第30話:『対爆・零式』初陣
王都から馬車で半日ほど南に下った場所に、切り立った岩肌が続く『ガルド大峡谷』がある。
乾いた風が吹き抜けるこの荒涼とした谷底に、僕たち三人はAランク冒険者としての初めての討伐依頼に訪れていた。
「――標的は『甲鉄重殻獣』の群れ。体長は五メートルほどだが、純度100%の魔鉄にも匹敵する分厚い装甲を持った厄介な魔獣だ」
峡谷の入り口で、僕はギルドから渡された手配書を確認しながら二人に告げた。
この魔獣は極めて凶暴で、物理的な剣や槍の攻撃は一切通じない。討伐には高位魔術師による大規模な炎や雷の魔法で、装甲の隙間から「焼き殺す」のがセオリーとされていた。
「でもアッシュ、なんでそんな魔法が有利な敵を、わざわざAランク最初の依頼に選んだの?」
「いいテストになるからさ。シドが作ってくれたこのガントレットの実戦投入には、中途半端な柔らかい敵じゃ物足りない」
僕が右腕に装着した漆黒のガントレットに視線を落とした、その時だった。
「――おや。どこかの田舎のCランクパーティーが迷い込んだのかと思えば。先日Aランクに昇格したという、噂のたちじゃないか」
背後から、ひどく耳障りな、嘲笑を含んだ声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは真っ白なローブに身を包んだ五人組のパーティーだった。ローブの胸元には、王都の魔術師団のエリートであることを示す『銀の杖』の紋章が誇らしげに輝いている。彼らは、王都でもトップクラスの実力を持つと名高い第一魔術小隊だ。
「僕たちはギルドの要請で、この峡谷の魔獣を『魔法で』一掃するために出向いてきた。……君たちのような、剣や盾、そんな野蛮な『鉄の筒』しか持たない物理偏重の連中が、一体ここで何をしているのかな?」
「僕たちも、同じ討伐依頼を受けてきただけですが」
僕が淡々と答えると、リーダー格の金髪の魔術師が鼻で笑った。
「はっ。物理攻撃など、あの魔獣の分厚い装甲の前では小石を投げるのと同じだ。我々のように『本物の高位魔法』を操れないのなら、大人しく後ろで震えていたまえよ。Aランクの本当の戦いというものを教えてやろう」
彼らは実力に裏打ちされた絶対的な自信を漂わせながら、僕たちを邪魔者扱いするように通り過ぎ、峡谷の奥へと足を踏み入れていった。
ルナがムッとして「なんだあいつら!」と文句を言おうとしたが、僕は彼女の肩を左手で制した。
「放っておこう。彼らの実力は本物だ。……ちょうどいい、彼らが普通の群れを片付けている間に、僕たちは安全に準備ができる」
「チャージ……。まさかアッシュ君、またあれをやるんですか……?」
アイリスが、あからさまに顔を引きつらせて一歩後ずさった。
僕は真顔で頷き、彼女に向かって両手を広げた。
「昨日のうちに魔力石から『魔力』のタンクはいっぱいにしておいたけど、物理的な『運動エネルギー』のタンクは空っぽのままだからね。……さあアイリス、まずはエンジンをかけるために、一発頼む」
「うぅぅ……!今日の戦闘で貯蔵庫いっぱいまで貯めてくださいよ!!これ周りの目が痛いんですから……っ!!」
半泣きのアイリスが重盾を構え、僕に向かって短い助走をつける。
僕はあらかじめ満タンにしておいた魔力タンクからリソースを引き出し、『肉体保護展開』を全身に張り巡らせた。
ドゴォォォッ!!
