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結婚30年。夫は妻の顔を見て「お前、誰だ?」と言った  作者: 重原水鳥


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【09】贈り物

 エーベンローデとクライスが唯一顔を合わせる朝食の時間。


 回数が重なろうと、相変わらず、会話は多い訳ではない。殆どの時間、無言で食事を口に運ぶだけの時間だ。


 けれどそれが、エーベンローデには気楽だった。



 実家にいた頃は、会話の中心はアルテローデだけだった。父と母とアルテローデの三人が話をするだけ。エーベンローデがそこに入る事はない。入れて貰える事は、ない。


 ずっと喋っている三人から疎外されて、食事を摂っていた。


 気まずくて、苦しくて、一秒でも早くこの時間が終わればいいと思っていた。



 その時と比べれば、今の時間は気楽だ。


 クライスはエーベンローデを阻害している訳ではない。ただただ、食事を摂っているだけ。エーベンローデも同じだ。

 ただ同じ場を共有している。無理に喋らなくても別に良いのだと、思えた。


 そんな時間をいつものように過ごしていると、珍しい事に、食事の後、クライスが話しかけて来た。


「そういえば、エーベンローデ殿」

「はい」

「もうすぐ、貴女の誕生日が近いと思って。何か贈り物をしたいと思うのだが、希望の物などはあるだろうか」


 クライスからの問いかけに、エーベンローデはぽかんとした。


 何を言われたのか、分からなかった。


「……たん、じょうび……?」

「ああ。……すまない。日付が間違っていたか?」

「……いえ、間違っては……」


 いい淀む。


 誕生日。


 自分の生まれた日。


「貴女と私はまだお互いの事を知っている訳ではないから、勝手に私の趣味で選んでも迷惑だと思ったのだが……」


 趣味。贈り物。


 誰から?

 誰へ?


「贈り物……?」

「あ、ああ。…………エーベンローデ殿? 大丈夫か?」

「は、はい、大丈夫です。…………その。えぇと。私に、ですか?」


 クライスは一瞬、困ったように沈黙した。


「貴女の誕生日の贈り物だから、貴女へ送る、のだが……。…………ッ!?」


 言葉の途中で、クライスが息をのむ。エーベンローデは不思議に思った。何か、おかしな事があったような顔だと思ったからだ。

 次いで、自分の変化に気が付く。

 なぜか、クライスの輪郭が歪んで、いや、世界が歪んでいく。


「エーベンローデ殿!? 何故泣く?! な、何か不愉快な事を言っただろうか、俺は」

「い、ぃえ、そうでは、なくてっ……」


 指摘されて、泣いていると気が付いた。慌てて止めようと手で目元を押さえる。しかし止まらず、トリメルが差し出してくれたハンカチで目元を抑える。


 なんとかある程度涙を止めた後に、エーベンローデはクライスに答えた。


「……はじめて、言われた、ので」

「初めて?」

「贈り物は、全て、姉のものだったので……」

「姉の、とは、まさか、…………君の誕生日にも、という事か?」


 頷くと、クライスは目元を手で覆って、天を仰ぐ。


 涙を抑えた後、エーベンローデは改めてクライスからの質問に答えた。


「何も、要りません。今で十分、何の役にも立っていないのに、色々なものをいただいておりますから……」

「それは、違う。エーベンローデ殿」

「え……」

「今受け取っているものは、貴女が本来、三十年の間に受け取るべきだったものだ。不当に与えられなかったものを、遅れて、与えられているだけに過ぎない」


 クライスの黄色い瞳に見つめられ、エーベンローデは自信なさげに、眉を垂れ下げる。


「…………けれど、私は何も出来ていなくて」


 うつむいたエーベンローデを見たクライスは、あえて茶化すような声色で尋ねた。


「……貴女も中々、仕事が好きな性質か?」


 好きか嫌いか、エーベンローデには分からない。

 それを表明した所で、良い方向に行く事はなかった。だから出来る限り、考えないようにしてきた。――次第に、だんだん、本当に、分からなくなっていったのだ。


「そうだな……では、急ぎではないけれど、よければ俺のクラバットに刺繍でもしてくれないか?」

「クラバットに、ですか?」

「ああ。最近そういうのが流行っているらしい。勿論、嫌でなければだが」

「いえ、します」


 即答にクライスはほんの少し目を丸くしたあと、穏やかにほほ笑んだ。


「では頼む。エーケニス、後でクラバットを届けておいてくれ。……さて。話を戻すが、何か欲しいものはあるだろうか? 考えてみてくれ」

「欲しいもの……」


 再度その言葉を口の中で転がした時、思い出したものがあった。


 ――小さいころ。欲しかったものがあった。


 けれどそれは、もう、五十を目前にした女には、相応しいと思えない。

 だから、口にしてはいけない。エーベンローデはそう考えた。


(何か、適当な、代替案のもの……)


