引けないスーノと受けないレント
スーノ・シロントは学院に入学直後から変わらず、学院内ではなるべくレントの傍にいる様にしている。
それは、セラム・シンコクが同席した店でスーノがレントを怒らせてしまったと感じた翌日からも、まだ続けていた。
「おはようございます、レント様」
「おはよう」
レントは微笑みをスーノに向けて挨拶を返すと、直ぐに机の上の紙に視線を落とす。レント自身はそこから会話を続ける事がない。
それはスーノに限らず、同級生の他の誰に対しても同じではあったのだけれど、以前ならスーノとはもう少し会話が続いていたのだ。
しかしスーノは、ここで引き下がらない。
「あの、レント様?」
「ええ。何でしょうか?」
レントの表情も声も柔らかいけれど、スーノは何故か距離を感じる。しかしスーノはまだ引き下がらない。
「昨日お話していた新しいお店に、昨日の放課後行って参りました」
「そうなのですか」
「はい」
「良かったですね」
確かに行けたのは良かったし、お店も良かった。けれどそうではない。
今のスーノには「良かったですね」は話を切る言葉に思えていた。以前のレントなら「どうでしたか?」と訊いてくれて、自然に話が続けられたのだから。
だがここで引き下がっては、昨日一人でお店に行った甲斐がない。
「はい。とても良かったです。また行きたいと思いました」
「そうですか」
「はい。ですのでよろしければ、レント様も一緒に行きませんか?」
「そうですね」
微笑んでそう返すレントに、スーノはもう喜ばない。
「いつならよろしいですか?」
「そうですね」
小首を傾げて考えている様子のレントに、スーノはもう油断をしない。
「わたくしはいつでも構いません」
「そうですね」
声のトーンが僅かに下がったレントに、スーノは畳み掛ける。
「レント様の都合に合わせます」
「わたくしはしばらくは行けそうにはありませんので、シロント殿は他の方を誘っていらっしゃった方が良いかと思います」
シロント殿と呼ばれる事にスーノは僅かに怯む。最近はレントからはシロント殿と苗字呼びされているのだけれど、スーノはまだ慣れていなかった。しかしこの様な事では引き下がらない。
「いえ、大丈夫です。いつでも構いませんので」
「そうは言っても、シロント殿とは既に他に何軒も一緒に行く約束をしています。そちらもいつ行けるか分からないのに、これ以上約束ばかり増やすのも申し訳ないですから」
「一向に構いません。いつまででも待ちますから」
「そうですか」
「はい」
「分かりました。いつとは約束は出来ませんが、いつかでよろしければ、一緒に行きましょう」
「はい」
結局今回も約束を取り付けただけで、実行出来るかどうかは分からないけれど、それでもスーノはここが引き際だと思って肯いた。
レントが微笑みをスーノに向けたまま肯く。
「わたくしとの約束は約束として、シロント殿はそのお店にも、もちろんこれまでに約束したお店にも、通って下さって構いませんからね?」
そう言うレントに対して、向けている顔が引き攣らない様にスーノは力を入れていた。
「お心遣い、ありがとうございます」
そう返してしまってから、レントに嫌味に受け取られたかも知れないとスーノは少し慌てる。
しかしスーノに向けるレントの微笑みは変わらなかった。
レントがスーノを苗字呼びに戻したのは、元々名前呼びをする積もりがなかったからだ。
平民の服装をしている時にコーカデス閣下と呼ばれ、閣下呼びはいけないと思ってレントはスーノに名前呼びをさせたのだ。そしてシロント殿と呼んだらスーノの身分も隠せないから、スーノの事も名前呼びをした。
スーノとセラムが名前呼びをし合う事になった事とは、理由が違うとレントは思っていた。
あの場でレントが急にスーノを苗字呼びしたのは、確かに機嫌が悪かった所為もある。けれどレントに取っては名前呼びに戻す、良い切っ掛けでもあったのだ。
そして今のレントはただもう無意識に、スーノを苗字呼びしていた。
それにレントには用事がある事は本当なのだ。
レントはソロン王太子に依頼されて、王位継承権を持つ女性が王都から離れられる様に王族法を改定する為の、説得資料の作成を行った。そしてそれはソロン王太子の働き掛けもあって、公爵家の者達に王族法を変える根拠として採用される事になった。
レントが素早く資料を作成し、根回し済みのソロン王太子が直ぐさまその資料を公爵各家に渡した為、改められた王族法の改定案の申請は、次回の貴族議会の議題として間に合った。
その次回の会議で議決させる為にレントは、補足資料などを更に次々と作り続けていて、それをソロン王太子経由で公爵家に渡し続けていたのだった。
そして。
開催された貴族議会で、王族法の改訂が議決された。
それを国王は直ぐさま承認し、直ちに公布されると即日施行された。即日施行なのは対象となるのが現時点では、元王女チリン・コーハナル一人だからで、チリンに取っては施行までに期間を取る事が利益にはならないからであった。
これでようやくチリンは、夫のスディオ・コーハナルと共に、コーハナル侯爵領に赴く事が出来る様になったのであった。




