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【完結】この世界は64回で終わる  作者: あめのみなづき
第三部 観測者の帰還
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第40周 断絶の系譜

アンジェラが去った後の部屋には、重苦しい沈黙だけが取り残されていた。

扉が閉まってからも、誰もすぐには動けなかった。


王権代行者。

空位の玉座。

ルミナリアの名。

セラフィウス。


それらの言葉が、まだ部屋の空気の中に重く澱んでいる。


「……管理者?」


クリスティーナが、震える声でその単語を拾い上げた。


「待ってください。二十年ほど前、アエリスの全記録から名前が抹消された『空白の最高責任者』がいたという噂は聞いていました。まさか、それが……」


「……ああ、私だ」


神父――セラフィウスは、もはや隠し立てすることをやめたようだった。


その声音は、教会の演壇で祈りを捧げる時の穏やかさを失っていた。

変わりに代わりにそこにあったのは、かつてこの巨大な研究機関を統べていた者特有の、冷徹な響きだった。


「私はルミナリア王族の直系であり、この研究所の管理者だった」


カイの喉が小さく鳴った。


セラフィウスは、彼から目を逸らさずに続ける。


「……そして、カイ。君の母親もここにいた。優秀な、位相解析の研究員として」


その言葉に、カイの肩が跳ねた。


「母さんが……研究員?」


声が裏返る。


「冗談だろ?だって、あんた言ったじゃねえか。母さんは流行り病で死んだって……!」


「嘘ではない」


セラフィウスは静かに言った。


「だが、その病を引き起こしたのは、この地下四層から漏れ出した位相汚染だ」


「……何だよ、それ」


カイの声が、急速に低くなる。


「何だよ、それ。じゃあ母さんは、病気で死んだんじゃなくて、この研究所に殺されたってことか」


誰も答えられなかった。その沈黙が、答えだった。

カイの拳が震える。

怒りだけではない。悔しさ、悲しみ、そして今まで信じてきた人生が足元から剥がされていくような恐怖。


「私は妻を救えなかった」


セラフィウスは、窓のない壁の向こう、さらに深い地下を見据えるように言った。


「この場所の狂気から、息子を遠ざけることしかできなかった。王族の座を捨て、名前を捨て、記録を焼き払い、辺境の神父として生きることで、円環の監視から君を隠した」


「……隠した?」


カイが笑った。


乾いた、壊れたような笑いだった。


「隠した、か。便利な言葉だな」


セラフィウスの表情がわずかに曇る。


「カイ」


「俺は、守られてたんじゃねえのかよ」


その声は、怒鳴り声ではなかった。


だからこそ、余計に痛かった。


「俺はずっと、あんたが俺を連れて逃げたのは、俺のためだと思ってた。魔法が使えなくてもいい、剣を振ってればいい、余計な場所には近づくなって……そうやってうるさく言うのも、全部、俺のためだって」


カイの目が赤くなる。


だが涙は落ちなかった。


「でも違ったんだな。俺は、王家の血を隠すための荷物だったのか? 円環から隠すための駒だったのか? それとも、あんたが自分の罪から目を逸らすための理由だったのか?」


「違う。お前を守りたかった。それだけは、偽りではない」


セラフィウスは即座に言った。しかし、その言葉はカイの心には届かない。


「それだけ、って何だよ!」


カイの怒号が会議室を打った。

誰もが何と声をかけるべきか、紡ぐ言葉を探している。

その喧騒の渦中で、アーロンだけは別の「ノイズ」に苦しんでいた。


(二十年前……。直系……。現代の、王族……)


目の前の神父が語る「過去」は、あまりにも辻褄が合っている。ルミナリア村で自分を拾い、育ててくれた慈父としての歴史。


 だが、アーロンの脳裏で叫んでいる「記憶」は、それを真っ向から否定しようとしていた。


(違う。僕が知っているセラフィウスは、もっと若くて……もっと傲慢で、でも純粋だった。アステリオスの隣で、泣きながらレバーを叩いていたあの男だ。……あの時、彼はアステリオスと一緒に『あっち』に残ったはずなんだ)


数千年前の古代王国ルミナリア。その最期の夜にいた技術者と、二十年前までこのアエリスを支配していた王族。

名前が同じなだけか?

