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結婚30年。夫は妻の顔を見て「お前、誰だ?」と言った  作者: 重原水鳥


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【11】エーベンローデのやりがい

 ――早いもので、エーベンローデとクライスが出会ってから、二年ほどの年月(としつき)が経っていた。


「……ふう、出来たわ」


 エーベンローデは出来上がった刺繍を捨て糸処理した。最初の頃は玉止めで終わらせる事が多かったが、最近は捨て糸で終わらせる事が多い。こちらの方が見た目が綺麗になるので、なんとなくであるが、達成感があった。


「……昔と比べると、うまくなった気がするわ」


 刺繍をしていた布――子供用のケープを広げる。


「これで今月送る分は全部出来たわね……トリメル、トリメル。いる?」

「はい、おりますよ」


 廊下に向かって声をかければ、呼び声に応えるように、侍女のトリメルが顔を出した。


「このケープを、他のケープと一緒にしておいてくれる? それと、数が合っているかも確認して。間に合うか分からないけれど、もし孤児院に子供が増えているのだったら、追加で作るわ」

「かしこまりました。孤児院にも確認しておきますね」


 エーベンローデが刺繍していたケープは、今度、領地にある孤児院に贈る用のケープだった。


 刺繍や編み物などをするようになったエーベンローデは、これを何か、子爵夫人として役に立つ仕事に生かしたいと考えた。


 クライスからは仕事の類はしなくて良いと言われている。仕事をせずとも、長年の被害者として、最期まで責任を持つとも。……言葉は直接的ではなかったが、意味合いとしては、そういう事だった。

 社交に関しては、ありがたくその言葉に従わせてもらっていた。足も悪く、対人も対してうまくもないエーベンローデが前に出た所で、イエローサファイア子爵家に良い面などないと思えたからだ。特に、イエローサファイア子爵家には既に跡取りに定まった後継者がいる。今更エーベンローデが出張って行くよりも、彼女がクライスと共に活動する方が、為になる。

 しかしそれ以外でも、何一つ仕事をしないというのは、エーベンローデの気持ち的に、落ち着かなかった。


 エーベンローデでも出来て、クライスたちの仕事の邪魔にならなくて、子爵夫人として相応しい仕事とは何か。そう考えた時に思いついたのが、刺繍や編み物をつかった慈善活動であった。


 刺繍を施した商品や編んだものを、バザーに出品する。その収入は教会への寄付や、孤児院に送られた。

 そのほかにも、直接的に孤児院の子供たちに、刺繍をした服を贈ったりした。


 最初は「自分のような、職人でもない人間の刺繍や編み物なんて、価値にもならないかも」と思っていたエーベンローデであったが、そんな事はなかった。


 ワンポイントの刺繍であればバザーに出回る商品にもよくあったが、そこそこ手の込んだ刺繍となると、時間や労力の面から出てくる事があまりない。なので意外と喜ばれたのだ。

 また、このバザー用に最初に出した刺繍が、たまたまイエローサファイア子爵家の家紋にちなんだ柄だったのも、意外な反響を呼んだ。家紋そのものは使ってしまうと場合によっては法律的に問題になるが、似せたり、それを想起させるぐらいであれば、問題にはならないのでなんとなく縫っていたのだが、これが、地元愛のようなものに火を付けたらしい。

 やはり、生まれ育った土地に愛着を持つ人間というのは、一定数いる。

 そういう人たちの間で、家紋にちなんだ柄が流行ったのである。


 それだけが売れ続ける事はないが、バザーの中でエーベンローデの存在が浸透する切っ掛けとはなった。


 また、孤児院の子供たちの方でも、エーベンローデが贈る服や小物は人気が高い。やはり、孤児院では第一に食事などにお金が回る。服を含めた備品にそこまでお金はかけられないので、質素な服をそのまま着まわす事が多い。

 そういう子供にとって、柄のついている服は高級品の印象が強い。なので、素敵なものを貰えた! と大喜びしてくれたのである。


 エーベンローデの方も、代理で動いてくれているトリメルやヴァーリャたちから「とても喜ばれていましたよ」「本日はよく売れておりました」などと報告が上がると、役に立っているのが実感できてうれしくなって、また刺繍に精が出た。




 こうしたエーベンローデの活動は、全面的にクライスが助力してくれている。彼の助力がなければ、この活動は出来ていないだろう。

 活動を始めた当初、本当に望むままに布や刺繍に必要な道具が用意され、エーベンローデは驚いてしまった。どうしてここまでしてくれるのか。そんな風に朝食の席で尋ねれば、クライスは不思議そうな顔をして答えた。


「貴女の望む物は出来る範囲で用意する、とお伝えしていたと思うが」

「ですが……正直、利益になる事ではありませんでしょう……? 慈善活動は貴族の嗜みとはいえ……私は何も、家の役に立てておりませんし……」

「今している事そのものが、当家の役に立っておりますよ」

「えっ……?」


 クライスは少し遠い目をした。


「貴女も御存じの通り、前子爵は横暴な人だった。年々その横暴さは増し、当初は一部の者にだけキツく当たっていたのが、段々と範囲も広がっていたようです。私が帰ってくる頃には、領内だけでなく、近隣領地の方々からも印象が悪い状態にまでなっていた」

