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結婚30年。夫は妻の顔を見て「お前、誰だ?」と言った  作者: 重原水鳥


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【01】クライス・イエローサファイアのこれまで

!注意!

 ざまあ(やり返し)なし。恋愛要素なし。


 もし、すれ違い、勘違いを発端とした冷遇ものが、発生から発覚までが、あまりに時間が過ぎてしまったら? 解決出来なくなるんじゃない?

 すれ違いからの溺愛にはある程度(両方、またはどちらかの)若さ的なパワーとかが要るかもな……。

 その場合の落とし所ってなんだろう?


 などの思い付きを発端とし、気分転換にちまちまちまちま(約半年)書いているうちに完結したものです。当初とはちょっと違う読み味になりました。

 とある貴族の屋敷にて。


 一人の老婦人が、騎士によって取り押さえられていた。


 その対面にいる男は、老婦人を助けるでもなく優雅に紅茶のカップを手に持っている。


 そんな男に向かって、老婦人は目玉と歯茎をむき出しにしながら叫んだ。


「クライス、お前ッ……! 実の母になんという仕打ちを……!」

「貴方と血がつながっている事が、俺の唯一の欠点ですよ子爵家御当主(ははうえ)


 老婦人を母と呼んだ男クライス・イエローサファイアは、母を抑えている己の騎士(ぶか)に、老婦人を連れていくように指示をする。喚きながら老婦人は連れていかれるが、それを屋敷の使用人たちは黙って見送るばかりであった。むしろ、老婦人を見る目には軽蔑や侮蔑があった。


 クライスは母親――イエローサファイア子爵家当主を連れ出したのち、子爵家の屋敷にいる使用人たちを集めた。


「本日より、母ブルクヒルデに変わり、イエローサファイア子爵の座を引き継いだクライスだ。ただいまより、お前たちは俺の指揮下に入る」


 使用人たちは新しき主人を歓迎するように、頭を下げた。

 長年、横暴な態度で使用人たちを苦しめていた者が当社の座から降りたのだ。その息子と言えど、クライスが母親と折り合いが悪く家にほとんど帰らなかった事を知る者たちは、新しき主人に期待をする。


 そんな使用人たちの態度に満足したように頷いた後、クライスは外に出た。


 本邸から辛うじて見える位置にある、子爵家の別邸。

 そこに、書類上、クライスの妻である女がいる。


 名は、アルテローデ。

 誠に不服ながら結婚している為、書類上の名前はアルテローデ・イエローサファイアになっているその女の旧姓はグリーンサファイア。

 クライスが先ほど正式な手順をもって追い出した母によって結婚させられた、この上なく嫌いな女であった。


「はあ……次はあちらの処理をしなくてはならないな」


 疲れた様子のクライスに、彼の副官が慰めるように声をかけた。別に歩いても行ける距離であるが、身分があるものは、徒歩ではない方法で移動する事が多い。長らく騎士として働いてもいたクライスは慣れた様子で馬にまたがって、別宅に向かった。


(アルテローデ……あの忌々しい女と結婚する事になった時は、絶望したな。もう、三十年以上前になるのか……)


 とにもかくにも、性悪という言葉が似合う女だった。

 忌々しい相手であるが、美しいという一点においては、否定できない。けれど美しい生き物ほど毒を持っている事が多い事に当てはめるかの如く、性格は悪く、他人を貶める事に抵抗のない女だった。



 ◆



 同い年であったアルテローデとは、貴族学院で出会った。貴族学院は国内最古かつ最大級の教育機関であり、ある程度の地位を持つ貴族家の子弟であれば、必ず入学したがる場所だ。


 クライスとアルテローデはどちらも実家はサファイアの名を持つ、サファイア侯爵家を祖とする一族に生まれた。けれど二人の間には、血の繋がりなんてものは殆どない。「家系図を何世代も遡れば関係があるといえる」ぐらい、血は離れている。



 アルテローデは美しく、入学当初から目立っていた。



 けれど少しして、クライスは偶然にも彼女が他者を意図的に貶めている所に出くわした。明らかに格下の相手をいたぶっていたのだ。

 最初は状況が理解できず、遠くに見守っていたクライスだったが、少ししてアルテローデが一方的に相手に喧嘩を売った上に罵声を浴びせて痛めつけていると分かった。しかもその喧嘩を売る理由も、


「わたくしより美しくもなく、血筋も家柄もすぐれない人間の癖に、わたくしより目立つなんてありえない」


 という、あまりに自己中心的な理由で。

 それを理解した瞬間、若いころのクライスはカッとなってしまった。


 クライスは、他人を人とも思わないような動きをする女が嫌いだった。大嫌いな実母を思い出すからだ。

 実母は自分以外の人間は全て道具としか思っていない人間だった。入り婿で夫であるクライスの父も、血を分けた実の息子のクライスも、自分の為に働くコマでしかないという人間だった。

