【09】贈り物
エーベンローデとクライスが唯一顔を合わせる朝食の時間。
回数が重なろうと、相変わらず、会話は多い訳ではない。殆どの時間、無言で食事を口に運ぶだけの時間だ。
けれどそれが、エーベンローデには気楽だった。
実家にいた頃は、会話の中心はアルテローデだけだった。父と母とアルテローデの三人が話をするだけ。エーベンローデがそこに入る事はない。入れて貰える事は、ない。
ずっと喋っている三人から疎外されて、食事を摂っていた。
気まずくて、苦しくて、一秒でも早くこの時間が終わればいいと思っていた。
その時と比べれば、今の時間は気楽だ。
クライスはエーベンローデを阻害している訳ではない。ただただ、食事を摂っているだけ。エーベンローデも同じだ。
ただ同じ場を共有している。無理に喋らなくても別に良いのだと、思えた。
そんな時間をいつものように過ごしていると、珍しい事に、食事の後、クライスが話しかけて来た。
「そういえば、エーベンローデ殿」
「はい」
「もうすぐ、貴女の誕生日が近いと思って。何か贈り物をしたいと思うのだが、希望の物などはあるだろうか」
クライスからの問いかけに、エーベンローデはぽかんとした。
何を言われたのか、分からなかった。
「……たん、じょうび……?」
「ああ。……すまない。日付が間違っていたか?」
「……いえ、間違っては……」
いい淀む。
誕生日。
自分の生まれた日。
「貴女と私はまだお互いの事を知っている訳ではないから、勝手に私の趣味で選んでも迷惑だと思ったのだが……」
趣味。贈り物。
誰から?
誰へ?
「贈り物……?」
「あ、ああ。…………エーベンローデ殿? 大丈夫か?」
「は、はい、大丈夫です。…………その。えぇと。私に、ですか?」
クライスは一瞬、困ったように沈黙した。
「貴女の誕生日の贈り物だから、貴女へ送る、のだが……。…………ッ!?」
言葉の途中で、クライスが息をのむ。エーベンローデは不思議に思った。何か、おかしな事があったような顔だと思ったからだ。
次いで、自分の変化に気が付く。
なぜか、クライスの輪郭が歪んで、いや、世界が歪んでいく。
「エーベンローデ殿!? 何故泣く?! な、何か不愉快な事を言っただろうか、俺は」
「い、ぃえ、そうでは、なくてっ……」
指摘されて、泣いていると気が付いた。慌てて止めようと手で目元を押さえる。しかし止まらず、トリメルが差し出してくれたハンカチで目元を抑える。
なんとかある程度涙を止めた後に、エーベンローデはクライスに答えた。
「……はじめて、言われた、ので」
「初めて?」
「贈り物は、全て、姉のものだったので……」
「姉の、とは、まさか、…………君の誕生日にも、という事か?」
頷くと、クライスは目元を手で覆って、天を仰ぐ。
涙を抑えた後、エーベンローデは改めてクライスからの質問に答えた。
「何も、要りません。今で十分、何の役にも立っていないのに、色々なものをいただいておりますから……」
「それは、違う。エーベンローデ殿」
「え……」
「今受け取っているものは、貴女が本来、三十年の間に受け取るべきだったものだ。不当に与えられなかったものを、遅れて、与えられているだけに過ぎない」
クライスの黄色い瞳に見つめられ、エーベンローデは自信なさげに、眉を垂れ下げる。
「…………けれど、私は何も出来ていなくて」
うつむいたエーベンローデを見たクライスは、あえて茶化すような声色で尋ねた。
「……貴女も中々、仕事が好きな性質か?」
好きか嫌いか、エーベンローデには分からない。
それを表明した所で、良い方向に行く事はなかった。だから出来る限り、考えないようにしてきた。――次第に、だんだん、本当に、分からなくなっていったのだ。
「そうだな……では、急ぎではないけれど、よければ俺のクラバットに刺繍でもしてくれないか?」
「クラバットに、ですか?」
「ああ。最近そういうのが流行っているらしい。勿論、嫌でなければだが」
「いえ、します」
即答にクライスはほんの少し目を丸くしたあと、穏やかにほほ笑んだ。
