【10】要らぬ連絡
仕事をするクライスの首元で、白いクラバットが揺れている。その白い布地には、草と花々が刺繍されている。エーベンローデが刺繍したものである。
あれからというものの、エーベンローデはクライスの持ち物に刺繍をするようになった。クラバットだけでなく、ハンカチなどにも刺繍をしている。
仕事を得られたからか、前よりも生き生きしているようで、専属侍女であるトリメルからも報告が上がっている。顔色も明るく、表情もこわばりがなくなった、と。
そうした報告に、クライスはホッと胸をなでおろした。
(ゆっくり休養してもらうべきだと考えて対応していたが――思えば、何もしない、させないというのは、閉じ込められていた時と変わらなかったな)
エーベンローデの方からこれがしたいあれがしたいと希望が出ていれば、早くに気が付いていただろう。しかし長年閉じ込められ、また、自分の希望というものを受け入れられなかった彼女が、自己主張を容易に出来る筈もなかった。その事への考慮が足りなかったと言えるだろう。
刺繍はしていたので『何かをさせない』状況という訳でもなかったものの、刺繍や編み物は、彼女に安心感は与えなかったのだ。
エーベンローデの生活を保障すると決めたのであれば、そういう事にも気を配るべきであった。
(よりトリメルらとの情報共有を密にすべきか)
今の所、クライスの仕事道具の為に刺繍をする事で、元気が出ているのならば、暫くはそれをやってもらおうとは思っている。しかしクライスもそこまで頻繁に新しいクラバットやらハンカチやら購入する訳にもいかない。金というものは好きなだけ降ってくるものではないからだ。
(何か、別の形での役割も与えられるようにした方が良いだろうな……ふむ、何が良いか)
仕事の片手間に、エーベンローデが出来て、かつ、そこまで重荷にならない事がないかと色々と考えていたクライス。考えるべき事は減らないが、日常としては、落ち着いて、決まったルーティーンで動けるようにやっとなってきた。
――そんな、折、一通の手紙が届いた。
「クライス様」
執務室に、苦い顔をしたエーケニスが持ってきた手紙の宛名を見て、クライスは思いっきり顔を歪める事となった。
――親愛なるエーベンローデへ
モイリーン・グリーンサファイアより
名前だけでは誰かなのか、全くピンと来ない。が、家名と、エーベンローデ宛の手紙という事で、誰かを察する。
エーベンローデの母親である。
「エーケニス。ペーパーナイフを」
「お渡ししないので?」
「中身による。内容によってはこちらで処分する」
ペーパーナイフを受け取り、さっと開けた。
◆
手紙の届いた次の日の朝、クライスはエーベンローデに問いかけた。
「エーベンローデ殿。家族の近況などは、知りたいだろうか」
問われたエーベンローデは、困ったような顔をする。
「家族の、ですか……?」
「ああ。俺の方でも一応、近況は調べてあってね。もし、知りたければ、お伝えだけはするけれど」
手紙は渡すつもりはない。
昨日届いた手紙の内容は、一言で纏めれば、「現在困窮している。金の援助をしてくれ」というものだ。
同情をしてもらえるように、ひたすらに自分たちの哀れな現状は書き連ねてあった。
渡すつもりはなかった。ならば家族の話題すら出さなくても良いとも思えるが、あとから「家族の事を知りたかったのに」と言われたら大変だと思い、一応は尋ねる事にしたのである。
『手紙が届いた』のではなく、『クライスが把握している近況』としてなら、小耳には入れても、良いかもしれない。
そう思ったのは、まだ、エーベンローデがどういう人間か、計りかねている所があったからだ。
自分に酷い事をした人間が苦しんでいると分かって、喜ぶ人間もいる。
逆に、スッキリせずモヤモヤを抱える人間もいる。
クライスの過去の経験上、意外と、見た目では後者でありそうな人間が、実際は前者であったというケースがある。逆もまたしかり。
だから、エーベンローデが実際はどちらなのかは、わからない。見た目や今迄の関りだと後者でありそうだが、家族の近況を聞いて、過去の恨みが晴れて、明るくなるかもしれない。
分からないので、とりあえず、エーベンローデ本人の希望を聞く事にしたのである。
エーベンローデの沈黙は長かった。口を閉ざし、視線を机上に落とし、かなり逡巡していた様子が、見て取れる。
悩むのであれば、急ぎではないのだから、いつか気になった時に聞いてくれ――そんな風に言っておけばいい。そう思い、口を開こうとしたクライスだっが、声を出す前に、エーベンローデが身じろいだので、黙った。
「……その、聞きたい事だけ、聞いても良いですか?」
「勿論」
「姉は……姉は、どこかの家に、嫁いだのですか?」
不在の花婿との婚姻を妹に押し付けた姉が、その後、どうなったか。それが一番聞きたい事のようであった。
「ああ。嫁いでいる。どこの家かも、家族構成も把握しているが――」
「いえ! ……いえ、そこまでは、いいです」
