【02】エーベンローデ・イエローサファイアのこれまで
一行は、十分な部屋も人でもない別宅ではなく、イエローサファイア子爵家の本宅に場所を移した。
移動後すぐにエーベンローデから聞き取りを行おうとクライスたちは考えたが、それは出来なかった。
三十年屋敷の中に閉じこもっていたらしいエーベンローデは、ほんの少しの間太陽の下を移動しただけで体調を崩してしまった為だ。
そのため、一旦は本宅の――ずっと使われていなかったらしい、若き女主人の部屋を急遽準備させて、そこでエーベンローデを休ませることになった。
エーベンローデが休んでいる間、クライスたちは使用人たちに改めて、聞き取りを行う事となった。本人からの聞き取りが出来ないのであれば、周囲の聞き取りを先にするしかなかった。
驚いたことに、一部の使用人は別宅に籠っていたというエーベンローデの事を知らなかった。一部というのは、比較的新参の使用人たちの事だ。エーベンローデはそれぐらい、話に上がってくる頻度が低い存在だったらしい。
中堅から古参の使用人たちは、流石にエーベンローデの存在を把握していた。ただ、エーベンローデに直接あった事がある使用人は、別宅に出入りしていたほんの数人の使用人だけ。あとの者たちは、別宅に、長らく不在の嫡男の妻が暮らしている事は知っていても、会った事も話したこともなかったらしい。
情報を収集した部下の報告は、以下のようなものであった。
「結婚式後、前当主であるブルクヒルデ・イエローサファイアはエーベンローデ様を別宅に押し込めたとの事です。以降、ただの一度も外に出る事は許さず、エーベンローデ様は誰とも関わっていなかったとの事でした」
クライスの妻がアルテローデからエーベンローデに入れ替わった経緯の詳細な話については、中々分からなかった。
理由はクライスがいなくなったからなのは間違いないだろうが、どう処理されていたのか。招待もしていた客には、どう誤魔化していたのか。その辺りも含めて探っていたのだが、屋敷ではクライスの話題はタブーに近く、伝わっていないらしい。
古参の一部の使用人は「花嫁が変わった事」は知っていたようだが、詳細まで覚えている者はいなかった。
恐らく、クライスが三十年屋敷を離れていた間に姿が見えなくなった、前子爵のかつての部下なら把握していただろうが、彼らはすでに亡くなっていたり、領地を離れていたりして、連れてくる事はもとい、聞き取りをする事も、簡単ではなかった。
前子爵はすでに王都に送られている。
それを止めて、一旦領地に帰らせる判断もなしではなかったが、花嫁入れ替え問題より、犯罪を犯していた事の方が重要だ。国からすれば、その問題に関しては後回しにしてくれ、という話になるだろう事は、クライスにも想像がついた。
――結局、花嫁が入れ替わった経緯については、エーベンローデ本人の体調回復を待つ事になった。
◆
「お時間をいただき、ありがとうございます。窓の下で太陽の光は浴びていたので、まさか外に少し出ただけでめまいがするほど体が弱っているとは、思ってもいなかったもので」
エーベンローデは、淡々と語った。
視線はしっかりと合う――事はなく、やや下に視線が落ちていた。対面の席に腰かけているクライスは、じっくりとエーベンローデを見つめた。
年齢の差を抜きにしても、姉であるアルテローデとはあまり似ていない。記憶の片隅にある、グリーンサファイア子爵夫人の方に似ているように思えた。
ちなみにアルテローデはグリーンサファイア子爵の方に似ていたので、姉妹は見事に父親似、母親似で生まれてきたらしかった。
「いえ。それで、確認を」
「ああ、はい。私も体を休めている間、気になっていました。一点だけ、私から質問しても良いでしょうか?」
「…………ああ、どうぞ」
言葉を遮られたクライスはピクリと眉を動かしたが、一点だけ、と前置きされていた事もあり、一旦言葉を飲み込んだ。そして促せば、エーベンローデは質問を口にした。
「先ほどの初対面の際、あなたは私を姉と間違えておられました。もしかして、あなた様は、これまで一度も、ご自分の結婚相手が姉アルテローデから変わった事をご存じなかったのでしょうか?」
「……ああ、その通りだ」
事実であった。頷けば、エーベンローデはその答えもある程度予想していたのだろう。一つ頷き、それから、
「先に確認させていただきたかった事は以上ですので、どうぞお好きなようにご質問くださいませ」
と話を進めるように促してきた。
