62話 真理の対価
深夜、部屋に戻ったアンディは一人ではなかった。
目の前には、魔法学院の教師アルマリア。
学院では魔法理論の講義を受けたこともある。
しかし、こうして二人きりで向き合うのは初めてだった。
「先生は一体……」
何者なのか。
教団の集会の様子を目の当たりにし、ミネルヴァが聴衆を熱狂させる演説を舞台袖で聞いた今。
脳の情報処理が追いつかない。
目の前の女が魔法学院で教鞭をとりながらも、この施設に現れた事がどう考えても結びつかなかった。
アルマリアはそんなアンディの戸惑いなど気にする様子もなく、椅子に腰を下ろした。
「お前、学院の生徒じゃ無いか」
「こんな時間に何をしている?」
「何って……俺はただ連れてこられただけで」
思わず声が荒くなる。
「——白々しいにも程がある! 先生こそ、ここで何をしてるんだ。先生の名前と教団の名前、偶然にしては出来すぎなんだよ!」
アルマリアはしばらくアンディの顔を眺めていた。
そして、ほんの少しだけ首を傾げる。
「参ったな」
困ったような言葉とは裏腹に、その声には焦りがまるで無かった。
「ミネルヴァが勝手に私を神格化してるだけなのに……」
「神格化って……」
アンディの眉が跳ね上がる。
冗談を言っているようには見えなかった。
「何をしてるかと問われれば、真理の探究としか言えないな」
「またそれか」
アンディは呆れたように息を吐いた。
ミネルヴァにも同じことを言われた。
真理、真理、真理。
だが、それだけでは何のことなのかさっぱり分からない。
「お前は、興味無いのか?」
アルマリアが眠たげな目を細める。
『真理』に興味があるか。
そう聞かれて、アンディは一瞬考える。
真理。
曖昧すぎるその一言に、アンディの心に引っかかる物は無かった。
「——王国が隠している降霊術の秘密に」
「……何だって?」
その言葉だけは、聞き流せなかった。
アルマリアの目が、ほんの少しだけ鋭くなる。
「カミナギ・ユウリの使う降霊術について知ってる事を教えてほしいんだ」
「俺が知ってることを?」
「そうだ」
アルマリアはそう言うと、部屋の床へ視線を落とした。
次の瞬間。
淡い光が走り、三重の魔法陣が床に浮かび上がった。
「何をする気だ!!」
アンディが反射的に立ち上がる。
「安心しな、何も起きやしない」
アルマリアは平然としていた。
三重魔法陣を見つめたまま、指先をわずかに動かす。
「理論に間違いは無い……」
魔法陣が光り輝く。
しかし――
光が急速に弱まり、魔法陣は弾けるように消えた。
「……だが、何も起こらない」
後には、魔力の残滓だけがキラキラと漂っている。
「その魔法陣……何で先生が……」
「学院で教える降霊術とは根本的に違うみたい」
「何か知らない?」
アンディは口を閉ざす。
アルマリアは残滓を目で追いながら、まるで珍しい玩具を眺める子供のように呟いた。
「そもそも降霊術ってのは破格でね」
その声音が、先ほどまでとは少し違っていた。
眠たげな表情は変わらない。
けれど、言葉だけが少しずつ熱を帯びていく。
「通常、魔法によって質量を伴う現象を引き起こすには膨大な魔力を必要とする」
「知ってますよ」
アンディは話題を逸らすように話に割り込んでいた。
「例えば、ゼロから石の塊を生成するなんて事は魔力効率が悪いと言われています」
先ほどまでの警戒心が、ほんの少しだけ薄れている。
「他には、魔法障壁に比べて物理障壁の方が難しいのもそれが理由ですね」
「模範的な解答。流石だな」
アルマリアの口元が僅かに緩んだ。
教師として生徒を褒める。
その仕草だけを見れば、学院にいる時と何も変わらない。
「——それに比べて降霊術は、あの質量を破格の魔力コストで長時間維持する事ができる。って事ですか?」
「そんなところだ」
「何の関係があるんですか?」
アンディは身を乗り出した。
「だって、面白いだろ?」
「面白いって……それだけ?」
思わず呆れた声が出る。
アルマリアは少し考えるように目を伏せた。
「十分じゃないか」
そして、顔を上げる。
「人を動かす理由としては。少なくとも私にとって、未知への探究心というのはこの上無い動機になる」
その瞬間だけ。
眠たげだった紫色の瞳が、はっきりと輝いて見えた。
「何故こんな事が可能なのか」
アルマリアは指を一本立てる。
「質量を生み出す際に必要なはずの魔力の代替となる物は?」
もう一本。
「魂が肩代わりしているとすれば、その魂とは何なのか……」
問いを重ねるたび、声音に熱がこもっていく。
「分からない事だらけだ」
アルマリアは楽しそうだった。
