第十話 調律の聖域、侵食される静寂
帝国の超巨大浮遊要塞『終焉の揺り籠』の深部。
アルス坊ちゃまを先頭に、私たちはついに世界の「バグ」の心臓部へと足を踏み入れました。
私、リィナは、閣下の背中から一歩も遅れぬよう、そしてその生命の灯火が揺らがぬよう、全神経を研ぎ澄ませていました。
要塞の内部は、生物の血管と冷たい機械が融合したような、吐き気を催すほどに歪んだ光景でした。壁からは黒い粘液が滴り、大気には「存在を削り取る」微細な消去の粒子が充満しています。
(……なんて、おぞましい。マナの旋律が、ここでは悲鳴を上げているわ)
私は自身のスキル『万象の調律』を限界まで展開しました。閣下を中心に、ロイ、エドワード様、ミーナ、サバス。彼ら一人ひとりの魂を私の魔力で包み込み、外部からの消去波動を中和し続けます。
「リィナ、無理をしないで。……君の魔力消費が激しすぎる」
閣下が振り返り、心配そうに私を見ました。その瞳は、かつて物置小屋で私が差し出したスープを飲んでいた頃と同じ、透き通った優しさを宿しています。
「……いいえ、閣下。……貴方がこの『壊れた世界』を直そうとしている間、貴方自身の『存在』を一分一秒たりとも損なわせはいたしません。……それが、私の誇りですから」
私が銀鈴を鳴らすと、閣下のバイタルから「焦り」というノイズが消え、澄み渡った精神の波形が戻りました。
【因縁の再会:血塗られた静寂】
最深部へと続く巨大な「虚無の門」の前。
そこで私たちを待っていたのは、王都から転移させられ、もはや人としての原型を失った『狂騎士』カイル……そして、帝国の魔改造を受けた父、レトヴィス伯爵の姿でした。
「……リィナ殿、下がっていて。……ここからは、僕たちの『家族会議』だ」
エドワード様が銀の剣を抜き、私の前に立ち塞がりました。その背中からは、かつてないほどの悲しみと、それを上回る決意の鼓動が伝わってきます。
(……ああ。……エドワード様、貴方の旋律が……震えているわ)
実の父と兄を、自らの手で解放しなければならない苦痛。
私はそっとエドワード様の背中に手を触れ、彼の心の乱れを調律しました。
「エドワード様。……貴方の剣に、迷いのノイズを混ぜてはいけません。……貴方が『愛』を持って振るう一撃こそが、彼らを救う唯一の『正解』なのですから」
「……感謝します、リィナさん。……行ってきます、アルス。……僕たちの『過去』は、僕がここで断ち切る」
エドワード様が地を蹴りました。
私は閣下の隣で、その戦いを見守りながら、絶え間なく流れてくる「消去」の毒を浄化し続けました。
閣下の手には、ソル・レイスと神代の羊皮紙。
彼が見据えるのは、この門の奥に眠る「世界のシステムエラー」の核心。
私は誓いました。
たとえこの要塞ごと世界が消えようとも、私の調律が届く限り、アルス坊ちゃまという『真実』だけは、絶対に消させはしないと。