「あ……」

「今の当家は、その、落ち切った名誉を復活させていかねばならない立場にいますから、新当主の妻が慈善活動に積極的という事は、名誉回復につながる活動といえます。領民たちの中で、領主への信頼を回復する一助ともなるでしょう。ですから、とても感謝しているのですよ」


 ニコリと笑うクライスを見ながら、エーベンローデは胸元でそっと手を握りしめた。


(――誰かに感謝されるなんて。価値を認められるなんて――いつぶりの事だろう)


 少しでも。自分が出来る限りでいい。役に立てるように、頑張ろう――そんな風に、エーベンローデは決意し、日々、慈善活動に取り組むようになったのだった。




 とはいえ、自分の趣味の刺繍や編み物も、している。

 刺繍や編み物は短時間で簡単に終わるような事ではないので、結果的にエーベンローデは中々に忙しい日々を過ごしていた。しかし嫌ではない。むしろ、楽しいとすらエーベンローデは思うのだ。


 趣味の編み物をしながら、エーベンローデは昔を思う。

 思い返せば、貴族学院にいた頃も、色々と課題が出ている時の方が、楽しかった記憶がある。

 何もせずにぼんやりと時間を過ごすというのが、エーベンローデは苦手だった。

 では人と過ごすのが好きだったかと考えると、そうでもない。必要な分のコミュニケーションは取るが、率先して人と話したいとは、あまり、思わなかった。


 なので、社交性が求められる貴族夫人には、元々向いていなかったのだろうと、エーベンローデは思う。

 姉のアルテローデは、人との対話がかなり得意だった。


(両親が姉と私でかける愛情が違ったのは、そういう所を分かっていたかもしれないわ……)


 幼いころはただ美醜だけで扱いが変わっているのだと思って、悲しんでいた。単純な成績ならエーベンローデの方が優秀だった筈なのに、エーベンローデがその方面で褒められた事は一度としてなかった。

 しかしよほど小さな家ならばともかく、ある程度の規模以上になるのならば、その家の夫人に求められる能力は頭の良さだけではない。ペーパーテストで測れる範囲より、もっと多岐にわたる能力が求められる。

 アルテローデはペーパーテストの成績だって良い方だった。

 一か所だけが優れる妹よりも、アルテローデが優先された理由が、今のエーベンローデは納得がいく。

 その一か所(ペーパーテスト)も周りより良い成績が取れた上で、美しく、人と交流するのも好きだし得意。そこまで出来るのであれば、あとは不足の部分があるとしても、家令などの使用人が助けられるようにすればいいだけだ。


(今は、きっと、良家に嫁いで、幸せに生きているのでしょうね)


 そう考えた所で、エーベンローデは手を止めた。

 だいぶ前、クライスに尋ねられた事があった。実家の様子を知りたいか、と。

 あの時のエーベンローデは実家の事はまだ、少しも考えたくなかった。だから断った。


(……断らない方が、良かった、かしら)


 ――貴族令嬢は家の為に結婚しなくてはならない。

 ――貴族令嬢は親の言葉に従わなくてはならない。

 ――貴族令嬢は結婚後も、実家に良いように動かなくてはならない。


 遠い、遠い、昔の母親の言葉を思い出す。

 そういう母は、実家に仕えてはいなかったような気もしたけれど、母の言葉は、間違っている訳ではない。

 貴族には――大きい貴族には大きな責任が伴う。領地の為、領民の為、家を富ませなければならない。その為に、政略結婚をし、様々な家と縁を繋いでいくのだ。


 その在り方そのものを否定するのであれば、エーベンローデは今の生活を享受してはならない。少なくともエーベンローデはそう思う。


(家の為に結婚したわ。親の言葉に従ったわ。でも、実家を富ませる為の行動なんて、していないわ……)


 もう良い年だけれど、だからこそ、子として、親の為に動いていない事に、焦りすら感じる。


(もう、流石に父も働いてはいない、わよね? 今はどうしているのかしら。両親揃って、姉の婚家にお世話になっている? それとも、父の実家にお世話になっているのかしら。……私はその事を調べもせず、知ろうともせず、ただただクライス様からの好意に甘えている……)


 クライスからは何度も、「これは貴女が受け取る、正当な権利のあるものだ」という。けれど心からそう思って過ごす事は、エーベンローデには出来なかった。


(どうしているのかしら。……クライス様に、もし聞いたら、教えてくださるかしら)


 きっと教えてくれるだろう。クライスは本当に、言葉通り、エーベンローデの願いを出来る限りかなえようとしてくれているから。

 しかし聞いて良いのか、分からなかった。クライスはエーベンローデの両親は分からないが――アルテローデの事は、今でもきっと、憎んでいるだろうから。

 実家と関われば、アルテローデと関わる事も、防ぐ事は出来ない。


(でも両親の事は知った方が良いのでは――でも姉と関わるのはクライス様の迷惑に――でも、でも――、やはり、確認ぐらいは、した方が、良いのでは)


