11-2
翌日、糸ちゃんと一緒に待ち合わせ場所に行く。
花壇の淵にはいつものように響が座っていた。
背中にはギターケースを背負っている。
あたしが声をかけられずにいたら、代わりに糸ちゃんが「こんばんは、ヒビキくん」と声をかけた。
「こんばんは」
あたしたちに気づいた響が立ち上がる。
あたしは小さく頭を下げて、糸ちゃんの隣で響を見る。
響は何も言わずにちらりとあたしを見ると、「こっち」とひと言言って歩き出した。
響があたしたちを案内したのは、この前のライブハウスだった。
「よう、ヒビキ。レイジだったらいつもの部屋にいるよ」
「どうも」
この前と同じナベさんという人に挨拶をして、響が奥に入っていく。
あたしと糸ちゃんはやっぱり緊張しながら、ぺこりと頭を下げて響のあとに続く。
今日はライブホールがある地下ではなく、響は階段を上に上がっていった。
二階にはいくつかの部屋があり、その中のひとつの重たいドアを開く。
「来たな。つぐみちゃん。それから糸ちゃん」
椅子に座ってギターをいじりながら、レイジが言った。
「こんばんは。姪っ子の付き添いで来ました」
糸ちゃんがそう言って、あたしの背中を押す。
あたしは何も言えないまま、視線だけを不自然に動かす。
壁の一面はガラス張りになっていて、部屋の中にはドラムやマイク、それにいろんな機材がたくさん置いてあった。
こんな所へ来たのは、もちろん初めてだ。胸がドキドキする。
「わたしのことは気にせず、つぐみちゃんをよろしく」
「おう、任せとけ」
レイジはそう言うと、いつもみたいにニカッと笑う。
「まぁ、つぐみちゃんは絶対来るって、俺は思ってたよ。ヒビキは『あいつは絶対来ない』なんて言い張ってたけどなぁ」
「え……」
あたしは響のほうを向く。響は気まずそうにギターを取り出している。
「つまりこの賭けは俺の勝ち。だからお前はつべこべ言わず、俺の言うとおりにしてりゃいいんだよ」
「うるせぇなぁ。べらべらしゃべるなよ」
「は? つぐみちゃんの前だからって、またカッコつけやがって」
レイジは響の頭を抱え込むと、それをわしゃわしゃとかき回している。
響は「やめろよ」と逃げようとするが、レイジは離してくれない。
「なんか……あいかわらずだね、このふたり」
糸ちゃんがあたしの耳元で言って、くすっと笑う。
「うん……」
ふたりにはずっとこんなふうにしていて欲しい。
レイジがどこにも行くことなく、響は文句を言いながらもレイジのそばにいて……ふたり、このままずっと……。
レイジは気が済むまで響をいじったあと、「じゃ、一曲やってみるか」と言った。
そして響に向かって、曲を弾くように指示する。
「ちょっとつぐみちゃんは聴いてて」
レイジに言われてうなずいた。
それと同時に響の弾くギターの音があたしの耳に響いてくる。
この曲は――あたしが初めて響に会った時に弾いていた曲だ。
あたたかくて、どこか懐かしいアコースティックギターの音。
優しく流れるようなイントロのあと、レイジの声が響の音に重なる。
「あ……」
思わず声が漏れる。
人の声と楽器の音。
まったく別物のはずなのに、混じり合ったふたつの音は、違和感なくあたしの耳に入り込んでくる。
心を揺さぶるレイジの歌声。切ないメロディーを奏でる響のギター。
レイジの声にはもちろん、響の音にも強く引き付けられる。
どうしてだろう。
あたしにはテクニックがどうのとかはわからないけど、響のギターは他の人とは違う。
あたしの心をぎゅうっとつかんで離してくれない。
あたしにもこんなことができたら……誰かをこんな気持ちにさせられたら……すごくいいのに。