 刺繍の道具だと、それは送るので別の物、と言われてしまいそうだ。編み物も同じだろう。

 しかし、宝石や装飾品の類は、貰ったところで使いどころがない。勿体ない。綺麗なドレスなども、同じだ。


(何か、何か……)


「……幼いころから自分への贈り物がなかったのだとしたら、幼いころに欲しかったけれど貰えなかったものなど、ないか?」

「えっ」


 唐突のクライスからの提案に、エーベンローデは目を丸くする。「その顔は何かありそうだな」とクライスは言った。


「何が欲しい?」

「いえ、その……今の私には、到底、相応しいものではなく」

「相応しいかどうかなど関係ないだろう。欲しいもの、なのだから」


 困って、助けを求めるようにトリメルを見る。トリメルはニコリと笑い、「なんでも仰ってください」という。違う。欲しいのはそちらの手助けではない。しかし、それは言えなかった。


「欲しい、もの」


 ――ずっと脳裏で、忘れられないものがあった。


 欲しくてほしくて、両親にお願いして、やっと貰えたと思ったら、(アルテローデ)に取られてしまった、もの。

 それを両親は咎めもせず、エーベンローデに受け入れろと言ってきた。


(言ってもいいの? あれを)


 クライスはただ静かに、エーベンローデが望みを言うのを待っている。


(言ってもいい、のなら)


 クライスはエーベンローデを止める事はなかった。

 静かに、エーベンローデが希望を言ってくるのを、待っている。


 キュッと唇に力を込めてから、消えてしまいそうな小さな声で、エーベンローデは欲しい物を伝えた。


「……ねこの、ぬい、ぐるみ……」

「分かった。大きさや色に希望は」


 笑われると思ったのに、クライスは当然のように、なんてことないように、話を続けてくる。

 それにエーベンローデは混乱してしまって、どもりながら必死に言葉を紡ぐ。


「こ、これぐらいの……黒い、猫の……」


 両腕でサイズを示しながら言われるがままに希望を伝える。


「分かった。用意しよう」


 あっさりとまた言われて、エーベンローデはまた目元に涙を溜めながら、俯いた。





 今まで、まともに認識した事もなかった誕生日は、すぐやってきた。大きなパーティーは開かれない。エーベンローデが希望しなかった。変わりに、朝食が少し豪華になった。それから、クライスから、贈り物を渡された。


「貴女の希望に添えていると良いのだが」


 袋から取り出されたそれは、可愛らしいピンクのリボンがついた、黒猫のぬいぐるみだった。


 記憶の中の、姉に奪われた猫のぬいぐるみを思い出す。

 つぶらな瞳が可愛くて、本当にうれしくて。受け取った後、両腕で強く抱きしめて。けれどそれは姉にすぐ奪われてしまって。返してほしかったけど、両親からは許されなくて。そして数日後には、飽きられて、ゴミに捨てられていたのを、エーベンローデは見た。


 悲しかった。捨てるぐらいならエーベンローデに返してほしかった。けれどゴミからまた取り上げたなら、アルテローデにまた取られると知っていた。その年には既にそう()()していた。だから出来なかった。


 顔は、違う。きっと、作っている所が違う。当然だ。


 捨てられたぬいぐるみは、青い目の色をしていた。

 今腕の中にあるぬいぐるみは、黄色い目をしている。


 同じ子ではない。あの時の傷が全て癒える訳ではない。

 けれど、幼いころ、姉にぬいぐるみを奪われて泣いていた頃のエーベンローデにやっと、寄り添ってくれる人が現れた――そんな、気がした。


「あり、がとうご、ございます」


 両腕でぬいぐるみを抱きしめて、エーベンローデは礼を伝えた。クライスはそれに、ホッとしたような顔をした。

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― 新着の感想 ―
 もう取り戻せない失われた時間だけれど、少しずつでも埋め合わせることは出来るということを認識させてくれる。  また少しずつ時計の針を動かしていけば良い。  もちろんそれでクライスの罪が無くなる訳ではな…
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