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この世界は64回で終わる  作者: あめのみなづき
第一部 観測されない少年
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第3周 青い花

 丘の風は、村の中とは少し違う音をしていた。


 草の海が波のように揺れ、遠くの森の木がざわざわと低く鳴る。

耳を澄ませば、それはただの風音ではなく、どこか規則を持った流れにも聞こえた。


 アーロンはその音を聞きながら、さっき見つけた花のことを考えていた。


 青い花。


村の周りであんな色の花は見たことがない。

この辺りに咲くのは、白か薄紫ばかりだ。旅人が持ち込んだ種でもない限り、突然咲くことはない。


それなのに。


「……なんであんなところに」


自分でもよく分からないが、妙な確信があった。

あの花は、ただの花ではない。

そう思うと、放っておく気にはなれなかった。


アーロンはもう一度丘を越え、森の手前まで戻った。

さっきと同じ場所。

風の通り道。


そこに――


「……あった」


青い花は、まだそこに咲いていた。

風に揺れながら、静かに。


 朝よりも少しだけ光を強く受けて、花弁の青がより深く見える。まるで色そのものが光を吸っているようだった。

アーロンはしゃがみ込んだ。

見つめていると、胸の奥が熱くなるような感覚があった。

単なる「珍しい」という好奇心ではない。もっと痛切で、失くしてしまった半身をようやく見つけた時のような、切ない安堵感。


「やっと、見つけた……」


 無意識に呟いた自分の声に、アーロン自身が驚く。

やっと? 

何を探していたというのだろう。

自分はこの村で、神父に拾われてからずっと平穏に暮らしてきたはずなのに。


 今度は慎重に観察する。


 茎は細いがしっかりしている。

葉は小さく、やや銀色がかっている。

花弁は五枚。形は普通の野花に近いが、色だけが圧倒的に違う。


 そして。


「……これ」


花の中心を覗き込んだ瞬間、アーロンは息を止めた。

花粉の模様。

それが、妙に規則的だった。


自然の模様というより、まるで小さな紋様のように並んでいる。


どこかで見た気がする。

いや。


見たというより――


「……思い出しそう」


言葉が喉で止まる。


 頭の奥で、何かが引っかかっている。

 遠い記憶。

 夢の残り香。

 地下の光輪。

 砕ける世界。


その断片が、青い花を見た瞬間に胸の奥で揺れた。

アーロンは慌てて頭を振る。


「いや、違う。夢の影響だ」


そう言い聞かせながら、花をそっと摘み取った。


驚くほど軽い。

触れた瞬間、ひやりとした感触が指先に広がる。冷たいというより、静かな温度だった。

アーロンは立ち上がる。


「神父なら知ってるかもな」


 村の人たちは植物のことには詳しいが、あの神父は妙にいろんな知識を持っている。

薬草、鉱石、古い言葉、そして時々、誰も知らないような話。


アーロンは花を指でくるくる回しながら、村へ戻った。


     

 教会は村の外れにある。

小さな石造りの建物で、屋根の上には風見鶏がついている。

朝の風を受けて、ぎい、とゆっくり回っていた。


 扉を開けると、木と石の匂いがする。 神父は奥の机で何かを書いていた。


「神父」


「戻りましたか」


顔も上げずに答える。


「朝飯は食べましたか」


「食った」


「じゃあ働きましょう」


「ひどい」


アーロンは笑いながら机に近づいた。


「それより、これ」


 青い花を机の上に置く。


 その瞬間。


神父の手が止まった。

ペン先が紙の上で静止する。


ほんの一瞬。

本当に一瞬だけ、空気が変わった。

アーロンはそれを見逃さなかった。


「……知ってる?」


神父はゆっくり顔を上げた。青い花を見る。


長い沈黙。


それから、いつもの落ち着いた声で言った。


「どこで見つけましたか」


「丘の森の前」


「一本だけでしたか」


「うん」


神父は花を手に取った。

指先で軽く回す。


 まるで何かを確かめるように。

その目は、いつもの神父の目ではなかった。


 「……これは」


 彼はゆっくり言った。


「この辺りでは咲かない花です」


「やっぱり」


「というより」


 神父は少し言葉を選んだ。


「咲いてはいけない花、といいましょうか」


「え?」


アーロンは思わず聞き返す。

神父はそれ以上説明しなかった。

ただ、窓の外を見た。


風が強くなっている。

風見鶏が、ぎい、と音を立てて回る。


「アーロン」


「なに?」


「その花を見つけたとき」


神父は静かに言った。


「何か、思い出さなかったですか」


アーロンは答えに詰まる。思い出したわけではない。


 けれど。

思い出しかけた。

それが一番近い。


「……ちょっとだけ」


「そうですか」


神父は小さく息をついた。

まるで、予想していたことが起きたように。


「なら覚えておきなさい」


 彼は花を机に戻した。


「その花は」


 短く言う。


「風が運んでくるものです」


「風?」


「そうです」


神父の目が少しだけ細くなる。


「そして風は」


そこで言葉を止めた。まるで言い過ぎたと気づいたように。


 しばらく沈黙が続く。


アーロンは首を傾げた。


「風は、なに?」


 神父は少しだけ笑った。いつもの、どこか誤魔化すような笑い方だ。


「ただの風です」


「絶対違う」


「違わない」


「怪しい」


アーロンが食い下がると、セラフィウスは肩をすくめた。


「あなたは勘がいいから困る」


「じゃあ教えて」


「そのうち」


「今」


「そのうち」


結局、神父はそれ以上話さなかった。ただ一度だけ、青い花を見つめた。

その視線には、わずかな懐かしさと、少しの恐れが混ざっていた。


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