「ステキ……」
隣で糸ちゃんがつぶやいた。
糸ちゃんはうっとりした顔でふたりのことを見つめている。
演奏が終わると、あたしと糸ちゃんは思わず手を叩いてしまった。
「いやぁ、ありがと、ありがと」
レイジがふざけた調子であたしたちに言ってくる。
「そんなによかった?」
「うん、よかった……よね? 糸ちゃん」
「ええ! 感動しちゃった」
「そうか、そうか。だけど糸ちゃん、俺には惚れるなよ? 俺に惚れたら火傷するぜ?」
「はぁ?」
レイジがわははっと笑って、糸ちゃんがあきれている。
歌っている時はカッコいいのに、しゃべると一言余計なんだよなぁ、なんて思いながら、あたしはレイジに聞いてみる。
「あの……この歌のタイトル、なんていうの?」
歌詞はレイジが作ったと、響が言っていたから。
「ああタイトルは『無題』だな」
「え、何そのタイトル……」
顔をしかめた糸ちゃんのそばで、響がぼそっと口を出す。
「タイトルつけるの、めんどくさかっただけだろ」
「は? 違うって。この歌は聴く人によって、いろんな意味にとれるんだ。だからタイトルは聴いてくれた人におまかせってことで」
「だからめんどくさいだけじゃん」
「違うって言ってるだろ! ヒビキ、お前は全くわかってねぇ!」
レイジが響の頭をまたぐしゃぐしゃとかき回して、それからあたしを見て言った。
「じゃ、つぐみちゃん。この歌、歌ってみようか」
レイジは持っていた譜面をあたしの手に持たせる。
「え? あたしが?」
「当たり前だろ? つぐみちゃんがメインボーカルなんだから」
あたしは譜面を持ったまま、慌てて首を横に振る。
「あ、あたしは無理……」
「大丈夫だよ」
あたしの声をさえぎるようにレイジが言う。
「ひとりでやるんじゃない。俺たちもついてるから」
その声が胸に響く。
あたしはずっとひとりだと思っていた。
お母さんがいてくれても、糸ちゃんがいてくれても、あたしはずっとひとりぼっちの気がしていた。
耳を塞いで目を閉じて、息をひそめてガラスの中に閉じこもっていた。
あたしは黙って響を見る。
ギターを抱えた響と目が合い、あたしはレイジにもらった譜面を握りしめる。
タイトルは『無題』。聴く人の心によって、この歌の意味が変わる。
「歌ってみなよ、つぐみちゃん。わたしもつぐみちゃんの歌、聴きたいな」
糸ちゃんがあたしの背中を押してくれた。
いいのかな。あたしが歌を歌っても……本当にいいのかな。
心臓がドキドキと高鳴る。頬がすごく熱い。
でもあたし、すごく興奮している。
ギターの音が聴こえた。響がイントロを奏で始める。
この歌はまだ三回しか聴いていない。
でもあたしの心の中にはその切ないメロディーと歌詞が、しっかりとこびりついている。
あたしは顔を上げてレイジを見た。
レイジがあたしを見てうなずき、合図をする。
あたしはそれに合わせて声を出す。レイジの声もそこに重なる。
響の音と、あたしの声と、レイジの声。
重なり合って、新しい歌になる。
糸ちゃんが作るガラス細工みたいだ。
ひとつひとつの欠片は不格好で誰かを傷つけてばかりいるけれど、溶けあってひとつになると美しい色に輝く素敵な作品になる。
レイジの声とあたしの声が響き合う。
響の奏でる音が心地いい。
糸ちゃんがうっとりした顔であたしたちを見つめている。
気持ちいい。歌を歌うって、やっぱり気持ちいい。
それにあたしを支えてくれる人がそばにいるって、すごく安心できる。
レイジと響が、あたしにそれを教えてくれたんだ。
この時間が、永遠に続いたらいいのに――あたしは心地よい音に包まれながら、夢見心地でそう思った。




