【03】クライス・イエローサファイアのいま
エーベンローデの世話を本宅でしつつ、クライスは調べを続けた。
エーベンローデの扱いについては、最初に調べた事から特に齟齬が発見される事もなかった。イエローサファイア子爵家にかつて仕えていた使用人たちを探し出してエーベンローデの扱いについて問いただしたりもしたが、やはり最初の調べの通りの扱いだったのだ。
何なら、
「必要最低限の世話以外は禁じられていました」
なんて証言まで出てきた始末だ。
その最低限が、足が悪いエーベンローデに気を使った形での最低限ではなかった事は、証言した使用人の態度から察せられたという。
あの話し合い以降、クライスとエーベンローデは顔を合わせる事はなかった。
閉じ込めた訳ではなかったが、エーベンローデは出歩く事はなく、自主的に、己に割り当てられた部屋に籠っていた。
正直に言えば、クライス側は助かった。イエローサファイア子爵家はブルクヒルデからクライスに当主を変えるにあたり、さまざまな処理に追われていた。優先順位として、エーベンローデへの対処は低く扱われてしまいがちであった。
ただ、他の仕事をしている間も、クライスの頭にはエーベンローデの事が離れなかった。頭の中で、エーベンローデの叫びが何度も再現されていた。
(かえして……か)
自分が責められると、「あの時の俺に出来たのはこれが限界だった!」と叫びたくなる気持ちも、正直クライスにはある。あの時のクライスにとって、実母はとてつもなく強大な敵であった。正面から倒す力も、絡めとって陥れる事も出来ず、母の手の届く範囲の外に出る事が、唯一にして最大の反抗であった。
けれどその気持ちのままに叫ぶ事は、今のクライスには出来なかった。
クライスは今年五十になる。
もう若くなく、周囲の事に気を遣わず叫びまわれるような年齢ではない。
同じように過ぎた三十年の密度は、クライスとエーベンローデでは違い過ぎる。それが、クライスには簡単に想像がついた。
三十年間、クライスは母国を離れ、他国にいた。理由は、とある任務に携わっていたからだ。家族にさえ本当の理由を離せないほどに機密を含む任務だった。
時には危険に巻き込まれた事もあった。
けれどその三十年間は、クライスにとって人生で最高の期間であったのは事実だ。
色々な人間と出会った。
敵になる者も、友好関係を築いた者もいる。
結ばれる事こそなかったが、恋をしたこともあった。
一方でエーベンローデはどうだろうか。
彼女の三十年はあのそう広くない別宅の中で完結している。
誰かと関わる事もなく、ずっと建物の中にいた。
(一人きりで、ずっと、誰かともまともに話す事もなく……)
三十年の間、クライスは任務を理由に一度も帰国すらしなかった。
だが、それは帰れなかった訳ではない。帰ろうと願えば、何度か帰ってくる事は出来ただろう。けれどその機会をクライスはことごとく拒絶した。
実家に帰り、実母や、実母にへりくだるだけの実父や、大嫌いな妻アルテローデになんて会いたくなかったからだ。
だがもし。
一度でも。
たった一度でもいい。
帰国していれば、クライスは気が付いただろう。――自分の結婚相手がアルテローデではないという事実に。
この三十年間。
クライスは自分の結婚相手はアルテローデだと思っていた。だから実母にアルテローデ……いや、自分の妻が酷い目に合っているかもしれないと伝えられても「知った事か」と無視してきていた。
もしかしたら、結婚相手に関する情報の報告をよく見れば、アルテローデではないのでは? という事に気が付いたかもしれない。
けれどクライスはそれもまともにしなかった。アルテローデに纏わる報告、実家に纏わる報告と分かった途端、撫でるように軽く読んで、全て放置してきた。
(……酷い目に遭っていたのは、アルテローデではなかった)
アルテローデの事は大嫌いなクライスだが、彼女の実妹というだけで、エーベンローデを嫌うほど見境ない訳ではない。
母の被害にあっているのがアルテローデでないのなら、助け出すために動いただろう。
全部タラレバに過ぎない。
現実にあるのは、クライスは三十年間己の妻が変わっている事に気が付かず、実家に帰らなかったという事実。
そしてエーベンローデは姉の代わりに結婚させられた挙句、三十年間何もできずに閉じ込められたという事実だけだった。
打ちひしがれるクライスの背中をたたいたのは、貴族学院時代からの友人でもある従者だ。
「落ち込んでいる場合ではありませんよ。エーベンローデ様への対応を含めて、貴方にはすべき仕事が多いのですから」
「……そうだな」
従者の言葉に頷いて、クライスは仕事を必死にこなした。
◆
国から正式に、クライスがイエローサファイア子爵として認められ、前子爵であったブルクヒルデが裁かれたのは、彼が屋敷に帰ってからひと月ほど経った頃だった。