 アルテローデに、母が重なって見えた。髪の色も目の色も容姿は何もかも違うが、その時のクライスには、アルテローデが実母にしか見えなかった。


 気が付けば、アルテローデと被害者の間に割り込んでいた。


「何をしている。その行為は、淑女として相応しい行為なのか?」


 被害者をクライスは庇った。

 相手の事を考えたとかではなく、ただ、アルテローデの行為が許せなかったからだ。


「まあ。自分の立場をわきまえていない人に、正しい立ち位置を教えて差し上げていただけですの」


 なんて、アルテローデは猫をかぶったが、クライスが少し前から見ていたと分かると、途端にクライスに攻撃の矛先を向けた。


 気弱な人間や女性ならば、アルテローデの気迫に負けてしまったかもしれない。

 しかし幼いころから母の折檻を受けてきたクライスにとって、アルテローデの口撃などたいした被害ではなかった。

 むしろ、ついつい、強気にクライスは言い返してしまった。


 恐らくアルテローデにとって、初めて反撃してくる男だったのだろう。


 この出来事がきっかけに、アルテローデはクライスの事を敵視し始めた。


 アルテローデは男も女も、自分の敵となれば容赦なく陥れようとしてくる女だった。

 クライスはそれに必死に抵抗しながら、貴族学院で生活する事になった。


 それまでアルテローデに虐められていたと思われる人々は、自分にまた矛先が向くのを恐れてクライスを助けようとはしなかった。

 同年代の男たちの大半は、美しいアルテローデが少し涙を耐えて見せれば、ころりと彼女の味方となった。クライスは随分と責め立てられたし、男同士のコミュニティの殆どからはじき出される事になった。

 同年代の女たちも、アルテローデの味方になるか、攻撃されたくなくて距離を置くかの二択ばかり。


 また、アルテローデはあれで、媚びを売るのもうまかった。自分が味方につけるべき上の立場の人間にはしおらしい態度を見せるらしく、気が付けばあらかたの教授陣から、クライスは「淑女に失礼な男」というレッテルを貼られ、かなり厳しくみられるようになった。

 最終的には「どうにも噂などと違う」と気が付いてくれた人も多かったが、第一印象を覆すのは簡単ではなく、かなり長い間、他の学生よりも厳しい基準で評価を付けられていたように思う。


 唯一幸いだったのは、貴族学院はとても大きな教育機関だった事だろう。

 アルテローデの力が強く及ぶのは同学年、かつ、取っている授業が似ている相手が中心。取得する授業が全くかぶっていない学生や、他の学年の中から、クライスは一生の友人を得る事も出来た。


 結論としては、引き分けだっただろう。

 クライスはアルテローデの攻撃でつぶれる事はなかった。なんとか乗り切った。

 そしてアルテローデはクライスを潰しきれなかった。

 アルテローデの目的は果たされなかったのだ。


 だが全体的な傾向では、クライスの方が苦い経験を重ねていた。

 貴族学院での記憶の殆どは、苦しいもので。あの頃の事は思い出したくはない。


(これでやっと、この女から離れられる)


 卒業時、そうホッとした。


 なのに。



 そんな女と結婚する事を、卒業後に突如決められた。



「お前の嫁を決めてきたわ。アルテローデ・グリーンサファイア子爵令嬢よ。お父上は王宮の官吏として優秀な仕事を成している方だわ。お前と同い年だし、ちょうどよいと縁を繋いできてやったのよ」


 若かりし頃の母にそう告げられて、クライスは当初絶句した。


 この国で、同じ家名の家は沢山ある。名前の数も無限にある訳ではないので、アルテローデ・グリーンサファイア子爵令嬢という名前だけならば、同姓同名の別人の可能性もあった。

 しかし、父親が王宮の官吏として優秀という点。さらに同い年という点から、そのアルテローデは()()に違いなかった。


「絶対に嫌です!」


 若かりしクライスは、過去振り返ってもこれほど騒いだことがないというほどに、子爵家当主であった母に抵抗した。けれど当時は、子爵家を完全に掌握していた母に逆らえるはずもなく。あっという間に婚約関係になり、母が選んだ将来の嫁であるアルテローデ・グリーンサファイアと引き合わせられた。


 やはり、()()アルテローデ・グリーンサファイア子爵令嬢で間違いなかった。


 グリーンサファイア子爵夫妻とアルテローデ。

 イエローサファイア子爵夫妻とクライス。

 合計六人、二組の家族が揃った場で、アルテローデは親たちが見ていない場ではクライスにとてつもなく冷たい目を向けていた。そして、二人きりにされた場で、アルテローデはいつもの本性をあらわにした。