「しかしだ、栄華を誇る魔導文明の最先端である魔法学院でさえ積極的に研究しようとしない」
そこで一度、言葉を切る。
「これ以上、降霊術を発展させる必要など無いと言わんばかりに、今ある『完成された降霊術』をただ教えるだけ」
「……」
アンディは黙って聞いていた。
「有り得ない」
アルマリアの声から、初めて笑みが消えた。
「絶対におかしい」
その目が、まっすぐアンディを見る。
「そこにきて、カミナギ・ユウリが使った降霊術だ」
「……ユウリ」
アンディの表情が変わる。
アルマリアはそれを見逃さなかった。
「私の勘は正しかった。王国は隠してる」
「それが何なのか、何を隠してるのか……私は知りたいんだよ」
静かな声だった。
だが、その言葉には強い執着が滲んでいた。
「教師になったのも、教団を作ったのも、手段であって目的じゃ無い」
「……」
アンディは腕を組む。
アルマリアの話には、確かに筋が通っている。
少なくとも、ただユウリの力を奪おうとしている連中の話には聞こえなかった。
だが――。
「仮にそうだとして……」
アンディはアルマリアを睨む。
「あの力を手に入れたらどうする?」
アルマリアは答えない。
「力を盾にして、無茶苦茶な事だってできるかもしれない」
まさに今回、アンディは無理矢理ここに連れてこられてきた。
それが何よりの証拠だと言わんばかりに、詰め寄る。
アルマリアはしばらくアンディの目を見つめていた。
やがて、ふっと息を吐く。
「勘違いするなよ」
その声には、先ほどまでの研究者としての熱とは違う、妙な落ち着きがあった。
「今の戦力でも、私達がその気になればこの国だって相手取れる」
アンディの眉が動く。
「一地方くらい掠め取る事くらいできるだろう」
「……そんなことを」
「ただね」
アルマリアはそこで言葉を切った。
そして、ほんの少しだけ笑う。
「私はこの国が気に入っているんだ」
「……は?」
「出来れば同じ国の人間として、仲睦まじくやっていくのが、あくまで理想なのさ」
あまりにも穏やかな口調だった。
だからこそ、アンディは返す言葉を失った。
「しかしそうだな」
アルマリアは机の上に頬杖をつく。
「あの力を手に入れたら……」
眠たげな紫色の瞳が、アンディを捉える。
「使えるカードがひとつ増える」
それだけのことだと言うように、アルマリアは小さく笑った。
「まだ夜は長い。コーヒーを淹れてこよう」
そう言い残すとアルマリアは部屋を出た。
◇
数分後。
再び現れたアルマリアの手には、長方形の箱があった。
その上には、香り立つ黒い液体の入ったピッチャーと、マグカップが二つ乗っている。
「お前、魔力不足で悩んでいるらしいな」
アルマリアは梟の印が描かれたマグカップに、コーヒーを注いだ。
「別に……っていうか、何で知ってるんだよ」
「さて、誰から聞いたのだったか」
とぼけたように答えながら、アルマリアは箱を机に置いた。トレー代わりにしていたそれを開くと、中から上質な紙の束を取り出す。
「読んでみろ」
放り出された紙束を、アンディは受け取った。
ずいぶんとぞんざいな扱いだ。
表紙には、流麗な文字で題名が記されていた。
――自然魔力変換理論。
「論文ですか?」
「学生時代に私が書いたものだ」
アルマリアはコーヒーを一口飲む。
「頭の硬い学院の教師たちには理解できなかったようでな。この論文が世に出ることはなかったが」
アンディは紙面に目を落とした。
数式。魔法陣の図解。見慣れない専門用語。
ざっと目を通してみたものの、結論らしき部分を除けば、何ひとつ理解できそうにない。
「自然に満ちている魔力を利用することができる?」
「そういうことだ」
「……これ、魔力を生み出す魔法ってことですか?」
「正確には、周囲に漂う魔力を取り込み、魔法に利用する。自分の魔力だけに頼る必要がなくなるわけだ」
アンディは論文を見下ろした。
もし本当なら、願ってもない話だった。
魔力量の少なさは、ずっと自分につきまとってきた問題だ。
大魔法を使いたくて今の学部を選んだ。けれど、どれだけ工夫を重ねても、魔力の限界だけはどうにもならない。
その壁を越えられるかもしれない。
「無限の魔力が手に入るってことか」
「無限じゃないけどな」
アルマリアは、どこか面白がるように口元を緩めた。
「さあ、どうする?」
アンディは訝しげに顔を上げた。
「……どうして俺に?」
「与えよ、さらば与えられん……ってな」
「前文明遺物の引用か」
断片的に残る前文明の記録。
確か、ある宗教の聖書に記された一節だった。
「博識だな」