事前にブルクヒルデの罪に関する資料はまとめてあったけれど、改めて国の方でも調査が入った為だ。内内に処理を済ませて単純な「世代交代」にすればもっと早く終わっただろうが、クライスはこの調査に上司から人間や伝手を借りていた。その関係上、国への正式な通達は避けられず、時間がかかってしまった。
それでも、ひと月ほどで終わったのはまだ早い方であっただろう。
国からの通知を私室というプライベート空間で見ながら、クライスは呟いた。
「……あの人は何故、エーベンローデを捨てる事もしなかったのだろうか」
三十年だ。
その間にクライスを捕まえる事が出来るという算段なら、甘すぎる考えだと思えた。
最初の数年は期待があったとしても、年を経るごとに無理だと気付くだろう。
式を取りやめる事は出来なかったにせよ、一定年数で彼女を実家に帰し、クライスを諦めて親戚筋から養子を得て教育を行う方が、良い手段に思えた。
しかし実際の所、前子爵はクライスを次期当主の立場においたまま、エーベンローデも別宅に置き続けた。
その理由が分からないでいるクライスに、従者は私見を述べた。
「エーベンローデ様を離縁しなかった理由は分かりませんが、養子を引き取らなかったのは血筋に拘ったからでは? ジュラエル王国は精霊との契約の都合上、血統維持に厳格ですし」
王国の繁栄を支えているのは、祖先が精霊と交わした契約だというのは、この国ではよく聞く話だ。とはいえ、近年、貴族の精霊への信仰がやや薄れている家も増えているという。
それでも、この契約にもとづく法律は有効だ。
つまり、特例を除き――血統を継いでいる側が何某かの理由で仕事を成せない場合などだ――全く血の繋がりのない人間は当主の座を継ぐ事が出来ない、というものだ。
そういう問題があるために、血統詐称はこの国ではかなりの重罪となってくる。
そうした知識は常識であり、わざわざ言った従者の言葉に、クライスは眉をひそめた。
「我が家には分家が沢山ある。西部の男爵家などは、母の実の弟の血筋だぞ?」
イエローサファイア子爵領の西で、代官としていいくつかの町を纏めている男爵家の事である。クライスから見ると叔父にあたる家には、クライスの従兄弟にあたる子供が五人もいる。
たった一人なら養子に迎え入れるのは難しかったかもしれないが、五人もいるのなら、誰かひとりくらい子爵家を継ごうと思う者がいてもおかしくはないし、流れとして実の兄弟の子供を養子として跡を継がせるのは、珍しくはない。
クライスの言葉を聞いた従者は、
「分かってませんねえ」
と首を振った。
ここがプライベート空間であり、二人の関係が、主人と従者以前に友人だからこその気安さだった。
「血が近すぎると、より争いが過激になる事はしばしばありますよ。特に、実の兄弟など、後継候補のライバルでしかありません。兄弟姉妹同士で仲良しこよしなお家など、一部だけですよ」
クライスは一人っ子だ。
だから兄弟姉妹の関係性についてはいまいち、意見を割り込みにくかった。
「弟君の血筋でよければ、クライス様にあれほど執着する理由はないはずです。貴方自身がその疑問を抱いたのですから、分かりますよね?」
「あ、嗚呼」
「甥か姪を引き取り、自分好みに育てた方が楽に決まっている事など、恐らく前子爵様も理解していたと思いますよ。けれどそうしなかった。――そこからの勝手な想像ですが、おそらく前子爵と弟君は、仲が良くなかったか、内心では嫌っていたのではないでしょうか」
「……確かに、あまり、母と叔父が会話をしている所は見た事がない」
思えば、実弟なのに、西の端で、領地の一部の管理だけを任せているというのも……前子爵が弟を全く信頼も信用もしていなかったという現れかもしれない。
「……俺も、叔父との関係は気を付けた方が良いかもしれないな……」
叔父の立場からすれば、前子爵が跡取りを決めていなかった以上、彼女の跡を継ぐ役目が自分に回ってくるかもと期待していてもおかしくない。
しかし実際は、三十年も行方をくらませていた正当な後継者が唐突に帰ってきて、身内ではなく外の力を借りてブルクヒルデを引きずり下ろし、後釜に収まった。
(面白くはないだろうな)
血を分けた家族より、他人の方が信頼出来る。全く持っておかしな状況だと、クライスはため息をついた。
◆
通常であれば爵位を継いだ以上、行われるべきである『新当主のお披露目』であるが、クライスはこれを一切行わない事にした。
すでに、前子爵の罪は明らかになっている。クライスは罪を暴いた側ではあるが、犯罪者の実の息子でもある。
「時世を考え、自粛させていただく」
という通知を、近しい親族や関係のある家に送った。
この対応は、そこまでおかしくない。
前任者が悪い理由で当主を降りている場合、周囲へ気遣いを見せて華々しいお披露目などは避けるケースは、多々あった。
だが実際の所は、お披露目をした場合、書類上夫婦であるエーベンローデが表に出なくてはならなくなる事を危惧しての事だった。
色々忙しい、というのも理由ではあったけれど、エーベンローデとの話が付いていない状態で、お披露目など出来る筈もない。クライスはそう考えたのだった。




