浮かぶ月影
バルが寝室に入ると、ラーラは夜風を受けながら窓際に立ち、月影を浮かべた夜の海を眺めていた。
「ラーラ」
早歩きで近寄るバルにラーラは顔だけ振り向く。バルは薄手の上掛けを掴んで広げながらラーラに近付き、ラーラの体をその上掛けで包んだ。
「寝ていなくて大丈夫かい?」
ラーラは表情に少し苦笑を滲ませる。
「貧血ならもう大丈夫よ。今日も大事を取っただけだから」
「そうかい?」
「ありがとう。心配してくれて」
ラーラは頭をバルの胸に預けた。
「心配するくらいしか出来ないから」
「ううん。こうやって傍にいてくれるだけで、凄く安心できるから」
「その様な事を言われたら、離れられないよ」
「それなら離れられない様に、もっと言わなくちゃね」
そう言うとラーラはバルの胸に頬を付ける。
「ねえ?バル?」
「なんだい?」
「王太子殿下と何かあったの?」
バルは小さく息を吸った。
「・・・ああ」
バルはラーラの膝裏に片腕を当てて、上掛けに包んだままラーラを抱き上げる。そしてそのままソファに腰を下ろし、ラーラを自分の腿の上に横抱きに座らせた。
「王太子殿下からは、ミリにサニン殿下の家庭教師を頼みたいとの話があったんだ」
ラーラは顔を少し離し、窓からの月明かりにバルの顔を見る。
「・・・サニン殿下には教師が付いているわよね?」
「そうだろうね。学院内でもミリが教えられる様にじゃないかな?」
「学院で勉強会が流行っていると言っていたけれど、それの事?」
「多分ね。王太子殿下もチリン様も常に学年で一位だっただろう?お二人とサニン殿下は単純に順位で比較されるだろうから、学院に入る前から勢いを付けておきたい様だよ」
「でも、教わるのがミリで良いの?ミリはサニン殿下の同級生になるのよ?」
「一位はミリだろうからと、王太子殿下も言っていたからね。王宮でのミリの説明が上手かった事とかも評価して下さって、サニン殿下の学力向上の為にミリを指名したいらしいよ」
「それでお受けしたの?それともミリに言わなかったし、お断りしたの?」
「いいや。ラーラと相談してくれと言われたから。それに私達が了承したら、王太子殿下が直接ミリに依頼するそうだよ」
「それ、断れるの?ミリもだけれど私達も」
「大丈夫だよ。俺達もミリもね」
「そう。それでバルは?お受けするの?」
「ラーラはどう?」
「ミリの意志を訊いて頂けるのなら、ミリの判断に任せて良いと思うわ」
「そうだね。じゃあ引き受けても良いんだね?」
「ミリにとっては名誉ですものね?」
「そうだよね」
「ただ、今日ミリが言っていた、公爵家に搦まれるかも知れない件はどうなの?サニン殿下と過ごす時間が出来る訳だし、余計に搦まれそうだけれど?」
「そうだね。王太子殿下に対策を頼んでみようとは思うけれど」
「え?その様な事をお願い出来るの?公爵家に搦まれるかも知れないなんて、そもそも王太子殿下に話をして良いの?」
「良いだろう?駄目な理由でもあるかい?」
「その、なんか、まだ何も起こっていないのに、公爵家を悪く言っている事にならない?」
「王太子殿下も俺達が結婚した時の公爵三家の行動は知っているから、問題はないよ」
「でも、昔の事を蒸し返している様にならない?あちらもこちらも代替わりをしているし」
「また暴動につながったりするよりはマシだよ。王太子殿下だってそう判断して、対応してくれる筈さ。大丈夫」
「それなら良いけれど」
ラーラはバルの胸元に頬を付けた。バルはラーラの髪に手を置く。
「それでは、王太子殿下の話は受けても良い?」
「そうね。ミリの意志に任せましょう」
「ああ」
バルはラーラの髪を撫でた。
「それともう一つ、これは学院からなのだけれど、ミリに礼儀作法の授業の補佐をして欲しいそうだ」
