10-4
レイジの住んでいる家は、線路沿いにある古い二階建てのアパートだった。
レイジは錆びついた鉄の階段をブーツで踏みつけ、派手な音を立ててのぼっていく。
あたしはそのあとを、おそるおそるついていく。
すぐわきの線路を電車が通るたび、振動がガタガタと伝わってくる。
「ここだよ、入りな」
レイジが一番奥の部屋のドアを開けた。
「……お邪魔します」
背の高いレイジの後ろからそっと顔を出す。
中にはギターケースからギターを取り出そうとしていた響がいて、驚いた顔で言った。
「な、なんでつれてくるんだよ!」
「は? ここは俺の家なんだから、誰をつれてこようと俺の勝手だろ。文句あるならお前が出てけ」
レイジがあたしを玄関の中に押し込み、バンッと乱暴にドアを閉めた。
あたしはちょっと怖くなって肩をすくめる。
「ああ、ごめんごめん、つぐみちゃん。だってこいつさぁ、つぐみちゃんに会えなくてずっとイジイジしてたくせに、つぐみちゃんの前では偉そうな態度とるからさぁ」
レイジに背中を押されて家に上がる。
玄関のそばには台所があり、その奥にふたつの和室があった。片方の部屋は布団が敷きっぱなし。
そしてもう片方の部屋にはレイジのギターとよくわからない機材、たくさんのCDや雑誌などがごちゃごちゃと山積みになっていた。
響は怒った態度で窓のそばに座り、あたしたちから顔をそむけてギターをいじり出す。
「散らかっててごめんな。そのへんテキトーに座って」
「うん」
畳の上に落ちている服をよけ、和室の真ん中に置いてある四角いテーブルの前に座る。
そんなあたしを響がちらっと見た。そしてすぐにまた顔をそむける。
あたしはどうしたらいいのかわからなくなってうつむいた。
レイジはテーブルの上のペットボトルやお菓子の袋をどけると、あたしの前に缶コーヒーを置いてくれた。
「はい。今、コンビニで買ってきたやつ。まだあったかいよ」
「でもそれ、レイジのじゃ……」
「いいよ、飲みな。俺はこれがあるから」
レイジがいたずらっぽく笑って、缶ビールを見せる。
だけどそんなレイジに響が言う。
「やめろよ。医者に止められてんだろ」
「うるせぇな、お前はいちいち」
レイジが響を無視して缶を開け、喉を鳴らしてそれを飲む。
あたしはレイジに向かって聞いた。
「レイジ……病院には行ったの?」
ビールから口を離したレイジがあたしを見る。
「聞いたんだな? 俺の病気のこと」
あたしはうなずく。レイジはふっと笑ってあたしに言う。
「いいんだよ。俺はまだやりたいことがあるんだ。病院なんか行ったら最後、即入院させられてベッドに縛り付けられる」
「だったら余計病院行かなきゃ。ちゃんと治療すればよくなるよ、きっと」
「よくなるなら俺だって行ってる」
レイジが小さく笑ってビールに口をつける。
あたしはぎゅっと唇を噛む。
『あの人の人生はあの人のものだから……決めるのはレイジだよ』
やっぱり糸ちゃんが言うように、あたしたちには何もできないの?
「もうそんなやつほっとけよ」
響がギターに視線を落としたままつぶやいた。
「誰が何を言っても聞かないんだから。もうほっとけよ」
あたしは響の顔を見る。
やっぱり響の忠告も聞いてくれなかったんだ。
だけど響は思ってる。ちゃんとレイジのことを思っている。
あたしは黙ってうつむいた。
何もかもがどうにもならなくて、情けなくて泣けてくる。
一瞬部屋の中が静まり返った。
レイジはまた少し笑うと、ビールの缶をテーブルに置いた。
そしてそばにあったギターを手に取り、音を鳴らす。
ぽろぽろと零れ落ちる音たちは、やがて聞き覚えのあるメロディーになる。
あ、これ、糸ちゃんのお気に入りの歌だ。
ギターの音色にレイジの声が重なる。
甘くて力強くて、何もかもを引きずり込む不思議な歌声。
あたしはギターを弾くレイジを見る。レイジは気持ちよさそうに歌っている。
レイジのやりたいことってこれなのかな。
まだまだずっとこんなふうに歌っていたいのかな。
レイジの歌を聴きながら、そう思う。
響は部屋の隅で下を向いていた。
でもきっと響もレイジの歌を聴いている。
ライブハウスでレイジのことをじっと見つめていた、響の強いまなざしを思い出す。
ギターのメロディーがサビにつながる。
高音を裏声で歌うところが、色っぽい感じで好き。
切ない歌詞は胸をぐっと抉ってきて、すごくいいんだ。
あたしは目を閉じて、レイジの歌声を聴く。
つらい時も悲しい時も、あたしはこの耳でその声を聴いていた。
あたしはレイジの歌に、ずっと支えられていたんだ。
目を閉じたまま、息を吐く。それは声になり、歌となる。
そっとまぶたを開いたら、ギターを弾くレイジと目が合った。
歌いながらいつもみたいに、いたずらっぽくあたしに笑いかける。
レイジがあたしに合図するように、ギターをかき鳴らした。
あたしはそれに合わせて二番の歌詞を歌う。
なんて気持ちがいいんだろう。
歌うことがこんなに気持ちいいなんて……あたしはずっと忘れていた。
二番のサビを歌うあたしの声に、レイジの声がハモる。
ふたりの声がしっくりと重なり合って、耳に心地よく響く。
気づくとあたしは歌を歌いきっていた。
身体が熱くて、頭がぼうっとする。
そんなあたしを見ている響と目が合った。あたしは恥ずかしくなり視線をそらす。
「つぐみちゃん」
レイジの声が聞こえた。
「前にバンドかなにかやってたの?」
あたしは慌てて首を横に振る。
そこでやっとあたしは、とんでもないことをしてしまったと思った。
仮にも元プロの人の歌を、ど素人のあたしが一緒に歌うなんて……。
「ご、ごめんなさい!」
「は? なんで謝るの?」
レイジはギターを置くと、あたしの両手をぎゅっと握りしめた。