谷底に、鈍い打撃音が響き渡る。
アイリスの放った強烈なシールドバッシュの衝撃(運動エネルギー)は、僕の肉体を覆う強固な魔力膜によって完全に阻害され、そのまま物理的なベクトルとして僕の『貯蔵庫』へとすいすい吸い込まれていった。
「よし、これで初期チャージは完了だ。あとは――」
僕が言いかけた瞬間、峡谷の奥から凄まじい爆発音と閃光が上がった。
急いで駆けつけると、エリート魔術師たちが、見事な連携で十頭近い甲鉄重殻獣の群れを圧倒していた。灼熱の火炎と鋭い氷の槍が絶え間なく放たれ、魔獣の装甲の隙間を的確に焼き焦がしていく。
「ふん、他愛もない。我々の敵ではないな」
リーダーの魔術師が余裕の笑みを浮かべ、最後の魔獣にトドメを刺そうとした――その時だった。
「ギルルルルルルァァァァッッ!!」
峡谷のさらに奥深くから、空気を震わせるような異常な咆哮が轟いた。
地響きと共に現れたのは、先ほどの魔獣たちの倍以上――体長十メートルを超える漆黒の甲殻を持つ個体だった。
『なんだあの巨体は……!? だが、恐れるな! 一斉射撃だ!!』
魔術師たちが一斉に杖を掲げ、先ほど魔獣の群れを容易く焼き払った最大火力の極大魔法を放つ。
だが――炎と氷の嵐が直撃したにもかかわらず、煙が晴れた後、漆黒の装甲には、ただの一つの傷も、焦げ跡すらも付いていなかった。
『ば、馬鹿な!? 我々の魔法が、まったく通用しないだと……!?』
絶望して硬直するエリートたちを他所に、僕の隣に立っていたルナがハッと息を呑んだ。
彼女の若草色の瞳の奥で、万華鏡のような幾何学模様が激しく輝いている。
「アッシュ、気をつけて! あの黒い魔獣、普通の奴らと全然違う!」
「ルナ、何か見えるのか?」
「うん……! あの漆黒の装甲の表面に、魔力を無理やり弾き飛ばすような、不気味な膜が張られてるの! 魔法を当てても、威力が表面で霧散しちゃう異常な性質を持ってるんだよ!」
「なるほど……魔法を無効化する個体--亜種みたいなものか。ルナ、よく見破ってくれた」
僕は彼女の言葉に頷き、素早く思考を切り替えた。
ルナの神眼が「魔法が効かない」と断言したのなら、エリートたちがどれだけ魔法を撃ち込んでも無駄だ。あいつを倒すには、装甲の魔力拡散を物ともしない、ただ純粋で圧倒的な【物理の質量】をぶち込むしかない。
ちょっと癪に障るパーティーがいたのは予想外だが、結果としてガントレットの有効性を確かめるいい機会にはなりそうだ。
魔法を撃ち込まれて激怒した亜種は、腰を抜かしたエリート魔術師たちに向かって、巨大な前足を振り上げた。
『ひぃぃっ!? た、助け――!!』
「アイリス!!」
「はいっ!!」
僕の合図と同時、アイリスが地を蹴った。
彼女は腰を深く沈め、巨大な重盾を地面に突き立てるようにして斜めに構え、魔術師たちの前に割り込んだ。
直後、魔獣の凄まじい質量の突進が、アイリスの大盾に正面から激突する。
ズドォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃波が周囲の岩を吹き飛ばし、エリート魔術師たちが悲鳴を上げて地面に転がった。
「くぅぅぅっ……!! お、重い……ッ!!」
アイリスの足が地面を削りながら後退する。いくら彼女の防御力が規格外とはいえ、あの巨体の全力の突進を完全に殺し切ることは難しい。
だが、それでいい。彼女には「防ぎ切る」必要はないのだ。
「よく受け止めた、アイリス!」
僕は彼女の背後に回り込み、右手の漆黒のガントレットを、アイリスが構える重盾の裏側にピタリと当てた。
魔獣の突進が生み出した、アイリスの盾を粉砕しようとするエネルギーを、僕の固有能力『貯蔵』のタンクへと、蛇口を全開にして一気に吸い上げた。
シュゴォォォォッ!!
不可視のエネルギーが僕の体へと吸い込まれ、アイリスにかかっていた重圧が嘘のようにフッと消え去る。
魔獣の突進の威力は完全にゼロになり、勢いを失った魔獣がバランスを崩してよろめいた。
「な、なんだと……!? あの巨大な魔獣の突進を、完全に止めた……!?」
尻餅をついた魔術師たちが、信じられないものを見る目で僕たちを見上げている。
僕はアイリスの盾から手を離し、右腕を軽く振った。
「ありがとう、アイリス。これでしばらくは痛い目で見られることはなそそうだよ」
「よかったです! さあアッシュ君、反撃の、時間です……!」
アイリスが盾をどかし、射線をクリアにする。
僕はよろめく魔獣の正面に立ち、左手で腰のポーチから手のひらサイズの円柱型に加工した魔鉄を取り出した。
そして、その魔鉄を、分厚く無骨な漆黒のガントレット――『対爆・零式』を装着した右手に力強く握り込む。
ルナが見破った魔法無効の装甲。それを正面からブチ抜くには、すべてのエネルギーを局所に集束させる必要がある。
僕は、アイリスのバッシュと魔獣の突進から奪い取った運動エネルギーを、握りこんだ魔鉄に極限まで圧縮・集束させ、直接付与していく。
強烈な負荷によって、手の中の魔鉄がミシミシと限界の悲鳴を上げ始めた。
もしこのまま撃てば、発生する絶大な反動によって、僕の魔力コーティングは破られ、右腕は内側から木端微塵に吹き飛ぶだろう。
だが、今の僕には、その致死量の反動を殺し切るためだけにシドが徹夜で作り上げた、狂気の防具がある。
「強制出力……!!」
僕は右腕を正面に突き出し、魔獣の眉間めがけて、魔鉄に付与した極限の運動エネルギーを解放した。
ドゴォォォォォォォォォッッ!!!