ラーラはバルの胸から顔を離す。
「え?それも王太子殿下から?」
「いいや。これは学院からで、王太子殿下は伝言を頼まれただけらしい」
「そうなのね。でもミリ、大丈夫かしら?補佐と言っても忙しいのではない?」
「そうだね。条件とかは学院と決める様に言われたから、先ずは話を聞いてからの判断になるだろうね」
「私からは条件はないから、ミリがやるならやらせて良いと思うけれど、バルはどう?」
「俺もそれで良いよ。学院の礼儀作法の教師がピナ様のファンだったらしいから、ナンテ義姉さんに相談しても良いかもね。でもミリがやるなら、やらせても構わない」
「他にも何か話があったの?」
「いいや。王太子殿下からの話はこの二件だったよ。ああ、後、ラーラの懐妊にお祝いの言葉を頂いた」
「分かったわ。それは私からもお礼を言うわね」
「王太子妃殿下にもお祝いを言われたから、一応それも伝えておくよ」
「ええ。分かったわ」
ラーラは肯くとバルを見た。
「王太子殿下の話があったから、ミリに学院に登校する様に言ったのではないわよね?」
「それは前から言っていたじゃないか」
「貴族クラスへの入学と卒業に付いては以前から言っていたけれど、登校も言っていた?」
「いや、言っていたと思うよ?」
「サニン殿下の家庭教師でも礼儀作法の授業補佐でも、どちらかでも承ったらミリは王都を離れられなくなるだろうし、この町やコーカデス領を直接見る事は出来なくなるわね」
「・・・そうだね」
「そうするとバルの言っていた家族で一緒に暮らすのも無理になるけれど」
「一緒に暮らすどころか、滅多に顔も見られなくなるな」
「ええ。それは良いの?」
「良くはないけれど、仕方がないだろう?」
「私の妊娠が知られたら、血の繋がらないミリを追いだしたって言われるのではない?」
「俺は構わないけれど、ミリやラーラが辛いよな」
「私は平気だけれど、ミリも分かっているから大丈夫よ。でもバルは、そう言われる事が分かっていても、ミリを学院に登校させたいのね?」
「ああ。やはりミリにも同世代の友人は必要だよ。チリン様が通う迄は課題だけやって登校しない生徒ばかりだっただろう?」
「暴動の後はそうだったわね」
「それだからスディオには友人らしい友人は出来なかったし」
「そうね。バルくらいよね」
「だが俺はラーラと結婚していてラーラ優先だったし、男友達と言うよりは義理の兄の様なものだしね」
「それにしてもバル?ミリが結婚しても良いの?」
「・・・ミリは俺の娘だけれど、でも、自分の血を引く子が生まれるって、やはり、こう、特別に思えるんだ」
「そうなのね」
「変な意味じゃないよ?ミリへの愛情は変わらないし」
「分かっているわ。平民の中には血の繋がった自分の子を虐待したり捨てたりする親もいるからね。それって血の繋がりが全てではないと言う事だし、バルのミリへの愛情も私が一番良く知っているし」
「そうか。そう言って貰えて嬉しいよ」
「当然よ」
「そのミリへの愛情はこれからも出して行こうと思っている。ほかの誰の目にも明らかに映る様にね?それに拠ってミリが侮られたりしない様にする積もりだよ」
「あの、程々にね?」
「え?なんで?」
「今のバルのミリへの態度を変えないだけでも充分だと思うし」
「そうかな?」
「ええ。そうよ。充分だわ」
「とにかく、その事で何かを言う奴がいたら、ラーラもミリも俺が守るから、それは心配しなくて良いからね?」
「ええ。分かったわ。頼りにしている」
そう言ってラーラは顔をバルに近付ける。
「ああ。頼りにして貰えて嬉しいよ」
バルからもラーラに顔を近付け、鼻先と鼻先を付けると、月影を互いの瞳に認めながら、二人は微笑み合った。




