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結婚30年。夫は妻の顔を見て「お前、誰だ?」と言った  作者: 重原水鳥


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【05】どうしたい?

 ――そろそろ先に進めなくてはならない。


 クライスはそう考えて、本宅に用意した私室で過ごしているエーベンローデを、空き室に呼び出した。


 エーベンローデの私室に赴いたりした訳ではない。

 書類上は夫婦だが、感情的にはエーベンローデは屋敷に滞在している【賓客】のようなものだ。客に与えられている部屋に――しかも異性の客の部屋に行くなど、基本的にあり得ない。

 そのため、私室からほど近いところにあった空き室を掃除し、話が出来るように整えたのだった。


 エーベンローデの背後には、赤毛の女騎士と侍女が一人ずつ控えている。二人はこれまでの期間で、エーベンローデとかなり打ち解けたようであった。

 本来考えていた仕事を思うとよくはない状況にも思えるが、クライスの妻はアルテローデではない。なので、結果的に彼女たちにエーベンローデを付ける事になって良かったと思った。


 一方、クライスの背後には従者であるエーケニスや、数人の部下たちがいる。


 まるで、二つの勢力がぶつかっているような光景だ。

 いや、()()()ではない。()()なのだ。


 隣り合う存在ではなく、相対する存在としてクライスはエーベンローデと向き合っていた。


「貴女の希望を聞きたい」


 クライスは、久方ぶりに顔を合わせたエーベンローデにそう申し出た。


「きぼう……?」


 エーベンローデはその言葉をまるで知らないかのように、聞き返してきた。

 クライスは穏やかな口調になる事を心掛けながら、頷いた。


「ああ。そもそもの話に戻るのだけれど……。俺は……三十年前の時点で、誰かと結婚して、子を作るつもりが、そもそもなかった」


 アルテローデが相手だったから最初から強く拒絶したけれど、そうでない女性が相手だったとしても、夫婦になるつもりはなかった。子を作るつもりもなかった。

 だから、誰が結婚相手でも、クライスの母の希望は叶わなかったことになる。


「……」


 エーベンローデは、疑っている視線をクライスに向けてきていた。

 まあ、疑うのは当然だろう。

 三十年前、クライスはニ十歳。その年齢から、早々に結婚も子を作る事も諦めている人間など、殆どいないだろうから。


「広めないでいただきたいが……。私は、性行為が出来なくてね」

「……は?」


 突然の話題に、エーベンローデは目を丸くしていた。理解できていない風である。

 一方、話を理解出来たらしい使用人たちは、少なからず驚いた様子があった。

 昼間からする告白ではないようにも思えたが――逆に、昼間だからこそ、変な意味合いなく語れるとクライスは思ったのだ。


 クライスとエーベンローデは、お互いの事を何も知らない。何も知らなくて、会話をするのは難しい。そう考えたのである。


「幼いころから、母から()()()育てられてきてね、男性器が機能しない」

「!」

「そのせいなのかどうかは分からないが、デートをするだとか、ハグぐらいまでは良いが、その先は無理なんだ。女性の素肌に触れるのも、かなり厳しい」


 初めてその事に気が付いたのは、閨の授業としてとある未亡人に、寝所で迫られた時だった。事前の説明もなく寝台に上がって来た未亡人と最初は格闘し、母からの指示と言われて呆然としながら従うしかなかった。けれど、どれだけ未亡人が努力をしても、勃起する事もなく、当然、射精もなかった。

 結局、性行為の手順などだけを教わるだけの時間になった。未亡人も(ブルクヒルデ)を恐れたようで、「うまくいきました」と虚偽の報告をしていたようだったので、母は息子がそういう事が出来ないとは知らなかった筈だ。


 だからアルテローデと結婚しても性行為なんてするつもりはなかったし、どちらにせよ、子は出来なかっただろう。


 ……とはいえ。その後、国外に任務で出て、その最中に初めて女性と良い関係を築く事が出来て。そうして彼女と日々を過ごし――ごく自然な雰囲気で、()()()()場になってなお、勃起出来なかった時は、愕然としたが。


 そっと、クライスは目を伏せる。


(あの頃は、本当に傷ついたな)


 心から、好きな相手だった筈だ。

 初めて心安らかに過ごせた女性だった。

 母から押し付けられた相手などではなく、自分で選んだ女性だった。彼女相手ならば、性行為も出来ると思っていた。

 けれど、クライスは男としての役目を果たす事は出来なかった。

 結局、その土地での任務の期限も迫り、色々と言葉を尽くして、彼女とは穏便に別れた。


 男としての誇りはズタズタになった。


 その後色々と条件を変えて試してみて、本格的に、自分が勃起不全だと知ったのだ。


 そも、思い返すと、自分で処理をした経験もかなり少なかった。男性が自分で処理をする回数は自分の数倍はあると知った時、自分は男として欠陥があるのだと突き付けられたようであった。


