57話 セオドール・グランツ
ユウリが学院へ戻ってきた翌日の降霊術学科職員室。
窓の外では生徒達の声が聞こえる。
セオドールは一人、机に肘をついていた。
手元には魔海異変の報告書。
だが視線は文字を追っていない。
思い出していた。
あの日の光景を……。
◇
魔影を一瞬で無に帰す炎の顕現。
意思を持った炎のような"何か"が全てを浄化する。
存在の格、魂の格、全てが桁違いだった。
その規模に対して少なすぎる焼け焦げた跡。
得体の知れない圧倒的な力を目の当たりにしてまず感じた事は、助かったという安堵でも、感謝でも無く――恐怖だった。
騎士団ですら近寄ることを躊躇う事象。
はじめは、追い詰められた精神が見せた幻覚かと思った。
だが、全てが終わった後でようやく思考が戻った。
あれは人間が起こせる規模ではない。
少なくとも学生では。
まして一年生など。
「信じられませんな」
隣にいた教師が呟いた。
セオドールも同感だった。
そして。
騎士団に担がれるユウリを見た。
意識はない。
全身傷だらけ、だが確かに生きていた。
その先はよく覚えていない。
気付けば王都の学院の前だった。
そして次の日。
騎士団上層部の到着。
続いて王家直属の使者。
さらに、王国の英雄アシュトレイまで現れた。
そこでセオドールは悟った。
これは学院だけで扱える問題ではない。
何かがある。
王国上層部しか知らない何かが。
————
それから数日後。
降霊術学科主任室。
重たい沈黙が部屋を満たしていた。
窓の外では、冬の学院を行き交う生徒たちの声が聞こえる。
その明るさとは対照的に、室内には数枚の書類が並べられていた。
魔海異変に関する報告書。
その中央には、王城の封蝋が押された一枚の書面が置かれている。
大きな机を挟んで、学科主任エルド。
来客用のソファにセオドール、アルマリア、ヴェルナ、ローディス、グレインが座っていた。
「……以上だ」
エルドが書類を閉じる。
「王城からの通達では、今回の魔海異変に関する情報は学院内でも必要以上に共有しないようにとのことだ」
「つまり、箝口令ですか」
ローディスが淡々と尋ねる。
「厳密には違う。だが、学生への説明については学院側で判断せず、王国から指定された内容だけを伝えることになっている」
「随分と厳重ですね」
セオドールが小さく呟いた。
机の上に置かれた報告書へ視線を落とす。
そこには、あの日、自分が見た光景についても記されている。
炎。
炎に飲まれて消えた魔影。
そして――ユウリ・カミナギ。
「問題は……」
ヴェルナが腕を組んだ。
「その生徒を今後どうするか、でしょう」
エルドが頷く。
「そうだ」
「私は危険だと思います」
迷いのない声だった。
「魔海で何が起きたにせよ、学生一人があれほどの力を発現させた。しかも、我々にはその原理すら分からない」
ヴェルナの視線がセオドールへ向く。
「教師として、放置できる話ではないでしょう」
「放置するつもりはありません」
セオドールが答える。
「ならば監視を強化すべきです」
「それも必要でしょう」
「なら――」
「ですが」
セオドールは静かに言葉を重ねた。
「危険だからという理由だけで、彼を学院から切り離すのは反対です」
ヴェルナが眉を寄せる。
「なぜです?」
「彼自身が、あの力を理解していないからです」
部屋が静かになる。
「制御できていない力ほど危険なものはない。ならば、本人から取り上げれば安全になる……という話ではないでしょう」
「そもそも取り上げることができるのかすら分からない」
「確かに」
ローディスが頷いた。
「使用条件も、発動条件も、本人の意思によるものなのかすら不明です」
「彼があの力に溺れる事が無いように導いてあげる事が教育者としての努めだと思います」
報告書を指先で叩く。
「記録上、ユウリ・カミナギは明確な術式を使用していない」
「では、どうやって発現させた?」
「分かりません」
「それが問題なんです」