大峡谷に、天が裂けるような轟音が叩きつけられた。
僕の手から放たれた魔鉄は、一筋の閃光となり、魔獣の『絶対に魔法を通さない』漆黒の装甲のど真ん中に激突した。
衝撃波が峡谷を駆け抜け、暴風が吹き荒れる。エリートたちが威力とプライドをかけて放った高位魔法をすべて弾き返したその装甲は、僕の放った純粋な質量の前に、まるで薄いガラス細工のように粉微塵に吹き飛び、魔獣の巨体ごと峡谷の奥深くへと吹き飛ばされていった。
跡形もなく消滅した魔獣。
そして――僕の右腕は、完全に無傷だった。
『プシュウゥゥゥゥッッ!!』
『強制出力』を放った瞬間、僕の腕を破壊しようとした致死量の反動エネルギー。それが骨や筋肉に到達するより一瞬早く、ガントレットの内部に仕込まれた『非流体魔法陣』が超硬化し、衝撃を完璧に分散・吸収したのだ。
手首の関節部分に設けられた斜め四十五度の排気スリットから、吸収しきれなかった余剰エネルギーと摩擦熱が、真っ白な蒸気となって勢いよく噴き出す。
「……やっぱりすごいな。完璧に反動が殺し切れてる」
僕は真っ白な蒸気を上げる漆黒のガントレットを装着した右手の指を、ゆっくりと開いては閉じた。
シドの狂気じみた技術力と、僕の戦術ロジック。これなら、躊躇なく100%の火力を放ち続けることができる。
「す、凄い……! アッシュ、今の一撃、前よりずっと威力上がってるよ!」
「ええ! アッシュ君の腕も無事ですし、完璧な作戦でしたね!」
ルナとアイリスが、埃を払いながら満面の笑みで僕の元へ駆け寄ってきた。
僕たちはハイタッチを交わし、Aランクとしての最初の依頼の成功を無邪気に喜び合う。
「あ、ありえない……。我々の高位魔法が一切通じないあの装甲を、たった一撃で、粉砕した……? しかも、魔法の気配すらなく……ただの純粋な、力だけで……」
背後で、エリート魔術師のリーダーが、真っ白になった顔でへたり込んでいた。
彼らの誇る「絶対の魔法」が通じなかった敵を、僕たちが「野蛮な鉄の筒」と嘲笑った物理の力で圧倒し、あまつさえ自分たちの命を救ったという現実を前に、完全に言葉を失っている。
「……さて、依頼は完了だね。ギルドに報告して、今日の夕飯の買い出しに行こうか。ルナ、アイリス、今日は何が食べたい?」
「んー! 私はお肉がいい! 分厚いステーキ!」
「私は昨日買ったお野菜で、温かいシチューを作りたいです。シドさんも呼んで、みんなで新居で食べましょうよ!」
「いいね、そうしよう。彼にも、このガントレットが完璧に機能したって報告しないとね。きっと喜ぶよ」
僕たちは、呆然と座り込むエリート魔術師たちを一瞥することもなく、峡谷の出口へと歩き出した。
魔法の威力を盲信し、自分たちの常識こそが最強だと信じて疑わない王都のエリートたち。
そんな彼らのちっぽけなプライドなど、僕たち『異端児』の純粋な物理と計算の前には、何の意味も持たない。
秋晴れの突き抜けるような青空の下。
僕たちは、泥水をすすっていた時代には決して手に入らなかった『温かい居場所』へと帰るため、並んで歩幅を合わせた。




