表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この世界は64回で終わる  作者: あめのみなづき
第一部 観測されない少年
14/15

第13周 世界の限界

 時間は止まり、永遠に沈まない太陽が放つ病的なまでの橙色が、ルミナリア村を支配し続けていた。

 

 風が死に、音が消えた。  

本来聞こえるはずの虫の声も、木の葉の擦れも、人々の生活音も。すべてが厚い粘土に塗りつぶされたかのように沈黙している。

 

 だが、その静寂を切り裂いたのは、人間たちの剥き出しの恐怖だった。

広場に集まった村人たちは、「明日が来ない」という非現実的な暴力に耐えきれず、狂気の一歩手前にいた。  


 家畜は眠らず、井戸水はぬるいまま。時計代わりに鳴いていた鶏も、いつ鳴けばいいのか分からず戸惑っている。  

母親たちは泣き止まない子を抱え、老人たちは震える手で十字を切り、若者たちは苛立ちをぶつけるように地面を蹴っていた。彼らにとって、高説を垂れるマリユスたちは救世主などではない。平穏な死すら奪った死神に等しかった。


「あんたらのせいだ! 余計な機械を持ち込むから、太陽が動かなくなったんだ!」


「子供が眠れないんだよ! いつになれば今日が終わるんだ!」


「都会の学者なんぞ呼ぶんじゃなかった!」


 浴びせられる罵声を、クリスティーナは一人で受け止めていた。暴徒化しかけた群衆の前に立ち、必死に説得を続ける。  


彼女の持つ記録水晶は、もはや何も映していない。

レンズの向こう側の世界が「更新」を止めたため、記録すべき事象そのものが消滅したのだ。

それでも彼女は、震える手で真っ白な手帳を広げ、消えゆく街並みの輪郭を書き留め続けていた。これが最後の一行になるかもしれないという恐怖を、「実務」という名の仮面で押し殺して。


「落ち着いてください! 原因はまだ特定できていません。でも、私たちは――」


「『私たち』だと!?」


村の男が一歩前に出た。怒りで赤黒く染まった顔がクリスティーナを威圧する。


「お前らが来るまでは、ここは静かだったんだ! あの黒髪の男は何をした!? 変な石だの機械だのを持ち込んで……!」


「そうだ! あいつを出せ!」


怒号が重なり、空気が軋む。そのとき、教会の石段の上から冷えた声が落ちた。


「説明なら、すでに済んでいる」


 ざわめきが止まる。  

いつの間にか、マリユスが立っていた。


風もないのに黒衣の裾を静かに揺らし、無機質な眼差しで広場を見下ろしている。

顔色は青白く、その消耗は明らかだった。だが、その姿勢だけは少しも崩れていない。


「時間停止は、世界そのものの構造欠陥が顕在化した結果だ。原因は私ではない。私は、それを観測したにすぎない」


「屁理屈を! だったら元に戻せ、学者なんだろ!」


「できない」


即答だった。その冷徹な一言に、村人たちの顔が絶望に染まる。


「ふざけるな! だったら何しに来た!」


 石がひとつ、投げ込まれた。  

乾いた音。マリユスの肩口に当たり、黒衣に白い埃がつく。

クリスティーナが息を呑んだ。


「マリユス!」


だが本人は、まるで小雨でも受けたかのように視線ひとつ動かさなかった。


「怒号も投石も、位相異常には一切影響しない。非効率だ」


「この……!」


村人たちがさらに踏み込もうとした、そのとき。  

小さな、か細い声が、群衆の殺気を裂いた。


「……お兄ちゃん」


皆の視線が、一斉にそちらを向く。母親の後ろに隠れていた、まだ五つほどの女の子だった。目を真っ赤に腫らし、不安に震えている。


「ねえ……わたし、もう、ねむれないの? おひさま、ずっとこのまま? ……あした、こないの?」


広場が、しんと静まり返った。  

誰も、答えられなかった。


 マリユスは、少女をじっと見つめた。

その金の瞳に宿るのは、拒絶ではなく、ただ事実を見つめる者の静かな痛みだった。  


やがて、彼は石段を一歩降りた。村人たちがざわめくが、彼は構わず少女の前まで歩み寄る。しゃがみ込む動作はひどくぎこちなく、不器用だった。


「……怖いか」


少女はこくりと頷いた。


「そうか」


マリユスは、少しだけ視線を伏せた。


「怖いのは、正しい。世界がおかしいときに、怖いと思えるのは、君の心が壊れていない証拠だ」


少女は涙をこぼしながら、彼を見上げる。


「じゃあ、あしたは……?」


ほんのわずかな沈黙。  


それから、マリユスは珍しく、断言した。


「来る」


広場にどよめきが起きる。

クリスティーナも息を止めた。

マリユスは少女の目だけを見ていた。


「必ずだ。私は、そのためにここにいる」


その声には、理屈も虚勢もなかった。

ただ、絶対に折れない意志だけがあった。

少女は泣きながらも、小さく頷いた。  

その空気を、柔らかな声が包み込む。


「皆さん、どうか落ち着いてください」


教会の扉が開き、神父が姿を現した。止まった夕陽の下で、黒い法衣が淡く光る。


「恐ろしいのは分かります。ですが、恐怖は人を間違った道へと導きます。今、皆さんが向けるべき相手は、隣にいる人の手です」


神父はゆっくりと歩み、静かにマリユスを見た。


「この若者は、不器用です。人を安心させる言葉も、気の利いた嘘も言えない。ですが、彼は誰よりも真剣に、この世界の異変と向き合っています。どうか、彼を信じてはいただけませんか」