 手を止め、エーベンローデは立ち上がる。トリメルがその場にいたら、すぐに来ただろう。しかしいないので、エーベンローデは一人、屋敷の廊下を歩きだした。


 やっとたどり着いた執務室のドアを叩くと、顔を出したエーケニスが驚いたように声を上げた。


「エーベンローデ様、いかがされました?」

「クライス様に……お話が……」

「成程。少々お待ちください」


 一瞬、執務室内に戻ったエーケニスが、「クライス様。エーベンローデ様が訪ねておいでです」と声をかけていた。少しの物音がした後、ドアが開かれる。


「ご準備出来ましたので、こちらへどうぞ」


 エーベンローデが執務室に入ると、そこは忙しく動く人々で溢れていた。その中、一番偉いと分かる席に座っているクライスがエーベンローデに何かを持ちながら近づいてくる。


「如何した? トリメルも付けずに、珍しい」

「あの、クライス様に、お願いが……。………………? そちらは?」


 家族について知りたいと口にしようとしたエーベンローデだったが、口にする前に、クライスが持っているものに目がいった。

 なにせ、おおよそ、クライスが持ちそうにないものだったからだ。


 服に見える布だった。

 だが、子供用にしては、小さすぎる。愛らしい柄で作られていて、おおよそ、クライスには似合わない。


「あ、ああ? これか?」


 クライスは少し困ったような顔をした。彼の斜め後ろから、跡取りになった後継者が「()()く!」と急かしている。

 クライスはそちらを少し睨んだ後、エーベンローデに差し出した。


「……貴女の猫に。その、後継者(かのじょ)曰く、最近はぬいぐるみにそうした装飾を付けたりするのが、流行っているらしい」


 エーベンローデも知らぬ流行であった。若く、社交にも頻繁に出かける後継者は、そういう事への把握が早かったのだろう。

 まるで幼い子供のままごとのようではあった。


「貴女はあの猫を大切にしているから、こういうものも好くかと」


 エーベンローデの脳裏で、部屋に飾られている猫のぬいぐるみが浮かんだ。

 いつもエーベンローデは大切にして、リボンを変えてあげたり、時折毛並みを整えたりしていた。寝る時も、ベッドまで連れて行っている。

 流石にそれを知っているのは流石にトリメルやヴャーリャぐらいだが、大切にしている事は、クライスも十分知っていた。


 初めての贈り物だった。どう初めてかと言えば、事前にエーベンローデに欲しいかどうかの伺いを立てるのが、なかったのだ。いつもいつも、クライスはエーベンローデが気を害さないかを気にしていた。だから贈り物は、必ず、事前に許可を取ったものばかりを送ってくれていた。

 この、猫のぬいぐるみ用だという服が、初めて、許可なしに贈られたものだった。


「不必要であったなら処分してくれ」


 少し早口にクライスが言う。受け取ったその服の色は割と明るい。けれどあの黒猫にはきっと、良く似合う。そう思った。


「……ありがとう、ございます」


 ぎゅっと、エーベンローデは胸元でその服を抱きしめた。


 初めてだった。クライスが自分で選んでくれたのが。


 初めて、だった。誰かが、自分が好むのではないかと考えながら、物を贈ってくれたのが。


 そんな風に自分に気を配ってくれる人間は、今までエーベンローデの人生では、いなかった。


「遮ってすまない。用はなんだろうか」


 クライスに改めて問われたエーベンローデは目を閉じた。


(――もし、この方と、両親のどちらかしか助けられないとしたら)


 若いころ、一時期、二択から一つを選ぶ思考実験のようなものが流行っていたのを、エーベンローデは思い出した。

 もしその問いを、問われたとして。

 クライスか両親かを選ばなければ、ならないとして。


(私は、……この方を選びたい。私などに、優しさを与えてくださるこの方に)


 自分も被害者だと言って、エーベンローデを苦しめたのは実母だから自分は知らないと言って、追い出す事だって出来た筈だ。けれどクライスはただの一度も、そんな事はしなかった。

 出会ったあの日からずっと、彼は出来る限り、誠実にあろうとしてくれている。


 エーベンローデは顔を上げた。そして、静かに首を横に振った。


「……いえ、その、必要なくなりました」


 クライスはきょとんとした後、「もしかしてぬいぐるみの服について相談だったのか?」と言った。そうではないのだが、エーベンローデはあえて否定はしなかった。


「ありがとうございます、クライス様。……大事に、いたしますわ」


 クライスから贈られた服は、まるで試着して合わせたかのように、サイズがピッタリだった。

 服を着たぬいぐるみを、エーベンローデは大事に大事に、いつまでも膝の上に抱えていた。

()が勝手にルビになってしまうので、取りました……。同じように文中にあっても、ルビ化する時としない時があるのですが原因が未だに分かっておりません。何故……?

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