「全く。お父様が選んできた相手だからどれだけ素晴らしい相手かと思えば、まさか貴方なんて! まあいいわ。貴方、当主たるお母様に好かれていないようね? わたくしはお母様に気に入っていただいているの。貴方が夫なんて吐き気がするけれど、好きに使えるようになると思えば、悪くないわ」


 クスクスと笑うアルテローデにクライスは強く拳を握りしめた。


 クライスは確かに母に好かれていない。ある程度自我がはっきりしてきた頃から、母の所業に違和感を覚えて、反発ばかりしていたからだ。いつからか母にとってクライスは「自慢の息子」ではなく「不出来な息子」になっていた。

 次期当主としてすべき教育も、まともにされなかった。しっかりと教育すれば、自分の立場を脅かす可能性があると、母は考えていたのだろう。


 家を継ぐまでの仕事も、母は王宮の官吏になるよう言ってきたのを無視して、騎士団の職員になった。


(だから、こんな嫌がらせのような結婚をさせられそうになっているのか?)


 母の言うがままに、婚姻するなんて、まっぴらごめんだった。


 結婚は決められたものの、すぐすぐに結婚はしない。

 見栄っ張りな母やアルテローデの、「立派で豪勢な式を挙げる」という意思が一致していたのと、一般的には婚約期間を設けたうえで結婚する貴族が殆どだったからだ。

 十八で卒業して、正式な結婚までは二年。二十になる年に式と、正式に籍を入れる事が決まった。


 その二年間、クライスは母を倒す方法や、アルテローデと別れる方法。様々な手段を模索した。


 けれど社会的には何の力もない子爵令息でしかないクライスに、出来る事は殆どなかった。


 なんとか、母を当主から引きずり下ろす為に証拠を集めていたクライスだったが、この作戦は結婚式の数か月前に失敗する事になった。クライス同様虐げられてきており、味方だと思っていた父が、クライスの作戦をすべて母親に伝えたのだ。実の父に裏切られ、クライスは大きくなってから久しぶりに、とてつもない折檻を受ける事になった。

 肉体的には実母よりずっと強くなった筈なのに、鞭を持った母を前に、クライスは動けなくなってしまった。

 情けない自分に泣きながら、クライスは母からの折檻を受けるしかなかった。



 ――折檻が終わり、久しぶりに職場に復帰したクライスに、やっと救いの手が伸べられる事になるとは、この時は思ってもみなかった。



 ◆



「クライス。ついたぞ。降りないのか?」


 友人件従者である男の掛け声に、クライスはハッとした。意識が過去の記憶から、現在に戻って来たのだった。

 別宅に到着したのに、過去を思い出していたクライスはいつまでも馬から降りていなかったのだ。従者はそんな主人(クライス)を訝しんで見上げていた。


 軽やかに馬から降りて、部下たちに馬を預ける。それから、信頼できる部下数人だけを連れて、クライスは別宅に入っていった。


「クライス様。奥様に会うのは三十年ぶりという事でしたが……」

「……そうだな。最後に会ったのは、サインをする前だったからな」


 サインについても、苦い思い出がある。


 当時、家から逃走する算段がほぼついていたクライスは、書類上であろうともアルテローデと結婚したくなくて、逃げ回っていた。

 それにしびれを切らした母は、馬鹿力(ルビーの血族)のならず者を数人雇い、クライスを無理矢理押さえつけ、部屋に軟禁した。

 クライスがサインをするまで、彼は水すら飲めなかった。


 結局、サインをクライスはした。サインさえすれば、逃げ出す隙が生まれると考えたからだ。その考えは正しく、サインをした事で緩んだ監視の穴を縫ってクライスは脱出した。それ以来、屋敷には戻ってこなかった。


「新郎不在で式を挙げたと聞いた時は、呆れたな……」


 屋敷を抜け出し、出国したクライスは、隣国での仕事の最中、母国にいる友人たちからたびたび手紙を貰っていた。

 手紙の内容で多かったのは、クライスがいなくなったあとのイエローサファイア子爵家の事情だ。

 下手に近づけば友人たちとクライスの関係性が露見する事も考えられた為、あまり詳しい事ではなかった。それでも、噂になるような出来事なら友人たちも把握できて、クライスに教えてくれたのだ。


 その一つが、新郎不在で強行されたという、結婚式だった。


 アルテローデは恥をかかされたと、さぞ怒りまくっただろう。


 その怒りのまま母に逆らったのか、結婚から数日で、アルテローデは別宅に追いやられた。

 あのアルテローデでも、イエローサファイア子爵家に入った以上、最高権力者たる母には逆らえなかったのだろうと思われる。


 母はいなくなったクライスの事を、行方不明で届を出す事もなく日々を過ごしていった。クライスが戻らない可能性だってあったのだから、親戚筋から誰か養子を取るのではと感じていたのだが、そういう動きもないまま、年数だけが過ぎていった。