村人たちの視線が、少しずつ毒気を失っていく。

マリユスは無言のままだったが、その肩の強張りが、ほんの少しだけ緩んだ。



 混乱の渦中からアーロンを連れ出したカイは、村の外れにある丘へと逃れていた。遅れて合流したクリスティーナが、肩で息をしながら座り込む。  

アーロンは自分の胸のあたりを、何度も確かめるように触っていた。


「……カイ、心臓が変なんだ。動いてるのは分かるのに、鳴るたびに、それが『さっきの音』と同じ気がする。新しい鼓動じゃないみたいで……」


カイは、アーロンの手を力強く握りしめた。  

カイ自身の身体にも、すでに異変は起きていた。空腹も渇きも消えた。


生理的な欲求の停止――それは生命が「今」という一点に縫い止められ、変化という成長を拒絶されていることを意味していた。


狩人として、この静止は死よりも恐ろしい。  

それでも、カイは笑ってみせた。


「大丈夫だ、アーロン。俺が握ってるこの手の熱さは、さっきの熱じゃねえ。俺が今、お前のために出してる熱だ。それだけは、世界がどうなろうと『新しい』はずだぜ」


アーロンは唇を噛み、少しだけ頷いた。


「……ほんと、どいつもこいつも」


クリスティーナが空を見上げた。沈まない夕日が、容赦なく地上を焼いている。


「でも、あいつはもっと限界よ。マリユスは、平気そうな顔をしているときほど危ない。自分が壊れるまで止まらないから」


「ほんと面倒なやつだな、構造くんは」


「でも」


アーロンが、ぽつりと言った。


「さっき、あの子に『明日は来る』って言ってた。……たぶん、自分にも言い聞かせてたんだと思う」


沈黙。  


それから、カイが力強く立ち上がった。


「よし。じゃあ、あの面倒くさい構造くんが干からびる前に、引っ張り出しに行くか」


クリスティーナが思わず吹き出す。


「そうね。それが私たちの『実務』だわ」


止まった夕日の下。それでも、彼らの足だけは前へ進んでいた。


 丘から戻ったとき、教会の中はひどく静かだった。

外の狂騒が嘘のように、空気は重く沈み、

止まった時間がそのまま空間に凝固しているかのようだった。


燭台の火は揺れない。

祈りの声もない。

ただ一人、神父だけが祭壇の前に立ち、何も言わずにこちらを見ていた。


 扉が軋む音とともに、アーロン、カイ、クリスティーナが入る。

その後から、遅れてマリユスが現れた。


 誰も口を開かない。

今ここで言葉を発せば、何かが決定的に瓦解することを、全員が本能で理解していた。


重苦しい空気の中、沈黙を破ったのは、やはりマリユスだった。


「……結論が出た」


短い一言だった。

だが、その声音には、すでに選択の余地がないことが含まれていた。

クリスティーナの指先が、わずかに強張る。


「……原因、分かったの?」


マリユスは首を振らない。

ただ、まっすぐに全員を見る。


アーロン。カイ。

クリスティーナ。


そして、最後に――神父へ。


「原因は特定できた。対処法も理論上は存在する」


一瞬だけ、希望が生まれかける。

だが、次の言葉が、それを完全に断ち切った。


「――だが、この世界は救えない」


空気が、墜ちた。


「……は?」


最初に声を漏らしたのはカイだった。理解を拒むように、低く、荒く。


「何言ってんだ、お前……さっき、外で――」


「嘘は言っていない」


マリユスは即答した。


「“明日は来る”」


その言葉を、淡々と繰り返す。


「来る。ただし、それは“この世界の明日”ではない」


クリスティーナの瞳が大きく揺れた。


「……どういう意味よ、それ」


「この位相は、すでに崩壊臨界点を越えている」


マリユスの声は、あまりにも静かだった。


「時間は停止しているのではない。“次の更新が拒絶されている”状態だ。世界そのものが、次の状態を生成できない。因果の円環が閉じている」


神父が、わずかに目を細めた。


「……円環の、断絶ですか」


「このままでは、この位相は保存も破棄もされないまま、中途半端なバグとして固定される」


「……それって」クリスティーナの声が震える。「……永遠に、このままってこと?」


「そうだ。人も、空も、太陽も。すべてが“未完のまま固定”される」


アーロンの手が、無意識に胸を掴む。


「じゃあ……あの子たちは……」


マリユスは、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。


「救えない」


その一言に、すべてが込められていた。


「この世界にいる限り、な」




沈黙が落ちる。




カイが一歩踏み出した。


「ふざけんなよ」


低い声だった。だが、その奥には怒りではなく――恐怖があった。


「じゃあ何だ?見捨てるのかよ。あいつらを」


マリユスは、ゆっくりと首を横に振った。


「見捨てるのではない」


そして、静かに続ける。


「――()()()()


その言葉の意味を、誰もすぐには理解できなかった。ただ一人、神父だけがわずかに目を閉じる。


「……なるほど。そういうことですか」


マリユスは神父の反応を肯定するように見つめ、言葉を継いだ。


「この世界は『失敗した履歴』として固定される。だが、次の位相へは干渉できる」


アーロンが顔を上げる。


「……それって」


()を救う」


マリユスの瞳が、静かに光を帯びる。


「この世界は救えない。だが、この世界の先にある可能性は、まだ死んでいない」


その言葉は、たしかに希望の形をしていた。

同時に、今ここに存在するすべてを切り捨てる、あまりにも残酷な宣告でもあった。


絶望の果てに綴られる「次」のページ。

それがすべてを救うための、最後の円環へと繋がっていることを、まだ誰も知る由はなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