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10-3

 広場に戻ってきた頃、あたりはうっすらとオレンジ色になっていた。

 十二月の日暮れは早い。あっという間に夜になってしまう。

 あたしは人ごみの中、バス乗り場に向かって階段を降りようとした、その時だった。


 あたしの耳に、かすかなギターの音が聴こえてくる。

 柔らかくてあたたかくて、どこか切ないアコースティックギターの音。

 それだけであたしにはわかった。それが響の音だってわかった。


 降りかけた階段をのぼり、デッキの上に立つ。

 広場を行き来する大勢の人々。夕陽の当たる花壇。

 その淵に座ってギターを抱えている人の姿。


「響……」


 やっぱりそれは響の音だった。あたしは立ち止まり、耳を澄ます。

 弾いているのはレイジのアルバムの、二曲目の曲。お兄ちゃんが好きだった『ツバサ』だ。

 激しいロック調の曲だったのに、響が奏でると儚げで優しい曲に変わる。

 そしてその音に重なる響の声は繊細で危うく、今にも壊れそうなガラスのようだと思った。


 何人かの人が立ち止まり、そんな響の音を聴いていた。

 だけどほとんどの人は、気にも留めずに立ち去っていく。

 あたしはゆっくりと響の前に立った。

 曲が終わり立ち止まっていた人たちが、また歩き出す。

 顔を上げた響があたしに気づいた。


「つぐみ……」


 声にならない声でつぶやくと、響はすぐに視線をそむけた。

 そして持っていたギターを片づけ始める。


「響……あの……」


 響はあたしを無視して立ち上がると、人ごみの中に向かって歩き出した。


「待って!」


 あたしはそのあとを追いかける。

 だけど響はギターを背負って、あたしから逃げるようにどんどん歩いていく。


「お願い……待って……」


 あたしは何をしようと思っているのだろう。

 響を先に避けたのはあたしのほうなのに。

「もう連絡しない」と言った響を今さら追いかけたりして、何を言おうとしているのだろう。


 響は人と人の間をすり抜け、階段を降りていく。

 駅の前を通り商店街を抜け、踏切を渡る。

 あたしのことなど、一度も振り返ろうとしない。


 警報機の音が鳴り出した。

 それに背中を押されるようにあたしは走る。

 そして踏切を渡った先の線路沿いの道で、響の腕をつかまえた。


「響、お願い。あたしの話を聞いて欲しいの」


 背中に警報音が鳴り響く。あたしの心臓も激しく音を立てている。

 立ち止まったあたしたちの横を、雑音をかき消しながら急行電車が通過する。

 あたしは風に髪を躍らせ、響を離さないようにぎゅっと強くその腕をつかむ。


 今ここで響が振り向いてくれたら、あたしは――。


 電車が風を残して走り去った。

 あたしたちの後ろで遮断機が上がり、静止画みたいに停まっていた車や人が動き出す。

 やがてゆっくりと、響があたしの前で振り返った。


「話って……何?」


 前髪に隠れた瞳があたしの顔を見つめていた。

 あたしは響の腕を握っていた手をそっと離す。

 響の向こうに日が沈もうとしていた。

 かすかに残るオレンジ色の中、あたしは静かに口を開く。


「あたしの名前はね……穂高つぐみっていうの」


 あたしの声が冷たく冷えた空気に浮かぶ。

 響はじっとあたしを見ている。


「お父さんとお母さんが別れる前は、奥永《おくなが》つぐみっていう名前だった。お兄ちゃんは奥永翼。五年前、同級生を死なせて……少年Aって呼ばれてる……」


 響の顔色が変わった。目を見開いて、口がかすかに開く。

 あたしはそんな響の前で続ける。


「だからあたしは殺人犯の妹なの。響が一番憎んでいる、人殺しの妹なの」


 響があたしから顔をそむけ、振り絞るように声を出す。


「嘘だ……そんなの」

「嘘じゃないよ。お兄ちゃんの名前は報道されなかったけど、ネットで拡散されたから調べればわかる」


 響がうつむいてしまった。

 きっとあたしは今、響を傷つけている。

 だけどそれでも――。


「ずっと言えなくて、ごめんなさい。怖かったの、あたし……響に嫌われるのが……」


 カラカラに乾いた風が吹いた。

 あたしの肩までの髪と、チェックのスカートが揺れる。

 あたしは顔を上げ、想いを言葉に変える。


「それでも伝えたかった。響にはあたしのこと全部……知って欲しかったから」


 背中のほうから、また踏切の警報音が聞こえてきた。

 響はあたしの前でうつむいたまま、黙り込んでしまった。

 あたしはきゅっと唇を噛みしめ、必死に涙を堪える。


 電車があたしたちの脇を通過する。

 また大きな音が響いて、周りの音がかき消される。

 そして電車が通過したあと、あたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。


「つぐみちゃん?」


 少しだけ懐かしい声に振り返る。


「なんだヒビキも一緒かよ。何やってんだ? こんなところで」


 そう言ってニヤッと笑いかけるのは、あのレイジだった。


「どうしたの、つぐみちゃん。今日はやけにカワイイかっこしちゃって」


 レイジはいつものふざけた調子で話しかけてくる。

 腕にコンビニの袋をぶら下げ、両手をコートのポケットに突っ込んで。

 あたしは今日の服装を思い出し、急に恥ずかしくなる。


「友だちと……会ってて……」

「なんだ、ヒビキとデートかと思っちゃったじゃん」

「そんなんじゃねぇよ」


 響は顔を上げ、吐き捨てるようにそれだけ言うと、背中を向けて歩き出した。

 繁華街から外れた線路沿いの道、ギターを背負った響の背中が遠くなる。


「なんだ、あいつ。なんかあったの?」


 あたしは何も答えられない。

 きっと響は怒っている。あたしがあんなこと言ったから。

 今度こそ本当に、響にはもう会えない。


 顔を隠すようにマフラーを押し上げた。

 そんなあたしの耳にレイジの声が聞こえる。


「うち来る? つぐみちゃん」

「え?」


 突然の言葉に、あたしは驚いて手を止めた。


「俺んちすぐそばなんだ。寄ってきなよ。寒いしさ」


 レイジはポケットに手を突っ込んだまま、肩をすくめて歩き出した。


「あー、寒い寒い。早く行こうぜ。あ、叔母さんにはちょっと遅くなるって連絡いれとけよ」

「え……あ……うん」


 思わずうなずいてしまったら、振り向いたレイジがあたしにまた笑いかけた。

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