「では頼む。エーケニス、後でクラバットを届けておいてくれ。……さて。話を戻すが、何か欲しいものはあるだろうか? 考えてみてくれ」
「欲しいもの……」
再度その言葉を口の中で転がした時、思い出したものがあった。
――小さいころ。欲しかったものがあった。
けれどそれは、もう、五十を目前にした女には、相応しいと思えない。
だから、口にしてはいけない。エーベンローデはそう考えた。
(何か、適当な、代替案のもの……)
刺繍の道具だと、それは送るので別の物、と言われてしまいそうだ。編み物も同じだろう。
しかし、宝石や装飾品の類は、貰ったところで使いどころがない。勿体ない。綺麗なドレスなども、同じだ。
(何か、何か……)
「……幼いころから自分への贈り物がなかったのだとしたら、幼いころに欲しかったけれど貰えなかったものなど、ないか?」
「えっ」
唐突のクライスからの提案に、エーベンローデは目を丸くする。「その顔は何かありそうだな」とクライスは言った。
「何が欲しい?」
「いえ、その……今の私には、到底、相応しいものではなく」
「相応しいかどうかなど関係ないだろう。欲しいもの、なのだから」
困って、助けを求めるようにトリメルを見る。トリメルはニコリと笑い、「なんでも仰ってください」という。違う。欲しいのはそちらの手助けではない。しかし、それは言えなかった。
「欲しい、もの」
――ずっと脳裏で、忘れられないものがあった。
欲しくてほしくて、両親にお願いして、やっと貰えたと思ったら、姉に取られてしまった、もの。
それを両親は咎めもせず、エーベンローデに受け入れろと言ってきた。
(言ってもいいの? あれを)
クライスはただ静かに、エーベンローデが望みを言うのを待っている。
(言ってもいい、のなら)
クライスはエーベンローデを止める事はなかった。
静かに、エーベンローデが希望を言ってくるのを、待っている。
キュッと唇に力を込めてから、消えてしまいそうな小さな声で、エーベンローデは欲しい物を伝えた。
「……ねこの、ぬい、ぐるみ……」
「分かった。大きさや色に希望は」
笑われると思ったのに、クライスは当然のように、なんてことないように、話を続けてくる。
それにエーベンローデは混乱してしまって、どもりながら必死に言葉を紡ぐ。
「こ、これぐらいの……黒い、猫の……」
両腕でサイズを示しながら言われるがままに希望を伝える。
「分かった。用意しよう」
あっさりとまた言われて、エーベンローデはまた目元に涙を溜めながら、俯いた。
今まで、まともに認識した事もなかった誕生日は、すぐやってきた。大きなパーティーは開かれない。エーベンローデが希望しなかった。変わりに、朝食が少し豪華になった。それから、クライスから、贈り物を渡された。
「貴女の希望に添えていると良いのだが」
袋から取り出されたそれは、可愛らしいピンクのリボンがついた、黒猫のぬいぐるみだった。
記憶の中の、姉に奪われた猫のぬいぐるみを思い出す。
つぶらな瞳が可愛くて、本当にうれしくて。受け取った後、両腕で強く抱きしめて。けれどそれは姉にすぐ奪われてしまって。返してほしかったけど、両親からは許されなくて。そして数日後には、飽きられて、ゴミに捨てられていたのを、エーベンローデは見た。
悲しかった。捨てるぐらいならエーベンローデに返してほしかった。けれどゴミからまた取り上げたなら、アルテローデにまた取られると知っていた。その年には既にそう学習していた。だから出来なかった。
顔は、違う。きっと、作っている所が違う。当然だ。
捨てられたぬいぐるみは、青い目の色をしていた。
今腕の中にあるぬいぐるみは、黄色い目をしている。
同じ子ではない。あの時の傷が全て癒える訳ではない。
けれど、幼いころ、姉にぬいぐるみを奪われて泣いていた頃のエーベンローデにやっと、寄り添ってくれる人が現れた――そんな、気がした。
「あり、がとうご、ございます」
両腕でぬいぐるみを抱きしめて、エーベンローデは礼を伝えた。クライスはそれに、ホッとしたような顔をした。




