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第28話:異端の機巧技師シド

 王都の華やかな大通りから外れ、太陽の光すら遮られるほど建物が密集したスラム街の入り口。

 ほんの数日前まで、僕たちが泥に塗れながら這いつくばっていた日陰の区画に、僕は再び足を踏み入れていた。

 石畳は泥とヘドロに汚れ、行き交う人々の目には明確な警戒と、明日の見えない陰鬱さが宿っている。魔法の恩恵に預かれない貧困層や、何らかの理由で表通りからドロップアウトした者たちが吹き溜まるこの区画の最奥に、目当ての工房はあった。

 すすけたレンガ造りの、今にも崩れそうな二階建ての建物。

 傾いた木製の看板には、擦れかけたペンキで辛うじて『シド機巧からくり工房』と殴り書きされている。窓ガラスはひび割れ、内側からは厚手の布が引かれていて中の様子は全く窺えない。

 僕は小さく息を吐き、ノブに手をかけた。鍵のかかっていない重い木の扉を開けると、ギギギというひどく軋んだ音が路地に響いた。

 一歩足を踏み入れた瞬間、ツンとした機械油と鉄の匂い、そして微かな焦げ臭さが強烈に鼻を突いた。

 薄暗い室内は、控えめに言っても「ゴミ溜め」だった。

 用途の分からない大小様々な歯車、ひしゃげた金属の筒、魔力を失って黒ずんだ魔力石、そして床一面に散乱した丸まった羊皮紙。足の踏み場を探すのすら一苦労で、奥の壁際には何かの巨大な機械の残骸が山積みになっている。


「……あー、悪いね。よく切れる剣を打って欲しいなら、表通りの脳筋どもの店に行きな。うちは今、退屈な仕事は受け付けてないんだ」


 不意に、部屋の奥――ガラクタの山に埋もれるようにして置かれた長机の下から、ひどく気怠げな声が這い出してきた。

 ゴソゴソと音を立てて這い出してきたのは、ボサボサに跳ねた癖毛と、目の下に真っ黒なクマを作ったひどく不健康そうな青年だった。仕立ての良さそうなシャツを着崩し、その上から油汚れと焦げ跡だらけの分厚い作業用エプロンを纏っている。額には、いくつものレンズが重なった奇妙なゴーグルが乗せられていた。

 彼が、シルヴィアさんが言っていた男。

 良くも悪くも威力と硬さばかりを求める王都の職人たちを「想像力のない脳筋」と嫌い、スラム街に引きこもっている鍛治師・シドだ。


「武器を作って欲しいんじゃない。僕の腕を守るための『頑丈な鉄のショックアブソーバー』を作って欲しくて来たんだ」


 僕はガラクタを慎重に避けながら机に近づき、左手に持っていたノートを開いた。

 今朝、激痛の走る右腕を庇いながら不器用に殴り書きした『いびつな筒のスケッチ』と、それに付随する無茶苦茶な要求スペックのページを彼に差し出す。

 シドは怪訝そうに眉をひそめ、重い足取りで僕の前に歩み寄ってきた。


「僕の固有能力である『貯蔵』から引き出した魔力で、まずは自身の肉体をコーティングして極限まで保護する。そこに貯蔵庫にある『運動エネルギー』を身体に付与して純粋な推進力として用いるか、もしくは魔鉄に付与して撃ち出す。火力を出すプロセスは僕の能力で完結してるから、武器の側に攻撃力はいらない。ただ、その時に発生する致死量の『反動リコイル』を、右腕の代わりに殺し切ってくれる防具が欲しいんだ」


 僕が早口で説明を終えると、シドは無言でノートを受け取った。

 王都の鍛冶屋たちは皆、このページを見た瞬間に「そんな小手先の防具なんて作れるか」「武器ってのは威力だ。そんな自爆防止用の筒を作るなんて、職人のプライドが許さねえ」と激怒して僕を追い出した。

