58話 忍び寄る梟
アンディはこの日も放課後の特訓に明け暮れていた。
日が短くなった演習場はもう薄暗い。
「また明日」
今日もそう言って、ユウリと分かれて一人で寮へと戻っていた。
冬期休暇を目前に控えた学院は、どこか浮ついた空気に包まれている。
すれ違う生徒たちも、休暇の予定について話している様子だった。
「……冬休みか」
アンディも、ぼんやりとそんなことを考えながら歩いていた。
ユウリが学院に戻ってきてから、一週間ほどが経過した。
アンディ自身も、ようやく肩の力が抜けてきたような気がしていた。
(……あいつは故郷の辺境に帰るのかな?)
「明日聞いてみよう」
独り言を呟きながら、自室の前までやってくる。
扉を開ける。
「今日も疲れたー」
返事はない。
当然だ。
一人部屋なのだから。
部屋の中へ入る。
いつもと変わらない。
変わったことと言えば冬になって、日がすっかり短くなった事くらいか。
アンディは何気なく照明へ手を伸ばした。
カチッ。
部屋が明るくなる。
「お疲れ様」
「うわっ!」
突然の声にアンディは飛び上がった。
「だ、誰だ!?」
一歩後ずさる。
勉強用の机と椅子。
そこに、学院の制服とは異なるローブ姿の人物が堂々と座っていた。
顔はフードに隠れており、そのフードには耳のようなものが付いている。
「くくく、驚かせてしまったね」
(女の声……ってかなんで僕の部屋に)
アンディは驚きを押し殺し身構える。
限りなくゼロに近い残存魔力を計算。
「勝手に人の部屋に入るなよ!」
「まあまあ。落ち着いて」
「落ち着けるか!」
相手は余裕を崩さない。
それが余計に不気味だった。
「……誰だ、お前」
「そうだ、自己紹介がまだだったね」
女はフードから顔を出し、
「私はミネルヴァ、ミネルヴァ・アウレリア。この学院のOGさ」
小声で、卒業してないけど。と付け加える。
「つまり貴方の先輩って事!」
「……ミネルヴァ」
聞き覚えは無かった。
「僕に何の用だ」
「貴方に聞きたい事があってね」
女は穏やかに笑いながら、
「ちょっとツラ貸してちょーだい」
その瞬間、場の空気が一変した。
アンディの後ろから、もう一人の人物が姿を現す。
ミネルヴァと名乗る女と同じ特徴的なローブ姿。フードを深くかぶっており顔はよく見えない。
「いつの間に?!」
アンディは後ろの人物から逃げるように前に踏み込む。
逃げ道を確認する。
すぐ後ろの扉はもう一人に塞がれている——窓しかない。
「安心してくれ。君に危害を加えるつもりはない」
若い男の声。
「信じられるか!」
魔力を練りながら、窓に向かって駆け出した。
アンディの額に汗が浮かぶ。
「エアシュート」
圧縮された空気の塊が一直線に窓に向かい、
甲高い音を立てて窓ガラスが吹き飛んだ。
「危害を加える気は無いが——逃げるなら話は別だ!」
男は深く身を沈め、爆発的な瞬発力でその場から消えた。
窓から飛び出そうとするアンディを羽交締めにして拘束する。
ここで初めて女が椅子から立ち上がった。
「どうして逃げるの?」
「おとなしく付いてくれば痛い思いしなくて済むのに」
アンディの顔に手をかざし、呪文を唱えだす。
(昏睡魔法か……レジスト……無理……)
薄れゆく意識の中、最後の抵抗とばかりに悪態をついた。
「こんな事してタダで済むと思うなよ……」
女はそんな抵抗を歯牙もかけずに、浮ついた様子で楽しそうにしている。
「安心して。君、明日から少し早い冬休みだから」
どこかズレた返答。
「ちょうど良い、ここから帰るよ——ゼノン」
「待っててくださいねお姉様、悪役ムーブ楽しい〜」
その言葉を最後に、アンディの意識は途切れる。
すっかり暗くなった学院の寮棟。
その一室の窓から二つの影が飛び出した。
まるで、梟のように。
◇
ユウリは一人、自室でくつろいでいた。
「……帰ってきたんだな」
窓の外を見る。
学院の明かりが、静かな夜の中に点々と浮かんでいる。
ほんの少し前までは、自分がここへ戻ってこられるのかさえ分からなかった。
魔海での出来事。
ホノカを顕現させたこと。
その後、自分がどうなったのか。
気がつけば、知らない場所にいた。
そこには王族や公爵がいて、王国の真の歴史や降霊術について聞かされる。
そして、シオンさんにも会う事ができた。
それから数日、学院へ戻ってきた。
「……いろいろあったな」
長かったような、短かったような。
そんな日々だった。
でも。
今こうして自分の部屋にいる。
明日になれば、また教室に行く。
皆と一緒に授業を受けて。
