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結婚30年。夫は妻の顔を見て「お前、誰だ?」と言った  作者: 重原水鳥


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【08】エーベンローデは思い悩む

「……跡取りの方は、お決まりになったの?」


 エーベンローデの問いに、紅茶を淹れながらトリメルが答える。


「まだのようですね。ですが、あと三人との事です」

「三人。そうなの……。どのような方々?」

(イエローサファイア)(伯爵家)のご息女がおひとり。クライス子爵と同一の曽祖父をお持ちの一代子爵の男性がおひとり。かなりの遠縁で、母君がイエローサファイア男爵令嬢だったという男性がおひとりです」


 中々に統一感のない残り方だ。


「クライス様の従兄弟の方々は、残られなかったのね」


 エーベンローデは跡取り候補を入れる事になってから、このイエローサファイア子爵家の親族関係を調べた。突然嫁ぐ事になった上、嫁いだ後は三十年閉じ込められていたので、親族関係など知らない。


 そうして調べると、一番近い血筋は、エーベンローデを閉じ込めた前子爵(ブルクヒルデ)の弟の血筋だと分かった。


 ほかにも広く、可能性のある人間を集うとは聞いていたが、実質的にはこの弟一家から、跡取りを取るのかと思っていたのだ。実際は、そうではないようだが。


 叔父一家の半分以上が想像以上に激務の子爵家の仕事に辞めていっていた事を、エーベンローデは知らない。

 叔父一家は領地の一部を収めていた経験を持つので、いけると思っていたようだが、実際には仕事の範囲があまりに違い過ぎて、無理だと根を上げていたのだ。


 残りの幾人かは、エーベンローデに対する発言が理由で辞めさせられた事は、もっと知らない。


 それでよいだろうとトリメルは判断していた。なので、前半の理由だけを伝えた。


「思っていたよりも子爵家の仕事の幅が大きく、諦められたようです。子爵家当主とならずとも、叔父君の御長男は、叔父君の仕事をそのまま継げますから」

「そういう考えもあるわね」


 実の所、叔父の子供の中で一番最初に跡取りになるのを諦めたのは、この長男だった。直接父の仕事を手伝って、父親の跡を継ぐと働いていた分、仕事量の違いに気が付き「これならば父の跡を継いで小さな家で当主をしている方が良い」と判断したのだった。ある種の損切りかもしれない。

 帰る際に、ついでにとばかりに「父親(クライスの叔父)の仕事を正式に自分が継ぐ事」「自分の子らに、一代限りの男爵位で良いので、爵位を与えて欲しい事」をクライスに願い出ていた。クライスは犯罪を犯さず誠実に仕事をするなら与えると約束した。


 長男は下がる際に、クライスの叔父から見ると、孫世代も回収していった。比べられる相手と孫世代の年齢差を考えると、彼らを押しのけて跡取りになるのは不可能に近いと考えたからだ。

 クライスがまだ三十代とかならば、若くても選ばれたかもしれない。

 しかしクライスも今年五十。そろそろ、いつ亡くなってもおかしくないと考えると、ある程度年齢が高い人間から後継者を選ぶと思ったのである。


 その次に去った叔父の系譜は、他所に嫁いだ娘たちだった。

 彼女たちはそもそも、他所の家で、小さいながらの貴族夫人として暮らしていた。子爵家当主の座が簡単に取れそうなら女子爵になろうと思ったが、長男があっさり引くほど大変そうなら、大人しく婚家に帰る方が早い。

 それでもちょっと夢を見て残っていた者もいたが、自分に縁のないエーベンローデの世話をクライスの死後もしなくてはならないと聞いて、去っていった。


 なので最後まで残っていたのは、クライスの叔父(ちちおや)から職を継げない、次男以下だったのだ。

 しかし一人が明らかに不興を買って退場したのだから、これ以上無理に引き下がっても意味がないと思ったらしい。最後の一人も、去っていった。


「どなたが跡取りになるかは分からないけれど……その方々が正式に子爵になられる前には、私も身の振り方を考えねばならないわね」

「まあ、エーベンローデ様! そのような事は不安に思う必要はないと、クライス子爵はお考えですわ」

「クライス様はそうかもしれないけれど……ほかの方々からすると、私は何の役にも立っていない人間でしょう」


 エーベンローデは目を閉じる。もう殆ど、どんな声だったかすら思い出せないのに、何の役にも立てないと実の家族に嗤われたりした事を思い出してしまう。


「何か、何か私にあれば良かったのだけれど……」

「あまり考え込んではいけませんわ。さ、紅茶を飲まれてください」

「ありがとう、トリメル」


 年若いトリメルは、エーベンローデにとっては眩しい存在でもあった。


 こんな事を言うと、トリメルは「若くなどありませんよ」と笑うだろうけれど、四十七のエーベンローデにとっては、十以上年が離れているのなら、かなり若い存在だ。

 武を誇るルビーの名を関する一族出身であり、美しい赤髪は、まさしく紅玉(ルビー)のような美しさだ。


 これは、専属護衛騎士として控えてくれている、ヴァーリャも当てはまる。

 むしろ侍女服に身を包むトリメルよりも、ヴァーリャの方が、パッと見は『ルビーの騎士』で想定する姿だった。紅玉(ルビー)のような輝きの髪を一つにくくり、いつ見ても背筋正しく、控えて立っている。

 ヴァーリャが砕けた態勢になっている場面など、エーベンローデは見た事がない。


 紅茶を飲んだ後、ぼんやりとしながら、エーベンローデは刺繍を指した。

 何も考えずに刺繍を指す。誰かに贈る為でもなく、自分用でもない。綺麗な柄に仕上げたい訳でもなく、ただただ、無心で、針を刺す。

 それがなんだか、今のエーベンローデには合った。


 実家にいた頃は、実の所、こういう事はあまりしなかった。

 いつか家を出れたなら、自分で働いて、生きて行こうだなんて、叶わぬ夢を見ていた。

 刺繍は、あまりうまく出来なかったし、そもそも金が勿体ないからと、糸や布代も出してもらえなかった。

 今みたいに、欲しいと言えば布も糸ももらえる方が、おかしいのだ。


(何もしていない私が、恵まれた環境に置かれるなんておかしいのよ)


 一度はクライスに怒鳴ってしまったが、怒鳴ってしまったからこそ、落ち着くと自分の発言に自己嫌悪が募る。

 クライスは生まれてからずっと、あの見るからに厳しいブルクヒルデに育てられてきたのだ。同じような立場だが、エーベンローデは一応は女。姉のアルテローデから無茶を押し付けられた事はあれど、母親からは、身体的な躾はそこまで多くなかった。

 しかしあのブルクヒルデが、実子とはいえ、クライスに甘く接していたとは到底思えない。実子には甘かったならば、恐らくクライスも逃げ出していない。つまり、かなり厳しく当たっていたのだろうと、エーベンローデは想像した。


(きっと、クライス様に比べたら私なんてまだまだ大丈夫なのに、私は、あの方に縋って、依存して生活している……)


 それがとても醜い事に思えて、エーベンローデは刺繍の手を止め、重いため息を吐き出した。

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