 シドも同じように「退屈な仕事だ」と鼻で笑うだろうか。そう身構えた瞬間だった。


「……君」


 シドが、ノートから顔を上げた。

 死んだ魚のようだった彼の瞳孔が、極限まで見開かれている。目の下の真っ黒なクマの奥で、狂気じみた知性の光がギラギラと燃え上がっていた。


「君、最高に頭おかしいね……!!」


 シドは歓喜の声を上げ、僕の肩をガシッと掴んで激しく揺さぶった。油まみれの手で服が汚れることなど、今の彼には全く気にならないらしかった。


「武器には一切の攻撃力を求めず、ただ自身の能力の『致死量の反動』を殺すためだけの筒!? 魔力を現象にするんじゃなく、肉体の保護と純粋な運動エネルギーに全振りしてる!? あははっ、傑作だ! 王都の脳筋鍛冶師どもが聞いたら、理解が追いつかなくて泡を吹いて怒るだろうな!!」

「……作れるかい?」

「愚問だね! ただ硬いだけの剣や盾なんて死ぬほど退屈だ! この小型の攻城砲クラスの反動を、限られた手甲のスペースでいかにして殺し切るか……これぞ計算と機構ギミックの極致、至高のロマンだろ!!」


 シドは弾かれたように机へ向かい、上に積まれていたガラクタを両手で豪快に床へ払い落とした。ガシャガシャとけたたましい金属音が鳴り響く中、彼は真新しい巨大な羊皮紙を広げ、羽ペンを凄まじい速度で走らせ始める。


「待てよ……。どうせこれだけの反動を殺す装甲を作るなら、いっそ『全身鎧フルアーマー』にしたらどうだい!? 全身で反動を殺しながら、君のその運動エネルギーで超加速して敵に体当たりすれば、まさに無敵の人間大砲じゃないか!!」


 目を血走らせながら暴走し始めたシドの提案を、僕は即座に否定した。


「いや、それは無理だ」

「なんだって? なぜだい! 理にかなっているだろう!?」

「この能力を最大限使うには、膨大な運動エネルギーを『右腕の一点』に極限まで圧縮・収束させる必要があるんだ。全身に分散させても使えるけど、恐らくAランク以上の魔獣やそれ以上の相手には一点に収束させないと通用しない。何より僕自身のコントロールのキャパシティを超えて自爆する」


 僕が自身の『貯蔵』の制約を冷静に告げると、シドは「なるほど」と目を輝かせた。


「それに、僕の戦術の基本はあくまで機動力だ。相手の死角に回り込み、ベクトルを計算して最適解を叩き込む。全身を分厚い装甲で覆ったら、ただの動けない的になるだけだ」


 僕の答えを聞いて、シドはさらに興奮したように机をバンバンと叩いた。


「あははっ! いいね、最高に理にかなってる! 実は反動を殺すための『流体魔法陣』と『特殊合金』はとてつもなく重いんだ! 全身鎧にしたら君の機動力は完全に死んで、ただの鉄の案山子になる。だが、右腕だけに特化させれば、その極端な『重さ』自体が、発射時の反動を抑え込むためのアンカー(錨)として機能する!! ……くぅ〜っ、この明確な制約ロジック、美しすぎるぞ!!」

「流体魔法陣……? アンカー……?」

「そうだ! 装甲内部に流体魔法陣を組み込んで、衝撃を受けた瞬間だけ超硬化させる! さらに手首の関節部分には、余剰エネルギーの蒸気を外へ逃がす斜め四十五度の排気シリンダーを――」


 シドは僕のノートの殴り書きをベースに、何やら専門用語をまくし立てながら、恐ろしく複雑な機械工学と魔法陣の図面を描き起こしていく。

 正直、僕には何がなんだかさっぱり分からなかった。戦術や魔法のベクトル計算なら誰にも負けない自信があるが、金属の材質や機械のギミックに関しては完全に素人だ。


「……えっと、ごめん。ギミックの細かいことはよく分からないんだけど……要するに、僕の腕が吹き飛ばないように反動を逃がしてくれるんだよね?」


 僕が少し引き気味に尋ねると、シドは羽ペンを止めることなくニヤリと笑った。


「当然だ! 君はただ、僕の質問に答えてくれればいい! 君の魔力コーティングの波長数値と、右腕の筋肉の膨張率、それに関節の精密な寸法を教えろ! 1ミリの狂いもなく君の腕にフィットさせないと、反動が漏れて骨が折れるからな!」