クライスは眉間を指先で揉みながら、問いかけた。
「……俺の記憶では、俺の婚姻相手はアルテローデ・グリーンサファイア子爵令嬢だった。何故、貴女が俺の妻として我が家に来たのだろうか」
「それに関しては、私も答えられる事は多くはございません。三十年前の事です。姉アルテローデと貴方様の式の日取りが迫ったある日、父であるグリーンサファイア子爵は私に、クライス・イエローサファイア子爵令息と結婚するようにと命じました」
「何故」
「あなた様が、行方不明になられたからでございます」
予想通りではあった。
クライスは拳を強く握りしめた。
三十年前、親に強制された結婚にあらがう為、クライスは身一つで屋敷から逃亡した。そうしなければ逃げ出せない程、当時は当主たる母の権力が強かった。男だとはいえ、まだ若いクライスが反抗するには、それしかなかったのだ。
「姉は新郎不在で婚姻するつもりはないと。それで、妹である私と新婦の入れ替わりが、イエローサファイア子爵様の同意の上、行われたと聞き及んでおります。私は姉の代わりに花嫁として式に参加し、クライス・イエローサファイア子爵令息の名がすでに書かれていた婚姻届に己の名を書き、あなたの妻となりました」
「その状況で、名前を書いたのか?」
クライスから逸らされていた緑の瞳が、彼をとらえた。その瞳には明らかな怒りが浮かんでいた。
「親の決めた婚姻に従うのは、貴族子弟の宿命。あなたとて、婚姻届には名を書かれていたではありませんか。」
つい、真実を知りたい一心で、まるで第三者が事件について取り調べをするかのようにエーベンローデに迫ってしまった事にクライスは気が付いた。
クライスが母からされた、一歩間違えれば拷問になるような方法は、流石にエーベンローデには取られなかっただろう。とはいえ、女性の身で、当主たる父親に命令されれば、従うしかなかっただろう。
「……その通りだ。すまない」
エーベンローデはまた、クライスから視線を逸らした。少しの沈黙の後、クライスは話を無理矢理続ける事にした。
「……それで、あなたは結婚後、我が母ブルクヒルデ・イエローサファイア前子爵によって、別宅に押し込められた。という事で、間違いはないのだろうか」
「前子爵?」
エーベンローデは目を丸くした。
「子爵様に何かあったのですか」
嫌がらせでそう呼んでいるというよりも、そう呼ぶのが自然という風であった。仮にも義理の母であるブルクヒルデの事を『子爵』と呼ぶ点から見ても、エーベンローデと前イエローサファイア子爵の間の関係性の薄さが感じられる。
「ああ。詳細は省くが、罪を犯した為、私がそれを本家、および国に訴えた。現在は容疑者として取り調べを行う為に、王都に移送中だ」
「そう……でしたか……」
ぱちぱち、と数度目を瞬いて、それからエーベンローデはクライスの質問に意識を戻したようであった。
「式の終わった後……私はこちらの本宅に足を踏み入れる事はないまま、別宅に運び入れられました。この通り」
と足にエーベンローデは触れた。
「足が悪いものですから、とくに抵抗する事もなく、指示に従いましたわ。それから、執事様から、子爵様……前子爵様のご命令をうかがいました。クライス・イエローサファイア様が見つかるまでの間、別宅からただの一歩も出る事は許さない、と」
自分の名前が出てきたことにクライスは不愉快さがこみあげてきた。
三十年前当時の執事というと、今は亡き人物だ。
前子爵の従順な手足であり、時には前子爵に代わって行動する事もあった。
当然、彼の行動は前子爵の指示であった筈だ。
「イエローサファイア家からは、何も説明をされませんでした。……それ以降、あの別宅でおとなしくしておりました」
「……そうか」
クライスの視線は足に落ちる。
貴族女性らしい長いスカートに覆われており、傍目にはどのようなものかは分からない。ただ、本宅に移した後に世話を担当した侍女から、彼女の足には酷い傷があった、という報告が上がっていた。
(怪我の跡があるのであれば、後天的なものである事は確実だ)
そう思いながら、クライスは情けなく頭を抱えて唸りたくて仕方なかった。目の前にエーベンローデがおらず、信頼した部下だけ残した状態であれば、そうしただろう。
それぐらい、今回の出来事は予想外だった。
「それで私の今後はどうなるのでしょうか」
「……は?」
項垂れていたクライスは、エーベンローデからの問いの意味が分からず、彼女を見た。
相も変わらず、緑の瞳はクライスの顔ではない部分に向けられていて、視線は合わない。ただ、彼女の言葉には迷いはなかった。