エーベンローデの口が、独り言を言うように動いた。音にはなっていない。ただ読唇術の心得が軽くあるクライスには「そっか」と呟いていたのが、分かった。
その「そっか」に込められている感情までは、分からない。
「…………これ以上は、良いです。今は、知りたく、なくて……」
申し訳なさそうな声だった。しかし彼女がそんな風に思う必要はない――そう、クライスは思った。
「分かった。ではこれ以降はこちらからは聞かないので、安心してほしい。もし、気持ちが代わり、知りたい時は、いつでも尋ねてくれ」
「はい……。丁寧に確認していただき、ありがとうございます」
朝食後、クライスはモイリーン・グリーンサファイアから届いた手紙を握りつぶした。とはいえ、取っておきたくもないが、証拠としては保存しておいた方が良いかもしれない。未来で何が起こるかは未知数なので、鍵のかかる引き出しに雑にしまい込んでおいた。
「返信しないと、また手紙が来そうですがね」
「全て無視すればいい。答える義理はない」
エーケニスの言葉に、クライスはそっけなく答える。
以前から、クライスは調べていた。アルテローデの現状も、そして、グリーンサファイア子爵の現状も。
だからモイリーン・グリーンサファイアから手紙など届かなくても、知っていた。
今、エーベンローデの実家であるグリーンサファイア子爵が困窮している事実も。その原因も。
原因は簡単で、稼ぎ頭たる父親レーペル・グリーンサファイア子爵が、倒れ、寝たきりになってしまったのだ。
エーベンローデの実家であるグリーンサファイア子爵家は、グリーンサファイア伯爵家の分家に当たる。ただし領地のような財産は引き継いでおらず、レーペル・グリーンサファイア子爵が保持している爵位も、一代限りのものだ。子には引き継げない。こういう家は、爵位が子爵位か男爵位かの違いはあれど、ジュラエル王国にはありふれている。
レーペル・グリーンサファイア子爵は自分の稼ぎを運用するような事はせず、ただただ実直に仕事に邁進していた。――そうなれば、彼が働けなくなった時、家計が苦しくなるのは当然の事であった。
退職金はあれど、夫婦二人が死ぬまで安心して生きて行けるような金額ではない。
また、寝たきりになったレーペル・グリーンサファイア子爵の世話を、妻であるモイリーン・グリーンサファイアはしなくてはならなかった。
婚姻後働いたことなどなかったモイリーン・グリーンサファイアは、当然の考えとして、娘であるアルテローデを頼った。だがしかし、アルテローデは実の両親への援助をしなかったのである。
結果として、モイリーンは小さな内職をしながら、夫の介護をし、多くない退職金で細々と暮らすようになっていた。
(哀れなものだな。可愛がった筈の娘にすら、見捨てられるなんざ)
アルテローデをより良い家に嫁がせようとしたのは、自分たちの老後の不安を取り除く為という理由もあった筈だ。実際の所は、良い家に嫁がせたというのに、アルテローデは面倒すら見なかった。
――一方、実の両親への援助すらしなかったアルテローデの方は、どう過ごしていたか?
彼女はクライスとの結婚をエーベンローデに押し付けた後、別のとある子爵位の男性と結婚した。妹の結婚後、すぐあとの事だったらしい。
領地こそもたない家であったが代々爵位を引き継げる家だった。そして、一族内でも発言力が強い家でもあった。
そんな家の当主夫人となり、アルテローデは順調に第一子、第二子と産んだ。どちらも男児。貴族夫人としては何一つ瑕疵がないような状態であった事だろう。
まさに、貴族女性として人生の絶頂ともいえる日々を、過ごしていた。
そんな最中で実父が倒れて助けを求められたアルテローデだったが、当時、彼女はお荷物を抱えたくなかったようだ。
調べて分かった事だが、同時期、とある家の当主夫人を、アルテローデは敵視していたらしい。
彼女に勝つ為にと、美容や宝飾品や服といったものに金をつぎ込んでいたアルテローデは、自分が自由に使えるお金の一部だろうと、無駄にしたくなかったらしい。
それでも夫に頼めば、親族だ。夫は金を用意しただろう。「妻の両親の面倒も見切れない家」などと言われたくない筈だから。
ところがアルテローデは夫には実家の状況を隠した。完璧な自分の、傷となる事を恐れたようである。
やたらクライスが詳しいのは、アルテローデからの嫌がらせで辞めざるを得ず、恨みを持っていた元使用人から情報を仕入れられたからだ。使用人だからと冷たく扱うと、こういう形で情報が外に漏れるのである。
アルテローデの現状に話を戻そう。
グリーンサファイア子爵家困窮からしばらくは、特に問題にはならなかった。元々アルテローデの婚家と実家はあまり関わりがなかったので、実家の困窮も伝わらずにすんでいたようだ。
ただ、アルテローデは我の強い人間だ。そして、自分にとって邪魔になる存在を、敵視し、徹底的に潰そうとする傾向がある。学生時代クライスが苦渋を呑む事になった原因の性格は、治ってはいなかった。
だからこそ、外にべらべらと屋敷内の出来事を話すような元使用人がいるのだ。
