7-2
翌日、あたしは糸ちゃんにもらったガラスのペンダントを、初めて胸につけてみた。
アクセサリーを身につけたのなんて、いつ以来だろう。
あたしがおしゃれをするなんて、許されないことだと思っていた。
このペンダントも、一生つけることはないと思っていた。
だけど今日、あたしは糸ちゃんにもらった青くて透明なペンダントを胸にさげた。
そうしたいと思ったから。
鏡の中に映るあたしは、なんだかあたしじゃないみたいで、すごく落ち着かない。
出かける前、糸ちゃんには正直に「ヒビキに会ってくる」と伝えた。
糸ちゃんはあの夜のことを思い出したのか、少し心配そうな顔をした。
でもあたしの胸についているガラスのペンダントを見ると、「暗くなるまでに帰ってくるんだよ」と優しく背中を押してくれた。
土曜日の正午、空は灰色の雲に覆われていたけど、駅前広場はあいかわらず人で賑わっていた。
そんな中、あたしはすぐにヒビキの赤い髪を見つけた。ヒビキもあたしに気がつくと、その場に立ち上がった。
そして駆け寄ったあたしに向かって、いきなり頭を下げた。
「この前はごめんっ!」
「え……」
突然言われてあたしは固まる。
「あのあとレイジに怒られたんだ。女の子を怖い目に遭わせて何やってんだって」
「あ、あたしは大丈夫だよ。何もされてないし……」
ゆっくりと顔を上げたヒビキと目が合った。ヒビキは何だか疲れたような顔をしていた。
「俺さ……」
ひと言つぶやくと、ヒビキはまた花壇に腰をおろした。あたしはそんなヒビキの隣に座って耳を傾ける。
「あんなやつらと付き合ってたんだよね」
あたしはこの前ここで声をかけてきた、男の人たちの姿を思い浮かべる。
ヒビキはあたしの隣で小さく息を吐き、言葉をつなげる。
「あいつらが言ったことも本当だよ。俺の家族……全員殺されたんだ」
息が止まるかと思った。
胸の鼓動が速くなり、あたしは行き場のなくした手を彷徨わせ、胸のペンダントをぎゅっとつかむ。
「知らない? 五年前にあった殺人事件。眠っていた夫婦と娘が、家に侵入してきた男に刺されて殺された。それが俺の両親と妹」
五年前……あたしは何も言えないまま、動き続けるヒビキの口元を見つめる。
「たまたま修学旅行で家にいなかった俺だけが助かった。犯人は全く知らない男で、殺した理由は人生が上手くいかずむしゃくしゃしたから。なんだそれって思わねぇ? そんな理由で俺の家族が殺されたとか、意味わかんないんだけど」
あたしはヒビキから視線をそむけてうつむいた。
心臓がひりひり痛くて、もうこれ以上、何も聞きたくなかった。
「そのあと親戚の家に預けられた俺に、みんなが言うんだ。亡くなった三人の分までしっかり生きてねって。でも俺は心の中で犯人を殺してやりたいって思ってて……家族のために清く正しく生きればいいのか、それとも復讐したい気持ちを抱えて生きればいいのか、だんだんわからなくなってきて……気づいたら生きたまま死んでたんだ、俺」
生きたまま死んでた……その言葉が頭の中をぐるぐる回る。
「俺を預かってくれた叔母さんたちはいい人だったけど、だからこそ迷惑かけたくなくて家を出た。だけど十六のガキがひとりで生きていけるわけないんだよな。金がなくて腹も減って、そんな時あいつらに金になる仕事あるぞって声かけられて。ついて行ったら、男の相手をする仕事だった」
ヒビキがあたしの隣で、乾いた声で笑う。
「男なんかに興味なかったけど、あの時はただ金が欲しくて。事件のことを話して同情を引けば、余計に金がもらえたし。そのままずるずるそんなことを繰り返して、自分の心も身体もめちゃくちゃに傷つけてた」
あたしは無意識に自分の腕に触れていた。
自分で自分を傷つけた痕が、あたしにもまだ残っている。
「そんな時、レイジに声をかけられたんだ。こいつも俺の身体が目当てなのかなって思ってついて行ったけど、そうじゃなかった。レイジは見ず知らずのこんなガキに、安心して眠れる場所とあったかい飯と、ちゃんとした仕事を紹介してくれた」
ゆっくりと顔を上げて、ヒビキの横顔を見た。
ヒビキは前を見たまま、懐かしそうに頬をゆるめる。
「レイジの部屋にはギターがあってさ。でも最初は俺、ギターなんか見たくもなかったし、聴きたくもなかった」
「……どうして?」
「父親のこと、思い出してしまうから」
あたしは触れていた自分の腕を、強く握る。
「うちの父親、昔ギターやってて、俺も小さい頃から教えてもらってたんだ。だけどそういう思い出とか全部、忘れてしまいたかった。なのにレイジは俺の前で、気持ちよさそうにギター弾いたりするだろ? なんとなくムカついて俺もでたらめに弾いてやったら『お前、上手いな』って。それで調子に乗って、俺もレイジの真似して曲を作ってみた」
「あっ、それって……」
ついあたしは口を開いた。
「この前レイジがライブで歌った曲」
そしてあたしが、初めてここで聴いた曲。
ヒビキがあたしを見て、静かにうなずく。
「そう、あの曲。レイジが俺の曲に歌詞をつけた」
そうだったんだ。胸がすごくドキドキする。
あたしが聴いて泣いた曲は、ヒビキとレイジが作った曲だった。
それをレイジがライブで歌って、糸ちゃんは涙を流した。
「すごい……」
あたしはヒビキの前で言う。
「すごいよ……ヒビキも、レイジも……」
「俺は全然すごくなんかない」
あたしの言葉をさえぎるようにヒビキが言った。
「自分の命を粗末にしていた俺を、レイジが救ってくれたのに……俺はレイジに何にもしてあげられない」
「あ……」
あと三か月――その言葉が頭を殴ってくる。
「俺はレイジが死ぬのを、ただ待ってるだけなんだ」
「そんなことない!」
あたしはヒビキのコートの袖をつかんで、こっちを向かせた。
「まだできることきっとあるよ。レイジに病院に行ってもらおう? 入院するとか手術するとか、何か治療法あるでしょ? あたしにできることなら何でもするよ?」
「もう何度も言ったよ。病院行けって」
ヒビキがつぶやいた。
「でもあの人、どうせ死ぬなら好きなことやって死にたいって……俺の言うことなんか聞いてくれないんだ」
「そんな……」
あたしはヒビキの袖を強くつかんだ。
「じゃあどうすればいいの? あたしレイジが死ぬなんて嫌だ……絶対嫌だよ!」
「俺だって嫌だよ!」
ヒビキが怒鳴った。
あたしはハッとして、ヒビキに触れていた手を離す。
「俺だって……嫌だ」
ヒビキがあたしから目をそらしうつむいた。
「そうだよね……あたしなんかが口出しすることじゃないよね……」
あたしはさっきヒビキが言った言葉を思い出す。
『俺は心の中で犯人を殺してやりたいって思ってて』
ヒビキはあたしのお兄ちゃんが、人を殺したことがあるって知ったらどう思うだろう。
きっとあたしのことも、殺してやりたいって思うに決まっている。
あたしはもう……ヒビキのそばにはいられない。