「魔法を極めようとすれば当然です」
「で、俺に何を与えろって?」
「あの降霊術についてお前の知っていることを、だな」
「良い言葉だと思わない?ある意味この世の真理だね」
「誘拐しておいて何を言ってるんだ」
「ああ?」
視線だけで気圧される。
アンディは小さく息を吐き、再び論文へ目を落とした。
これを教えたからといってアルマリアが何かを失うわけではないし、自分にとってマイナスになる事もない。
彼女の言う通りなのかもしれない。
であるなら――。
この理論が本物なら、手に入れない理由はなかった。
すると今度は、アルマリアが箱の中から小さな袋を取り出した。
箱を裏返して机に置き、袋の中身をその上にぶちまける。
細工の施された大小様々な駒が、カラカラと音を立てて転がった。
箱だと思っていたものは、蝶番で真ん中から折り畳まれた戦棋盤だった。
「まあ、ゆっくり考えるといい。ルールは分かる?」
戦棋。
王国に古くから伝わるボードゲームで、九かける九の盤上で、役割の異なる駒を交互に動かして勝敗を決める。
アンディは昔から、このゲームには覚えがあった。
「分かります」
手慣れた様子で自陣の駒を並べていく。
(未発表の魔術論文か……)
駒を置きながら、アルマリアの言葉を反芻する。
確かに、論文を読むだけなら損はない。
彼女の理論が正しいかどうか、自分で確かめることもできる。
だが、彼女に協力することは……。
アンディは最後の駒を置いた。
「いいね。お前が先攻でいいよ」
アルマリアが盤面を覗き込む。
アンディは迷わず一手目を指した。
————
戦棋が始まってから、どれほどの時間が経っただろう。
盤上では駒が行き交い、時折、木製の駒が盤を打つ乾いた音が響いた。
アンディは相手の手を読みながら、論文のことを考えていた。
周囲に漂う魔力を利用する。
言葉にすれば簡単だが、実際にどうやって取り込むのか。
そもそも、目に見えないものをどうやって感知するのか。その方法についても、論文には理論が記されているようだ。
だが、理論を理解することと、実際に魔法を使えることは別。ましてや、場所によって魔力の質が異なるという記述まである。
環境に合わせて術式を調整しなければならないらしい。
簡単に習得できるものではないだろう。
それでも——。
アンディは盤上の駒を進めた。
魔力不足を補える可能性があるのなら、試してみたい。
アルマリアの思惑が何であれ、それは変わらなかった。
彼女を信用する必要はない。
この施設から出ることを諦めたわけでもない。
ただ、目の前にある知識を見過ごすことはできなかった。
ふと顔を上げると、アルマリアがこちらを見ていた。
「何だよ」
「いや。なかなかやるなと思っただけ」
「そっちこそ」
アンディは盤面に視線を戻す。
アルマリアの駒は、こちらの守りを崩すように進んでいた。
油断していると、あっという間に詰まされそうだ。
……やっぱり、ただ者じゃない。
盤上の駒を見つめながら、アンディは次の一手を考えた。
◇
「参りました」
負けた。
気付いた時にはもう挽回する手は残されていなかった。
その時。
施設内に、時を知らせる梟の鳴き声が響いた。
「もうこんな時間か。それじゃあ、私はこれで」
アルマリアは席を立つ。
アンディは論文を手元に置いたまま、彼女を見上げた。
「アルマリア先生」
「なんだ」
「この論文、しばらくお借りします」
「もちろん」
あっさりとした返事だった。
アンディの中では、もう答えは出ていた。
大魔法が使いたくて今の学部に来たのに、結局やることは理論の勉強かとアンディは苦笑しながら、まだ一口も飲んでいなかったコーヒーを口にした。
「熱っ」
思わずマグカップを離す。
表面に描かれた梟を、しばらく見つめる。
何故か、その顔が妙に腹立たしかった。
「……」
アンディは小さく息を吐き、机の上の論文へ目を向けた。
自然魔力変換理論。
「……これ、本当に使えるんだろうな」
返事はない。
ただ、マグカップの梟が笑っているように見えた。
施設の外では、朝日が昇っていた。
【設定補足:前文明について】
本作に登場する「前文明」は、現実の地球そのものではありません。現代の地球に似た歴史や文化を持ちながらも、魔法が存在する、いわばパラレルワールドの地球です。
読者の皆様がイメージしやすいよう、作中に登場する神話や宗教、遺物などには、現実の地球に存在するものをモチーフとして取り入れています。
前文明の記録は、考古学の研究対象や娯楽の題材となっているほか、失われた知識や古代魔法の手がかりを求めて研究されています。