ヴェルナが言った。
「次に同じ状況になった時、本人が止められる保証は?」
「ありません」
「なら危険でしょう」
「それも事実です」
セオドールは否定しなかった。
あの炎を思い出す。
魔影を消し去った力。
あれは、規格外などという言葉では足りない。
それでも――。
「ですが」
セオドールはゆっくりと顔を上げた。
「私は、あの場で彼が何をしようとしていたのかを見ています」
誰も口を挟まない。
「彼は、誰かを傷つけるために力を使ったわけではない」
「……」
「守ろうとしていたんです」
アルマリアが静かに目を伏せた。
「私も同意見だ」
その言葉に、セオドールがわずかに目を向ける。
「……まぁ、今回の件について何か分かっているわけじゃないけどな、あいつなら大丈夫だろ」
アルマリアは穏やかな声で続けた。
「少し無茶をするところもあるが、それは全て——仲間のためだ」
「それで倒れてしまえば元も子もない」
ヴェルナが言う。
「そうかもな」
アルマリアは苦笑した。
「だがその話はまた別の問題だ」
「逆に考えてみろ。あの力を持っているのがカミナギ・ユウリだったからこそ、誰も傷つけずに済んだのかもしれない」
「それは……」
ヴェルナが言葉に詰まる。
すると、今まで黙っていたグレインが口を開いた。
「本人は?」
「何です?」
ヴェルナが聞き返す。
「本人は、何と言ってるんだ」
「彼、カミナギ・ユウリは王国の施設で療養中なのだが……
」
エルドが答えた。
「詳しい現状については、我々にも伝えられていない。命に別状は無いそうだが」
「なら、本人に聞けばいい」
あまりにも簡単な答えだった。
「……それだけですか?」
ヴェルナが呆れたように言う。
「それだけだ」
グレインは肩をすくめる。
「分からないものをいくら考えても仕方ない。本人が何を見て、何を考えて、何を恐れているのか。それを聞いてから決めればいい」
ローディスが少し考える。
「……それで大丈夫でしょうか」
「何が不満なんだ?」
「カミナギ君本人はあの力がどれほどのものか分かっていない可能性がある」
「もし仮に全て理解しているとしても、嘘をつく可能性だってある。彼の話を聞いたところで議論の足しになるとは思えないのです」
「……まあ、本人に聞いたところで何も分からない可能性はあるか」
グレインがかぶりを振った。
ヴェルナが口を開く。
「しかし、そもそも王国が彼を学院に戻すつもりがなかった場合は?」
「その場合は、我々にはどうすることもできないでしょう。残念ですがその時は……」
セオドールはそこで言葉を切った。
重たい沈黙が部屋を支配する。
やがて沈黙を破るようにエルドが口を開く。
「生徒の身柄が王国にあること」
「今回、国は明らかに通常とは違う対応を取っている」
机の上の封蝋を見る。
「騎士団上層部が動き、その後すぐに王家直属の使者が来た。さらにアシュトレイ卿まで現れた」
「……はい」
セオドールが答える。
「あれは学院生一人を療養させるための動きには見えませんでした」
「私もそう思います」
ローディスが頷く。
「王国は、我々が把握している以上の情報を持っている」
誰も否定しなかった。
それだけは全員が感じていた。
「いったい何を隠してるんだろうね」
アルマリアが呟く。
「さあな」
すかさずグレインが答える。
「知ってる奴に聞けばいい」
「答える訳無いだろ」
紫の瞳が天を仰ぐ。
「聞くだけならタダだろうが」
「……」
エルドが苦笑する。
「王国に対して、学院が勝手に探りを入れるわけにはいかん」
「そうでしょうな」
ローディスも苦笑した。
しばらくして、セオドールが口を開く。
「少なくとも、カミナギを学院から排除する必要はないと思います」
全員の視線が集まる。
「王国が何を考えているのかは分かりません。しかし、彼が今後も学院で学ぶことを許されるのであれば、私はこれまで通り生徒として接するべきだと思います」
「監視は?」
ヴェルナが尋ねる。
