるいだろ、あんなの)


カイは小さく呟き、赤くなった顔を隠すように乱暴に髪をかきむしると、彼女の後を追って走り出した。


「待てよ、クリス! 先に行くな!」


二人の足音が、白く冷たい通路に響き渡る。

傷はまだ癒えない。けれど、カイの心には、もう絶望に負けない小さな火が灯っていた。



挿絵(By みてみん)



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