10-5
「いいね! すっごくいいよ、つぐみちゃん! どう? 今度ライブで歌ってみない?」
何を言っているのだろう、この人は。
あたしはまた首を横に振る。
「む、無理です!」
「どうして?」
「どうしてって……」
今、レイジと歌を歌ってすごく気持ちがよかった。
だけどそんな感情を、あたしが味わっていいわけがない。
「あたしは……そういうことをしてはいけない人間だから」
つぶやくあたしのことを、レイジがじっと見つめている。
「だから歌うことはもうやめたの……五年前に……」
部屋の中に音がなくなり、静まり返った。
すぐに電車が通過する音が聞こえ、窓ガラスがカタカタと揺れる。
その音が通り過ぎるとまた静寂が訪れ、あたしは息苦しくなって逃げ出したくなる。
「……歌えばいいじゃん」
そんな静けさを打ち破ったのは響の声だった。
「いいよ、俺に気を使わなくても。歌いたかったら、歌えばいいじゃん」
ゆっくりと視線を動かす。部屋の隅に座っている響がこっちを見ている。
「楽しかったら普通に笑って、好きなこと普通にしなよ。兄貴が罪を犯したからって、何もかも押し殺して生きる必要はないだろ」
「響……」
「このまま一生笑わず、一生歌わないで生きるつもり? それで罪を償ってるとでも思ってんの?」
あたしは膝の上の両手をぎゅっと握った。
レイジがあたしのことを、じっとうかがっているのがわかる。
「そういうの、かえって腹が立つ」
響が立ち上がった。
そして脱ぎ捨ててあったコートを手に取り、また外へ出て行こうとする。
そんな響に、レイジが言った。
「ああ、なんだ。お前も仲間に入りたいのか」
響が立ち止まり、レイジをにらむように振り返る。
「俺とつぐみちゃんが楽しくやってたから、悔しかったんだろ? しかたねぇ。お前も仲間に入れてやるよ」
「誰もそんなこと言ってねぇだろ!」
響が怒鳴った。
だけどレイジは意地悪そうに口元をゆるめて言う。
「やっぱり図星か。お前ほんとのこと言われると、すぐ耳が赤くなるもんな」
慌てたように耳に手を当てる響を見て、レイジは声を上げて笑った。
「な、なに笑ってんだよ!」
「まあまあ、落ち着けって。大丈夫、お前のこともちゃんとメンバーに入ってる」
「は?」
「次のライブのギタリストは、ヒビキって決めてるんだ」
響が呆然とした顔でレイジを見ている。
レイジはまたおかしそうに笑って、あたしに言う。
「で、ボーカルは俺とつぐみちゃんのツインボーカルでいこう」
「え……」
あたしは驚いてレイジを見る。
レイジは飲み終わった空き缶をぐしゃっと潰すと、ひとり言のように言った。
「まぁ、人生いろいろあるけど、過去はやり直せないんだし。だったら前に進むしかないだろ? うまいもん食って、好きなもん飲んで、歌でも歌ってさ。そうやって少しずつ、進んでいくしかないんだよ」
その言葉はすごく軽くて、まるで他人事のように聞こえた。
もし他の人に言われていたら、一ミリも納得できず反抗していたと思う。
だけどレイジが言った言葉だったから。
未来があるのかどうかわからない、レイジの言葉だったから――それはすごく重く、あたしの胸に響いた。
「ああ、そうだ。本番前に一回くらいリハしといたほうがいいな」
「……マジで言ってんの?」
あきれたような響の声にレイジが答える。
「マジマジ、大マジ。つぐみちゃん、いつなら来れる?」
「え、あ、あたしはいつでも……学校行ってないし」
つい答えてしまって我に返った。
これじゃ、あたしもやりますと言っているようなものだ。
絶対そんなの無理なのに……レイジがあたしを見てまた笑う。
「学校行ってない? いいね、それサイコー。飽きるほど時間あるじゃん。んじゃ、いつでも来れるな」
それから今度は、響のほうを向いて指示を出す。
「じゃ、響。今からスタジオ行って予約してきて。ついでに駅までつぐみちゃん送ってやって」
「なんで俺が……」
「いいから行ってこい。今夜は解散!」
レイジはそう言うと、立ち上がってお風呂場のほうへ行ってしまった。
狭い部屋にはあたしと響だけが残る。
「ほんと……勝手なんだから……」
響がつぶやいてコートを羽織った。
そしてちらりとあたしを見下ろしてつぶやく。
「……送ってく」
あたしはぼんやりと座ったまま、響の顔を見上げていた。
すっかり暗くなった線路沿いの道を、響と歩いた。
繁華街から少ししか離れていないのに、このあたりはひと気がなく、車もたまにしか通らない。
時々遠くで踏切の警報機が鳴る。
しばらくすると電車の音が近づいてきて、あたしたちに大きな音と強い風を浴びせて去っていく。
急行電車が一本通り過ぎると、あたりはまた静けさを取り戻した。
「さっきは……」
そんな静かで冷たい空気の中に、響の声が響いた。
「言い過ぎた……ごめん」
あたしは顔を上げて、響を見る。響は前を向いたままだ。
響の横顔から視線をそらして、小さく首を横に振る。
遠くに見えるたくさんのビルの灯りが、星屑みたいにキラキラと光っている。
そのままふたり、何も言わずに駅に向かって歩いた。
離れず近寄らず、微妙な距離を保ったまま。
あたしにはわからなかった。あたしは響にどこまで近づいていいのか。
そして響もあたしにどう接すればいいのか、悩んでいたのかもしれない。
駅まで一緒に歩いた響は、あたしをバス乗り場まで送ってくれた。
あたしがバスに乗り込む時、響は何も言わなかった。
あたしも黙ってバスに乗り、窓から外を見下ろす。
街のまぶしい灯りの中、響はそこに立ちつくしたまま、あたしのことを見つめていた。
ゆっくりと動き出すバス。
窓越しに立つ響の姿を、あたしもずっと見続けていた。