「もちろん必要です」
即答だった。
「ただし、監視するためだけの教師にはなりません」
セオドールは静かに続ける。
「彼は私の受け持つ生徒です」
その言葉に、エルドが少しだけ目を細めた。
「……そうか」
そして一度だけ頷いた。
「ならば、学院としての方針を決めよう」
書類を手元に引き寄せる。
「ユウリ・カミナギは、これまで通り学院生として扱う」
「ただし、今回の件については王国の指示に従い、学生への情報共有は行わない」
「本人への事情聴取については、王国側の許可がある範囲で行う」
「そして――」
エルドがセオドールを見る。
「必要な場合は、君が彼の指導と監督を担当してくれ」
「承知しました」
セオドールは立ち上がり、一礼した。
窓の外から、遠く生徒たちの笑い声が聞こえる。
その声は、いつもと何も変わらない。
だが。
この部屋にいる誰もが知っていた。
昨日までと同じ学院生活が、この先も続くとは限らない。
そして、その中心にいる少年が――
自分たちの想像を遥かに超えた何かを抱えていることも。
「……本人が帰ってきたら、一度ゆっくり話を聞こう」
エルドがそう言って、会議を終えた。
————
そしてユウリが学院に帰還した日。
降霊術学科主任室。
湯気の立つ紅茶。
向かい合う二人と一人。
セオドールとオーラフの他に、学科主任のエルド。
「……今回の件について、君たちが知っておくべきことは以上だ」
沈黙。
セオドールは目を閉じる。
「信じ難い話です」
「当然だ」
オーラフは頷く。
「儂も初めて聞かされた時は同じ反応だったよ」
机の上には、王城の封蝋が押された書類。
セオドールは静かに口を開く。
「つまり彼は……」
オーラフは首を横に振る。
「そこから先は知らなくてよい」
「それは学院が背負うべき役目ではない」
「知れば、君も背負うことになる」
再び沈黙。
やがてオーラフは立ち上がる。
「ユウリ君は学院に任せる事になる」
「頼めるか」
セオドールは立ち上がり、一礼する。
「教師として、お預かりします」
オーラフは満足そうに頷き、部屋を後にしたのだった。
◇
セオドールは小さく息を吐いた。
「……ユウリ・カミナギ」
規格外の顕現体。
常識外れの魔力量。
そして魔海で起きた現象。
どれも説明がつかない。
教師として思う。
この力は危険、あまりにも未知すぎる。
だが、同時に。
あの少年が力に溺れる姿も想像できなかった。
授業中の態度。
仲間との接し方。
彼が「ピクル」と呼ぶ、小さな顕現体を見つめる目。
少なくとも、兵器として力を振るう人間には見えない。
「あの時、様子を見るという判断をした……まさか、こんなことになるとはな……」
ぽつりと漏らす。
危険だから排除する――それだけで済む話なら、悩む必要もない。
だが彼は学院の生徒だ。
自分の教え子だ。
窓の外では、ユウリたちの笑い声が微かに聞こえていた。
セオドールは静かに報告書を閉じる。
「せめて卒業までは——」
「教師として、責任を持って預かろう」
◇
放課後の魔法学院演習場。
昨日降った雪が、まだ日陰に白く残っている。
吐く息は白く、冷たい空気が頬を刺す。
その中で、アンディは肩で息をしながら魔法の特訓を続けていた。
「はぁ……はぁ……ラスト一発」
「ファイヤーボール!!」
掌から放たれた火球が一直線に飛ぶ。
魔導計測標的へ命中。
炎が標的を包み込み、冬の演習場に陽炎が揺らめいた。
「見たか、リナ」
ユウリが隣に座るリナの方を向く。
「うん、確実に魔力が上がってる」
パチパチと手を叩くリナ。
「半年前はこんなこと想像できなかったな……」
少し離れたところでピクルが、雪の匂いを嗅いだり触ったりして遊んでいるのが見える。
「うん」
「でも毎日頑張ってるんだから当たり前だよね!きっと来年には大魔法を使えるようになってるよ」
「ああ、そうだな」
アンディが今にも倒れそうな足取りで近づいてくる。
「はぁ……はぁ……聞こえてたぞ」
「僕なんかまだまださ」
