7-1
「ふぅ……」
糸ちゃんが仕事部屋でため息をついている。
あのライブの日から一週間、糸ちゃんはなんだかずっとぼうっとしている。
「糸ちゃん? ご飯できたよ」
「あ、ごめんごめん。いま行く」
そう言って糸ちゃんはいつもみたいに笑うけど、頭の中では他のことを考えているみたい。
もしかしてレイジのことかな、なんて思う。
糸ちゃんはこの一週間ずっと、レイジの昔のアルバムを聴いている。
よっぽどレイジの歌を気に入ったのだろうか。
『このまま何もしなかったら……あと三か月生きられるかどうかって……』
その言葉を思い出し、ご飯をよそう手を止めた。
あたしとヒビキがファミレスを出たあと、糸ちゃんとレイジはまだ話していた。
でもレイジが自分から病気の話をするはずがないから、きっと糸ちゃんは知らない。
どうしよう。糸ちゃんに話したほうがいいのだろうか。
「あ、今日はハンバーグ? すごいね、つぐみちゃん。なんでも作れるんだね」
糸ちゃんがあたしの後ろから、出来上がった料理をのぞきこんで言った。
「おいしいかわかんないけど……」
「おいしいに決まってるよ。今までつぐみちゃんが作ってくれた料理、全部おいしかったもの。つぐみちゃん、わたしと結婚してくれないかしら。なーんてね」
糸ちゃんは冗談を言いながら、お皿をテーブルに運び始める。
あたしはふと、糸ちゃんに聞いてみたくなった。
「糸ちゃんは……彼氏いないの?」
驚いた顔で振り返り、糸ちゃんはすぐに苦笑いする。
「やだ、どうしたの? 急に」
「だって糸ちゃん美人でカッコいいから……彼氏いてもおかしくないのにって」
「いないよ」
あたしの声をさえぎるように糸ちゃんが言った。
「わたしそういうの、もういらないの」
「もう、って……」
糸ちゃんがふっと笑って、「さ、食べよう」と椅子に座る。
あたしも糸ちゃんの前に座りながら考えた。
あたしがもっと小さい頃、糸ちゃんの彼氏を見たことがある。
学生の頃から付き合っていたらしくて、「あのふたり、もうすぐ結婚するのよ」とお母さんが嬉しそうに教えてくれたのを覚えている。
でもそのあとお兄ちゃんの事件があって、糸ちゃんとは会うことがなくなってしまった。
あの彼氏とは別れてしまったのかな。結婚する約束までしていたみたいなのに。
その時あたしの頭に嫌な想像が浮かんだ。
それはあたしの中でどんどん膨らんでいって、絶対そうとしか思えなくなった。
【あなたたちは人殺しの家族なのに、どうして普通に生活しているのですか?】
事件のあと、お母さんの実家であるおばあちゃんの家にも、そんなふうに書かれた手紙が届いたり、壁に張り紙がされたり、噂が広まったりして、あたしもお母さんも近寄れなくなった。
そしてそこに住んでいたおばあちゃんや糸ちゃんも、ひどい嫌がらせに耐えながら生活していたという。
「糸ちゃん……」
「うん? なあに?」
あたしは持っていた箸をテーブルに置いてつぶやいた。
「もしかしてお兄ちゃんのせいで……糸ちゃんは彼氏と別れちゃったの?」
糸ちゃんが黙ってあたしを見た。あたしは顔を上げられない。
お兄ちゃんの罪の影響は、あたしが思っているよりずっとずっと深い。
「つぐみちゃんが心配することじゃないよ」
糸ちゃんがそう言った。
「それはあたしたちの問題。つぐみちゃんが気にすることじゃない」
「でも……そうだったんでしょ? お兄ちゃんのせいで糸ちゃん……」
「違うよ」
糸ちゃんはそれだけ言って、あたしが作ったハンバーグを食べ始めた。
そうなんだ。やっぱりそうなんだ。
お兄ちゃんのせいで彼氏と別れた糸ちゃんは、また同じことが起きるのを恐れて、もう彼氏なんかいらないと思っている。
「そんなの……嫌だよ……」
うつむいたまま、振り絞るように声を出した。
「だって、糸ちゃん言ったでしょ? あたしに……あたしの人生はあたしのものだって……」
糸ちゃんが箸を持った手を止めて、あたしを見る。
「だったら糸ちゃんの人生は糸ちゃんのものだから……お兄ちゃんやあたしに振り回されないで……糸ちゃんには幸せになって欲しい……」
「つぐみちゃん……」
糸ちゃんが静かに箸を置いて微笑んだ。
「ありがとう」
あたしは唇を噛みしめ顔を上げる。糸ちゃんはあたしに笑いかけたまま言う。
「でもわたしは本当に大丈夫だから。好きな仕事させてもらってるし。今は本当に彼氏なんていらないの」
「……レイジのことも?」
なんでそんなことを言ったのか自分でもよくわからない。
「レイジのことも好きじゃない?」
糸ちゃんはあたしの前でふっと笑う。
「どうしてそう思うの? あの人にはまだ一回しか会ってないのに」
「でも泣いてた。糸ちゃん、レイジの歌聴いて……泣いてた」
糸ちゃんが口を結んだ。何かを考えるようにして、あたしの顔を見つめている。
「そうだね……何で涙なんか出たんだろう……」
あたしは糸ちゃんの声を聞く。
「きっと心を動かされたんだね。歌で人の心を動かせるって、すごいことだよね」
だったらヒビキも……ヒビキの歌声も、あたしの心を動かしたんだ。
その日の夜、ヒビキからあたしにメッセージが届いた。
【明日の土曜日、会えない?】
その文字を見ただけで胸がぎゅうっと苦しくなる。
【あたしも会いたい】
自然と指が動いて、気づけばその言葉を送信していた。
するとすぐにヒビキからの返事がきた。
【明日十二時に、いつものところで待ってる】
あたしはその文字を抱きしめる。
そして明日を待ちわびながら目を閉じた。