しかも一人だけではなかった。探せば簡単に複数見つかった。おかげで、その時期その時期の、アルテローデの動きが簡単に集められたのである。
――婚姻後、二十八年という時を経て、アルテローデの性格は、大きな問題を引き起こした。
本来であれば蔑ろにしてはならない家の夫人を、アルテローデは「自分より若くて、目立っているのが気に食わない」という理由で、追い落とそうとしたのだ。
(変わっていなさすぎて、笑えもしない)
当初は家の関係を鑑みてか反撃しなかった若き夫人は、数回にわたった攻撃により、証拠や証言を集め、表沙汰とした。
これにより、アルテローデは夫と夫親族から責め立てられた。素直に謝罪すればまだよかったものの、自己弁護をしたアルテローデを、夫と子供たちは切り捨てた。
子供二人はどちらも母を庇いもしなかったという。
そしてアルテローデは婚家から、実家へと帰る事になった。
ただでさえ金がないグリーンサファイア子爵家は、内職すらしないアルテローデの出戻りにより、更に困窮した。日々アルテローデとモイリーンが言い争い、唯一生活を保つ為に、モイリーンが内職をし、必死に家を支えているという。
これが、クライスが実母から爵位を奪い取った時期から見て、二年前。
そこから二年以上先まで、ずっとグリーンサファイア子爵家の生活に変化はないようだ。
倒れたレーペルは亡くなる事はなく、介護が必要で。
モイリーンは残り少なくなってきている退職金と内職で稼いだ金でなんとか暮らそうとして。
アルテローデは何をするでもなく、家に籠り、恨みを呟き続けて、たまに母親に金を寄こせと、文句を垂れる。
そんな状況の中、イエローサファイア子爵家が代替わりし、クライスが当主の座についた。それを知ったモイリーンは当初、エーベンローデまで出戻りしたら大変な事になると頭を抱えていたようだ。しかしいつまで経っても出戻りもせず、どうやらエーベンローデは子爵夫人の座に付いている――それが分かり、今回の手紙が届くに至ったようだ。
「全くもって、自分の事しか考えれない奴らだ」
金など送るつもりはない。
イエローサファイア子爵家の金をどう使うかを決めるのは、当主であるクライスだ。
未だに顔を思い出すだけでも恨みと怒りが湧いてくる相手であるアルテローデ。クライスは、まわりまわってアルテローデに渡されそうな所に、金を送るつもりなど更々なかった。
人によっては、レーペルとモイリーンの二人に関しては、同情の余地があると判断するかもしれない。
しかしクライスからすれば、あのアルテローデを育てた親だ。
(それに……)
ぬいぐるみを受け取り、心の底から嬉しそうに、涙を耐えながら抱きしめていたエーベンローデを思い出す。
あのぬいぐるみにどんな思い出があるのか、クライスは知らない。けれどあそこまで感情があふれているエーベンローデは、初めて会った時以来であった。
(……ぬいぐるみ一つ分の愛も渡せなかったような親を、今更、エーベンローデ殿が助ける謂れは、ない)
クライスはその後、グリーンサファイア子爵家から届く手紙を握りつぶした。手紙は数回にわたってきた。けれど年を越す頃には、ついには便りはなくなった。
◆
そのような事をしている間に、ついに後継者が決まった。
残っていた三人のうち、唯一の女性であった本家の娘である。
後ろ盾の強さもあった。仕事への適応力も早くも見せていたのもあった。領主業に対する思想が、最もクライスと合ったのもあった。
だが最後は、エーベンローデとの相性が悪くなさそうだ、という勘である。
他国で長く生活し、時に危険な事にも巻き込まれてきた。クライスは自分のこういう勘を、信じる事にしている。直感とは、意外と当たるものだからだ。
実際、彼女とエーベンローデの相性は悪くなさそうであった。何度か顔合わせをクライス同席の元したのだが、あっという間に、クライスを抜きに会話の時間を持ったりするようになっていた。
この前は「女性の会ですので男性禁制ですから~」などと言い、屋敷の中庭で、使用人も含めて女性しかいない空間を作り、わいわいと盛り上がっていた。
エーベンローデの笑いはぎこちなかったが、嫌々で集まっている訳ではないのは、トリメルから伝わって聞いている。笑い方が分からなくて、ぎこちない笑いになっているだけのようだったので、クライスは余計な手出しはしない事にした。
選ばれなかった二人のうち、一代子爵の爵位を既に持っていた男性はそうそうに去っていった。元の職に戻るそうだ。それなりに誇りも高かったようで、負けた相手の下に付くのは嫌だ、と零していたらしい。
彼だと、どちらにせよエーベンローデとはうまくやれなかった可能性が高い。
もう一人、現在は爵位もなく、平民の地位になってしまっていた方の男性は残った。前の職には戻れないだろうからと、このまま子爵家で働く事となったのだった。
仕事は早く正確で、一人で二人分ぐらいの作業量をこなすので、極めて助かっている。
――ここまできてやっと、イエローサファイア子爵家は、立て直しをする為の準備が整ったのであった。