「聞いたよユウリ……お前、降霊術でとんでもないものを呼び出したみたいだな」
額の汗を拭いながら苦笑する。
「あんまり目立たないようにするんじゃ無かったのか?」
「……仕方なかったんだ」
ユウリが素直に言う。
「みんなを助けるためか?」
ユウリは少しだけ目を伏せた。
「……そうだよ」
「それでお前が倒れたらどうするんだよ」
「僕たちがどれだけ心配したか……分かってんのか?」
「まあまあ……帰って来れたんだからいいじゃない」
リナが苦笑する。
「ところでユウリ、お前学院にいない間どこで何をしてたんだ?」
「それは……」
ユウリは言葉に詰まる。
どこまで話していいものか。
オーラフの言葉が頭をよぎった。
「夢で見た術式、あれが関係してるんだろ?」
「危険すぎて封印された術式……俺はそんなところだと思ってる」
視線は遠く、ピクルの方に向けられている。
リナは雪遊びをしているピクルへ目を向けた。
「え、そうなの?」
「この子、危険には見えないけど……」
「いや、僕は炎の顕現の事を言ってるんだ」
「魔影の群れを一瞬で消し去ったって話は聞いてる。そんな力なら、王国が何か動くのも当然だと思う」
「あの炎だって危険なんかじゃない……あの時、私を助けてくれたもの。ユウリの御守り、その中にいるんでしょ?」
ユウリは一瞬驚いた様子で、胸に手を当てる。
懐から御守りを取り出すと、深く息を吐く。
そして意を決したように話し出す。
「この御守りは、王都に出てくる時に故郷の村で渡されたものなんだ。ホノカっていう存在が宿っている」
リナとアンディが話の続きを促すように黙った。
「何から話したら良いか……」
ユウリは小さく苦笑した。
「全部は話せない。でも、聞いてくれ」
「前に言ったろ、ピクルはそんなに強い魂じゃ無いって。でもホノカは違う——」
遠くでピクルの耳がぴょんと動く。
一瞬こちらを振り向くと、何事もなかったように雪遊びへ戻っていった。
ユウリは御守りへ視線を落とした。
「この御守りだけは最初から少し違ってた」
「最初は夢だと思ってた。まさか御守りに宿る魂と会話できるなんてな」
「でも何度か声を聞いているうちに、本当にそこにいるんだって分かってきた」
リナもアンディも口を挟まない。
静かに続きを待っている。
「たぶんだけど……守護神みたいな存在なんじゃないかな」
故郷を懐かしむように、御守りをそっと握る。
「確かにホノカの力は絶大だ。だけど……自分たちのことを見守ってくれている存在なんだと思う」
「だから、魔海でみんなを守りたいって願った時……応えてくれたんだと思う」
あの炎を思い出す。
暖かかった。
恐ろしいほどの力だったはずなのに、不思議と恐怖は感じなかった。
「その後のことは、正直ほとんど覚えてない」
アンディは腕を組み、小さく考え込む。
「つまり……本人も制御できていないのか」
ユウリは静かに頷いた。
「じゃあ、王国はその話を聞くためにお前を?」
「うん、そうなんだけど……そこから先はまだ話せない」
「ただ、オーラフさん達はホノカの事を知っているようだった。もちろんあの降霊術の事も……」
「そうか」
アンディはそれ以上は聞かなかった。
話せない理由があることだけは理解したのだろう。
「ピクルは平気なの?オーラフ様と一緒に帰ってきたじゃない?」
リナが心配そうに尋ねる。
「ああ、ピクルは問題無いそうだ」
まるで噂をされたことに気付いたかのように、雪遊びに飽きたピクルが駆け寄ってくる。
白い雪を体につけたまま、ユウリの足元まで来ると得意げに胸を張った。
「ピィ!」
「ピクルは良くて、ホノカはだめ……」
アンディが腕を組み、小声でぶつぶつと何か考え込んでいる。
リナがくすりと笑った。
「今日はもう帰りましょ」
「そうだな」
ユウリは御守りをそっと懐へ戻した。
「また明日」
当たり前の別れの言葉。
数日前までは、それすら叶うか分からなかった。
ユウリは小さく笑い、二人の後を追った。