 そしてクライスとアルテローデが書類上籍を入れてから、三十年となった今年、クライスはついに屋敷に帰ってきた。これまでグレーな事はしていたものの、直接的な犯罪は犯していなかった母が、ついに一線を越えたと知ったからだ。

 罪が重くなれば、クライスたちだけの問題でなく、もっと広い範囲での問題になってしまう。その前に、クライスは家に戻り、母を倒す決意をしたのだ。


 そして母は、先述の通り連れて行かれた。


 あとは、母に押し込められたというアルテローデの元にいき、離縁を告げるだけだ。


 三十年、押し込められたという点では、アルテローデは被害者だ。

 ただ、結婚するまでの二十年の間に、アルテローデは沢山の人間を虐げ、不幸にしてきた。


(今回の経験を通して、少しはあの傲慢さも鳴りを潜めているだろう。そうでなければ、逆に安心して離縁を告げられるというものだ)


 三十年のうちにアルテローデがどう変わったか。そう思いながら、クライスはずんずんと、使用人から聞き出した、アルテローデがいるという私室に向かって歩いていった。



 ◆



「ここか」


 ついに辿り着いたアルテローデの部屋の前で、クライスは一つ、呼吸をした。

 それから、勢いよく、ドアを開けた。


「アルテローデ!」


 そう名前を呼びながら入室したクライスの視界に入ったのは、グリーンサファイアらしい緑の髪の女性の背中だった。ベッドの上で座っている彼女は窓の方を見ていて、ドアから入ってきたクライスたちには、背中を向ける形になっていたのだ。


「三十年、母にここに押し込められたことには同情する。だが、本日をもってお前と俺の婚姻関係は、おわ、……る…………」


 勢いづけて喋っていたクライスだったが、その言葉はみるみるうちに尻すぼみになっていった。


「……は?」


 クライスの口から洩れる、困惑の声。クライスと共に入ってきた部下たちは、言葉を失うクライスと、ベッドの上でこちらに視線を向けてきている女性とを見比べた。


 クライスと同い年だろう緑髪の女性は、突如押し入ってきたクライスたちに目を丸くして驚いているようだった。しかし、怯えだとか、恐怖だとか、そういうものは感じていないようであった。その目は凪いでいて、むしろ入ってきたクライスたちの事を、面倒な人間とばかりに見つめていた。


「クライス様? どうされました?」


 部下たちが、そう何度か声をかけた所で、クライスはハッと我に返った。そして、ベッドにいる女性に向かって、声をかけた。


「誰だ?」


 そう。そこにいるのは、アルテローデではなかったのだ。

 アルテローデの事は、嫌でも記憶に焼き付いている。

 だから目の前の女性が、やつれたアルテローデではないのが、クライスには分かっていた。


 女性の方はというと、部下たちの声かけで、


「あなたがクライス・イエローサファイア様?」


 と確認するように声をかけてきた。


「ああ、そうだが……」

「そうでしたか。はじめまして。私は、エーベンローデでございます」

「……誰だ?」


 心からの疑問だった。


 エーベンローデと名乗った女性は、クライスの言動に、首をかしげる。


 怒りはない。ただただ不思議そうな顔だった。


 ベッドに腰かけていた彼女は、「よいしょ」と掛け声を出しながら、ベッドから両足を下ろす。そしてベッドに立てかけていた棒を手に持ち、それに体重を掛けながら立ち上がった。


 その動作だけで、クライスは彼女が足が悪い事が理解できた。


(アルテローデの関係者か? ここで療養させていたのか? いやだが、使用人は俺の妻の寝室はここだといっていた。何がどうなって?)


 と、心の中で大混乱しているクライスに対して、エーベンローデは、彼女が出来る限界だろう形で、礼をした。


「改めてご挨拶申し上げます。エーベンローデ・イエローサファイア。旧姓、グリーンサファイア。()()()()、クライス・イエローサファイア様と()()し、クライス様の()となった者でございます」


 その言葉には、どことなく嫌味が含まれていた。しかしその嫌味に気が付かずに、クライスは告げられた事実にただただ驚いた。


「ど――ういう事だ!? 俺と結婚したのは、アルテローデ・グリーンサファイアだろう!! 貴女は誰なんだ!?」

「アルテローデは姉でございます」

「は、あ!?! つまり、あの女の、妹……!? 妹が、どうしてここに!」

「新婦の入れ替えが行われたからです」

「なんだって!?」


 それは遅すぎる、勘違いの発覚であった。

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