リナやクラスメイトたちと話して。
放課後になれば、また演習場でアンディと訓練をする。
「……普通の日常って、こんな感じだったな」
小さく笑う。
以前は、当たり前だと思っていた。
教室で友達と話すこと。
授業を受けること。
誰かと一緒に帰ること。
そんな何気ない時間が、今はとても大切に思える。
そして。
その中には、リナもいる。
「……リナ」
思わず呟いた名前。
いつの間にか、心の大部分を占めるようになった人。
魔海では、自分の安全よりも他者を助けるために行動して……それがきっかけでホノカが現れた。
学院に戻ってきた時は、真っ先に駆け寄ってきてくれた。
抱きしめられた時の温かさ。
少し震えた声。
あの時のことを思い出すと、今でも胸が少し熱くなる。
「……会いたかった、か」
あの言葉が、何度も頭の中に蘇る。
自分も同じだった。
もう一度、みんなに会いたかった。
そして。
誰よりも、リナに会いたかった。
「……明日も会えるんだよな」
そんなことを考えている自分が、少しおかしくなって。
ユウリは苦笑した。
ベッドの脇に置いていた御守りを手に取る。
小さな御守り。
そこには、あの時の炎が宿っている。
ホノカ……神話級と呼ばれる魂だ。
あの魔海で、自分たちを救ってくれた存在。
「……ホノカ」
呼びかけてみる。
返事はない。
「聞こえてる?」
やはり、何も起こらない。
ユウリは御守りを両手で包む。
「……この前は、ありがとう」
静かな部屋に、自分の声だけが響く。
「助けてくれて」
あの時自分が何をしたのかは、今でもよく分からない。
ただ、みんなを守りたかった。
その願いに、ホノカが応えてくれた。
「……俺、ちゃんとお礼を言えてなかったから」
目を閉じる。
意識を集中し、魂を探る。
数ある魂の中で一際強大な存在。
そして、御守りの中に宿る者。
「ホノカ」
もう一度。
名前を呼ぶ。
「……話がしたい」
その瞬間。
世界が、暗転した。
「……え?」
音が消える。
部屋の感覚が遠ざかっていく。
身体がなくなったような、不思議な感覚。
そして。
『……ユウリ』
声がした。
「……ホノカ?」
『そう』
どこから聞こえているのか分からない。
それでも。
確かに、そこにいる。
「よかった……」
ユウリは、ほっと息を吐いた。
「この前は、本当にありがとう」
「みんなを助けてくれた」
『あなたが、そう願ったから』
「俺が……?」
『守りたい、と』
その言葉に、ユウリは黙り込む。
魔海での光景が蘇る。
猿の魔影に追い詰められるクラスメイトと、それを庇う教師と騎士団。
最後の力を振り絞って戦う姿。
燃え上がる炎。
「……俺は、ただ願うだけで何もできなかった」
『違うよ』
「え?」
『ユウリは、守ろうとしてた』
優しい声だった。
『最後まで諦めずに』
ユウリは、少しだけ笑った。
「……ありがとう」
それから、しばらく二人は話をした。
ピクルのこと。
魂のこと。
そして、降霊術のこと。
けれど。
ユウリには、まだ分からないことばかりだった。
ホノカが何者なのか。
なぜ自分に応えてくれるのか。
なぜ、あれほどの力を持っているのか。
答えは聞けなかった。
いや。
もしかすると。
ホノカ自身も、まだ答えを持っていないのかもしれない。
「……また、力を貸してくれる?」
『必要なら』
「そっか」
少し安心する。
けれど。
その直後。
ホノカの声が、ほんの少しだけ変わった。
『ユウリ』
「ん?」
『謝っておくね』
間があった。
『降霊術失敗の原因はワタシ』
「……え?」
『あの方法では魂が傷ついてしまうから』
『だから、使わないでほしかった』
ユウリは黙ってしまう。
意味が分からない。
「……どういうこと?」
返事はない。
代わりに。
終わりの気配が近づいてくる。
『ユウリ』
『忘れないで』
その声を最後に。
ユウリの意識は、深い眠りへと落ちていった。
◇
「……朝?」
ユウリは目を開けた。
カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。
「……寝ちゃったのか」
身体を起こす。
御守りは、手の中にあった。
「ホノカ……応えてくれてありがとう」
そう呟いて、御守りを首にかけベッドから降りて朝の支度を整える。
制服に着替え、鞄を持つ。
「行こうか」
「ピィ!」
小さな相棒が嬉しそうに鳴いた。
扉を開けると冷たい冬の空気が、廊下から流れ込んでくる。
ユウリは一歩、外へ出た。
今日も授業がある。
今日も友達に会える。
今日も、いつもの一日が始まる。