「クライス・イエローサファイア様は、私の部屋に押し入ってきた際にこうおっしゃっておりましたよね? 婚姻関係を終わらせると」
「あ、ああ……」
そのつもりで、クライスは別宅に入っていった。
三十年一度も会わなかった、憎らしい女との関係を断ち切る為に。
それは事実であったので、クライスは問われるがままに頷いてしまった。
エーベンローデは膝の上で両手を握っていた。その拳は、ひどく細い腕の先についている玉のような拳は、かすかにふるえていた。
クライスの答えを聞き、その震えは大きくなったように感じられた。
「私を、追い出すと? 年を経て、実の母親を追い出して、押し付けられた婚姻相手を捨てて、恋しい女性でも迎え入れて、幸せな家庭を築くというのですか?」
「まて。まて、エーベンローデ殿」
エーベンローデの瞳が揺れていた。瞳孔が開いているが、焦点はもはやどこかに合っている様子はない。
クライスは慌てて、彼女を制止しようとした。
アルテローデとは問答無用で分かれる気満々だったクライスだが、流石に、前提条件が異なると分かった段階で、対処も変える必要がある事は分かっていた。
だからあくまで、先ほどの肯定は、エーベンローデの質問に肯定を示しただけで、「エーベンローデにも同じ対応をしようとしている」なんていう答えではなかった。
だが、エーベンローデには、肯定がそのまま、警告に聞こえたようであった。
落ち着いてくれの意でクライスが前に出した手は、エーベンローデの目には攻撃にしか映らなかったようで、エーベンローデは自分の膝に強く拳を叩きつけながら、声を荒げた。
「ふっ、ふざけないで……あっ、あなたが! あなたが逃げなければ! 私はこの家に来る必要はなかった!! あっ、あなたの、あなたのせいで、わ、私は! こ、こんな、こんな年まで、何もせず、何もできず、過ごす事になったのよっ!?」
「っ」
「さっ、三十年よ。三十年! い、今更、ここを追い出されて、私に何ができるというのっ!」
(彼女と全然関係のない人間であろうとも、その声を聴けば胸を直接握りしめられるような痛みを感じたのではないか)
そう、クライスが思うような声だった。
「かえして、私のじかんを! かえしてよッ!!!」
そう叫んだと同時に、エーベンローデはせき込みだした。
彼女の証言が真実であれば、三十年、使用人たちとも特に親しくなる事もなく、過ごしていたと思われた。そうなれば話す相手もいないのだから、そう大きな声を出す事もなかったのではないか。
エーベンローデに駆け寄ったのは、クライスが連れてきていた、赤毛の女騎士と赤毛の侍女だった。
イエローサファイア子爵家で長らく働いていた使用人ではなく、子爵家に帰ってくるにあたり、雇った人々だ。
アルテローデが抵抗を見せた場合、無理矢理彼女を連行したり軟禁させる可能性が十分にありえた。その間、彼女の逃亡を防ぎつつ世話をさせる為に、意図的に女性を選んでいた。アルテローデは他人を味方にする術に長けていたが、その能力は特に男性に効果てきめんだったからだ。女性でもアルテローデに取り込まれる可能性はあったが、男性よりは可能性が低いと考えて雇った二人だった。
どちらも武を誇るルビーの血族で、力仕事に関する事への信頼は十分な二人だ。
騎士に背中を摩られ、侍女に差し出された水をエーベンローデは飲んだ。対面にいるクライスや、彼の背後に立っている部下たちの事など無視し、ただただ自分を落ち着かせることに、彼女は集中した。
少ししてから、先ほどの叫びがなかったかのように、エーベンローデは平静を取り戻した。
また、視線はクライスから少しずらされて、落ち着いた。
「……失礼いたしました。クライス・イエローサファイア様にとって、姉との婚姻は逃げ出すほどに嫌なものだったという事は、わかります。あの姉ですから」
エーベンローデが目を伏せれば、頼りないまつげが、細い影を緑の瞳に落とした。
「ですが、どうせ逃げ出すのであれば、両家の関係を継続出来ない程の何かを成してから、逃げ出していただきたかった」
「……」
「そうでなければ……。……はあ」
エーベンローデは頭を左右に振った。
「……あなたに、お母上と違い人の心がある事に期待いたしますわ」
それは、この日もっともクライスに効いた嫌味となった。
膝の上で握った拳が震えた。
エーベンローデは退室した。開いたクライスの掌には、爪が食い込んで出来た赤い線が四つ走っていた。