「わ、わかった」


 そこからの記憶は、シドの凄まじい熱量と執念に、ただひたすら圧倒されるだけの時間だった。

 気がつけば僕たちは薄暗い床に座り込み、シドはブツブツと呪文のように数式を呟きながら、赤熱した金属のパーツをハンマーで叩き、微小なノミで魔法陣を刻み込んでいた。

 僕はただ、彼に言われるがままに腕のサイズを何度も測らせたり、「そこの工具を取ってくれ」という指示に従って工具を手渡したりすることしかできなかった。

 途中、何度か彼の手元でシリンダーの試作品が爆発し、シドの顔が真っ黒になったが、彼の狂気じみた笑顔が消えることは一度もなかった。魔法を信奉する王都では決して見ることのできない、純粋な技術への探求心。

 僕の戦術と、彼の技術。

 全く別の道を歩んできたはずの二つの異端のロジックが、一つの兵器を形作るために完璧に噛み合っていくのを感じていた。

 ――そして。

 スラムの冷たい空気が徐々に白み始め、工房のひび割れた窓から眩しい朝日が差し込み始めた頃。


「……できたぞ」


 顔中を油と煤で真っ黒にしたシドが、作業台の上でふらりと立ち上がった。

 徹夜の疲労と機械油の匂いで頭がガンガンしていた僕だったが、作業台の上にある「それ」を見た瞬間、全身の血液が沸騰するような強烈な興奮を覚え、一気に目が覚めた。

 それは、分厚く無骨な、漆黒の金属鎧ガントレットだった。

 装飾など一切ない。王都の騎士たちが好むような美しい金銀の細工も、派手な宝石も組み込まれていない。ただ反動を殺し、僕の右腕を保護することだけに特化した、暴力的なまでの重厚感。

 手首の周囲には、熱と衝撃を逃がすための排気シリンダーが精巧に組み込まれ、鈍い光を放っている。


「アッシュ専用、機巧衝撃吸収手甲ショックアブソーバー……『対爆・零式』だ。どうだ、脳筋のバカどもには絶対に作れない、最高の鉄の筒だろ?」


 シドは徹夜の疲労でフラフラになりながらも、誇らしげに鼻を鳴らした。

 僕は震える左手を伸ばし、その漆黒の装甲の表面をそっと撫でた。氷のように冷たい金属の感触。僕は専門的な機械のことは分からないが、この装甲が僕の火力を100%支えてくれることだけは、直感で、そして確信として理解できた。

 僕がずっと求めていた、僕だけを守るための絶対的な盾。


「……ああ。シド、君は天才だ。僕が欲しかった、最高の相棒だよ」

「へっ。君のイカれた能力と、その極端な要求コンセプトのおかげさ。さあ、早くそいつを右腕にハメて……」


 シドが満足げに言いかけた、その時だった。

『バンッ!!』


 突然、工房の重い木の扉が、けたたましい音を立てて勢いよく蹴り開けられた。

 ビクッと肩を揺らして振り返った僕とシドの視線の先。逆光の中に立っていたのは、両手に巨大なバスケットを抱えたルナと、呆れたように眉を吊り上げたアイリスだった。

「……もうっ! アッシュのバカ! 昨日の夜からずっと帰ってこないから、心配して探しまわったんだからね!!」

「アッシュ君……! 腕の怪我も治りきっていないのに、こんな油くさい場所で徹夜なんて……不潔です! めっ、ですよ!」


 プクッと頬を膨らませるルナと、お母さんのようにお説教モードに入っているアイリス。

 スラムのむさ苦しい工房には全く似つかわしくない、美しすぎる二人のヒロインの乱入に、徹夜明けのシドはポカンと口を開けて完全に固まってしまった。


「あ、あはは……ごめん、ルナ、アイリス。シドの情熱に圧倒されちゃって、つい夢中になってた……」

「お、おいアッシュ。なんだこのとびきり可愛い子たちは……。君のパーティー、顔面偏差値の物理法則が狂ってないか……!?」


 僕が苦笑いをして頭を掻く横で、シドがゴーグルをずり落としながら震える声で呟いた。

 王都の底辺で出会った、理系オタクの技術者と、物理特化の戦術家の最高に熱い夜明け。そして、呆れ顔の彼女たちが運んできた温かい朝食の匂いに、僕は久しぶりに腹の底から笑い声を上げたのだった。

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