 視線をエーベンローデに戻すと、エーベンローデは困惑した様子だった。

 唐突な話に、ついていけないようであった。


 十七歳から、男女関係もないまま、育ってきた女性だ。下手な女性より、箱入り娘という言葉が相応しいかもしれない。

 とはいえこの部分を濁したまま話しても、エーベンローデに要らぬ疑念を抱かせるだけだとも思った。


「言い方を変えると、()()()()()()()()、自分の血を継ぐ子供は残せない。だから元から、母を退けて地位を継いだ後は、イエローサファイアの血を引く中から最良と思える相手を選んで、跡継ぎに据える予定だったのだ」


 エーベンローデは、最初に顔を合わせた際に叫んでいた。


 ――「私を、追い出すと? 年を経て、実の母親を追い出して、押し付けられた婚姻相手を捨てて、恋しい女性でも迎え入れて、幸せな家庭を築くというのですか?」


(そんな女性はいないし、幸せな家庭を築く気もない)


 その事を、クライスは彼女に伝えたかったのだ。


「……そ、うだったのですね……」


 エーベンローデがあの時の言葉を覚えているかどうかは分からないが、彼女は何か考えるような顔で、黙り込んでいる。

 しかし、考えるのは後でもゆっくり出来る事なので、元の要件にクライスは話を戻した。


「だから、これから俺が仕事をする場に、貴女がいても何も問題はない」


 エーベンローデは、ぼんやりとした様子で、クライスを見ていた。


「貴女はどんな生活がしたい? 俺が暮らしている場で生活がしたいのか。それとも、俺の存在を全く感じない所で生活したいのか」

「ぁ……」

「前者で良いのなら、このまま屋敷で名目上の子爵夫人として生活してもらって構わない。ああ、今のは俺が勝手に、貴女が社交などしたくないかと思っての仮定であって、もし社交がしたければ、イエローサファイア子爵家の名誉を落とすような事がなければ、自由にしてもらっても構わない。後者が良ければ、別邸に十分な使用人を配置するので、別邸に戻って貰っても良いし、別邸では嫌な記憶が蘇るのであれば、新しい家を用意しよう。どちらにせよ、使用人は子爵夫人に相応しい数配置するから、貴女が生活に困る事はないようにするつもりだ」

「え……」

「しかしこれらの提案は、結局のところ、貴女の意思を確認せず俺が考えている案に過ぎない。……だから、貴女の希望を聞きたい。エーベンローデ殿」


 既婚者である彼女に嬢という呼び名は相応しくない。


 肩書だけでも自分の妻なのだから、夫人と呼ぶのもおかしいだろう。


 迷った結果、妙な呼び名になった事は自覚しているが、どうしようもなかった。


「答えは急がない。だから、考えていて欲しい。もし、この条件だとどうなるか? というような事が聞きたければ、いつでも尋ねて欲しい。可能であれば俺が時間を作るし、難しければこいつを遣わす」


 従者のエーケニスを指し示しながら、クライスはそういった。


 エーベンローデは、最後まで、どこかぼんやりとしていた。

 ただ、クライスの説明には頷いていたので、残りは彼女の傍にいる騎士や侍女たちに任せた方が良いだろうと、クライスはその部屋を出て行った。

 私の描写不足で誤解を生んでしまったので、冒頭に描写を追記しました。

・3話時点でエーベンローデは本宅に引っ越している(現時点で別宅には人がいない為)ので、その描写の追加をしました。

・私室などではなく別室での対話理由の説明がすっぽぬけていたので、追記しました。

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― 新着の感想 ―
足の悪い相手をわざわざ別宅から呼び出しておいて、用が済んだら後は使用人に任せて自分は退場とか、なんだか思いやりに欠ける人ですね、クライス。先触れを出して訪問の方が良かったなぁと思いました。
一応書類上は夫婦なので2人きりで話してもいいところを、人払いせずに男性としてのプライドに関わる事を話すクライスに、「え、すごいな」と思った。 2人きりはエーベンローデが怖がると思ったのかな? わざわざ…
 これはきつい。  男として、貴族として。  人によっては世を儚む位には。  三十年の軟禁状態には迫らないが、少しは彼女が未来を考え始めるきっかけにはなるかな?
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