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この世界は64回で終わる  作者: あめのみなづき
第一部 観測されない少年
2/15

第1周 風の孤児

挿絵(By みてみん)

  世界が軋んでいた。

 それは音というより、悲鳴に近かった。


 深い地下、石でも金属でもない白い壁に囲まれた巨大空間で、光の輪が幾重にも回転している。

輪はただ回っているのではない。砕けかけていた。

青白い火花を散らし、空間そのものを削り取りながら、不規則に脈動している。


 風が吹いていた。


 地下であるはずなのに、嵐のような風だった。

冷たく、乾いていて、どこか遠い場所の記憶まで巻き上げていくような風。

吹き荒れるたび、床に散らばった紙片やガラス片が滑り、光の粉が暗がりへ吸い込まれていった。


 輪の中心に立つ青年が叫んだ。


位相(いそう)()たない……!」


 黒髪が風に乱れ、金に近い琥珀の瞳が激しく明滅する術式の光を映している。

長身のその青年は、足元に幾何学模様の魔法陣を展開しながら、砕けゆく光輪を睨みつけていた。

額には汗が滲み、指先は震えている。


それでもその声は異様なほど冷静だった。


「同期率、四パーセント低下。固定式、第三層から崩落。……だめだ、このままでは全状態が解ける!!」


その隣、半透明の光に包まれた少女が静かに首を上げた。


「マリユス」


少女が言った。

風の中でも、その声だけは不思議とよく通った。


「もう、持たないわ」


「まだだ」


 青年――マリユスは即答した。

 声に感情は薄い。けれど薄いからこそ、そこにある決意は隠しようがなかった。


「ここで固定をやめれば、全観測記録が失われる。世界は圧縮を維持できない。君も――」


 言葉が途切れる。


 その時、風の向こうから、別の影がよろめきながら現れた。

金髪の少年だった。年の頃は十六、十七ほど。

柔らかな髪は乱れ、緑の瞳には切羽詰まった色が宿っている。

頬や腕には小さな擦り傷があり、それでも彼はまっすぐ二人の方へ駆けてきた。


「マリユス!」


その声を聞いた瞬間、少女の表情がわずかに揺れた。

無機質だった瞳に、ほんの一瞬だけ人間の感情が戻る。


「アーロン……」


 少年――アーロンは息を切らしながら立ち止まり、崩れかけた巨大な円環を見上げた。

見上げた、というより、見覚えがあるとでも言いたげな目つきだった。初めて見るはずのものを、ずっと前から知っているような、そんな奇妙なまなざし。


「間に合った……のか」


 その問いに答える者はいなかった。

 代わりに、空間全体を震わせる低い唸りが響く。

円環の一部が砕け、光の破片となって降り注いだ。その破片が床へ触れるより先に、青い花びらへと姿を変えて舞う。


 アーロンは目を見開いた。


 花。


 見たことがある気がした。

どこで、と考えるより先に、胸の奥がざわつく。


懐かしい。


けれど、何を懐かしんでいるのかが分からない。


「――()()、これか」


 思わず零れた言葉に、自分で驚く。

 またなんて、どうして言ったのだろう。


 マリユスがアーロンを見る。

いつもの無機質なまなざしではなく、何かを確かめるような、切実な視線だった。


「来てはいけなかった」


「でも、来なきゃいけない気がした」


 アーロンは即座に返した。


 理屈ではない。ただ、そうしなければならないと知っていた。

 少女がふっと笑う。ほんの少し、泣きそうな笑みだった。


「やっぱり、あなたは来るのね」


「――君は」


 アーロンがその顔を見る。

知っている気がする。ずっと前から。

夢の中で何度も会っていたような、そんな感覚。


 だがその問いを遮るように、空間のさらに奥、円環の中心から声が響いた。


男の声だった。

深く、静かで、どこか懐かしい声。


『君ならわかるはずだ』


アーロンは息を呑んだ。

その声を、知っている。

知っているはずがないのに、知っている。

マリユスの肩がぴくりと揺れる。


少女は目を閉じた。

円環の中心、砕けながらなお眩い光の中に、一人の男の輪郭が浮かび上がる。


金髪。緑の瞳。

アーロンと似ている。

けれど、決定的に違う。


少年らしい柔らかさではなく、張り詰めた剣のような美しさ。王のように凛とした立ち姿。


『マリユスではない』


 声が続く。


『私を観測してほしい』


「っ……」


アーロンは一歩踏み出した。

何を言われているのか、理屈では分からない。けれど、分かってしまう。


観測。

確定。

終わらせるということ。

始めるということ。


 そのとき、マリユスが苦しげに顔を上げた。


「アーロン……見るな……」


彼は掠れた声で言った。


「そいつを見れば、おまえも――」


続きは、轟音に呑まれた。

円環が裂けた。


 空間のどこかで、見えない何かが決壊する。

風が一気に強まり、床に散っていた青い花びらが渦を巻いて舞い上がった。

少女がアーロンに向かって手を伸ばす。

マリユスも何かを叫んでいる。


 けれど、アーロンの視線はただ一人へ向いていた。


光の中に立つ男。

自分によく似た、けれど自分ではない誰か。

その緑の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。



次の瞬間、世界が白く塗り潰された。

これは終わりではない。何かが、ずれている。何かが、足りない。


 ——やり直される。

その予感だけが、はっきりと残った。




そしてすべてが、消えた。




 ————————————————————


 system_loop : 62 / complete

 grace_system : stabilized


 observer : lost


 ——initializing next world


 world : 63


 ————————————————————


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