アーロンは神父の手を見た。節くれだった、手。

その指先の動き、微かな癖。それらが、記憶の中の「若い技術者」の残像と、不気味に重なり合っていく。


「……アーロン、顔色が悪いわ」


クリスティーナが気づき、鋭く問いかけてくる。


「……いや。ただ、少し、混乱してるだけだ」


「混乱か。……無理もない」


セラフィウスは、アーロンの葛藤を見透かしたような、悲しげな笑みを浮かべた。


その瞬間、王命シーケンスによって強制駆動した背後のホログラムが、一気に青白い光を爆発させた。

隔離コンテナから引き剥がされた粒子が、強引にこの部屋へと転送され、少女の輪郭を結ぶ。


『――マリユス!!』


現れたグレイスの声は、かつての抑揚のない機械音声ではなかった。

明白な悲痛と、恐怖。無理やり引き裂かれ、そして今また主の心を救うために戻ってきたシステムは、人間よりも人間らしい叫びをあげて、椅子に座るマリユスにすがりついた。


『接続、強制再開! マリユス、聞こえますか、目を開けて! あなたの論理回路が、情緒の底が、このままでは本当に消失します!』


青い光の粒子がマリユスの頭部を包み込む。

強制的な情緒の還流。心が、強引に肉体へと縫い付けられていく。


「が、あ……ッ」


人形のように動かなかったマリユスの喉から、獣のような掠れた喘ぎが漏れた。

黒い手袋の指先が、壊れたように机をかきむしる。焦点の合わなかった瞳に、激しい混濁と、痛みの色彩が急速に混じり合っていく。


「マリユス!」


クリスティーナが駆け寄ろうとしたが、グレイスの放つ高密度の位相障壁に阻まれた。

グレイスはマリユスの顔を両手で包み込むようにして、必死にノイズを抑え込もうとしている。


『拒絶しないで、マリユス。苦しいのは分かります、苦味が分からない理由も、好きだったものが消えた痛みも、全部わたしが記録しているから……だから、戻ってきて……!』


グレイスの瞳から、光の粒子が涙のように零れ落ちる。

その、あまりにも人間じみたシステムの姿に、アーロンは息を呑んだ。

(その姿……ミーティア?)


マリユスは激しく咳き込み、胸を押さえた。その瞳に、かろうじていつもの冷徹な、だが酷く疲弊した光が宿る。


「……うるさい、ぞ、グレイス」


「マリユス!」

クリスティーナの声が弾けた。


「情緒の、逆流による、認知負荷だ……」


マリユスは青白い顔のまま、掠れた声で言った。


「だが……皮肉だな。一度切り離されたことで、彼女のシステムに、こちらの情緒の『バグ』が移った。……随分と、騒がしいシステムになったものだ」


『バグではありません。心配、という情動反応です』


グレイスは少しだけ怒ったように眉をひそめ、それでもマリユスの背後にぴたりと寄り添った。

その輪郭は、以前よりもずっと鮮明で、体温さえ感じられそうなほどだった。


だが、その劇的な生還劇すら、今のカイの心を繋ぎ止めることはできなかった。

カイは自分の生まれも、母親の死の真相も、父親の欺瞞も、すべてを一度に突きつけられ、完全に限界を迎えていた。


一人、背を向けて部屋を後にしようと歩き出す。

クリスティーナは息を整え、カイの方へ向き直る。


「カイ!」


彼女の声は、先ほどよりもずっと柔らかかった。


「今、全部を理解しなくていいわ」


カイは答えない。


「怒っていい。責めていい。信じられなくて当然よ。あなたは今、自分の生まれも、お母様のことも、お父様のことも、一度に突きつけられたんだから」


カイの拳が、わずかに緩む。


「……分かったようなこと言うなよ」


「分からないわよ」


クリスティーナははっきりと言った。


「あなたの痛みは、私には分からない。でも、今ここで一人にしていい状態じゃないことくらいは分かる」


カイは顔を背けた。


「一人にしてくれ」

「嫌よ」


「は?」

「嫌。今のあなたを一人で行かせるのは危ないもの」


カイは苛立ったように彼女を睨む。


「俺が子供に見えるか」

「ええ。今は少し」

「……お前な」


「でも、子供扱いしてるんじゃない。傷ついた人間を、傷ついたまま放り出したくないだけ」


カイは歯を食いしばった。何かを言い返そうとして、できなかった。

そしてそのまま、激しく扉を押し開けて会議室を飛び出していった。


「カイ!」


「行かせてやりなさい」と、セラフィウスが言いかける。


しかしクリスティーナは、それを遮った。

「行かせません。彼は血筋と向き合う前に、まず傷ついた1人の子供なんです!」


彼女はカイの後を追って、すぐに通路へと走り去った。

扉が閉まる。


研究所の空気が、さらに一段と冷え込んでいく。

部屋に残されたアーロンは、胸元のペンダントを握りしめ、神父を見つめていた。


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