46話 統率者
似ている――
この歪な存在感は、
以前魔海で遭遇した“首無し”を思い出させた。
足がすくむような重圧。
心臓が跳ね上がる。
本能が警鐘を鳴らしていた。
逃げろ、と。
それでも。
ユウリは唇を噛み、
仲間達へ視線を向けた。
(この気配に、気付いていない?)
「くそッ」
その時。
ヒュゥゥゥ――ンッ!
信号弾の音だ。
さっきよりも近い。
音のする方を見ると、微かに赤色の光が見えた。
「お前ら――」
「先に戻ってろ」
紫色の瞳は霧の奥を見据えている。
魔法陣が足元に光る。
見間違えようが無い。
学院で習った降霊術の魔法陣。
しかし、
現れたのは、身の丈ほども在る大鎌だった。
刃が、
独りでに空中へ浮かび上がる。
まるで生き物のように。
「規格外アバター……なのか?」
アルマリアが片手を上げる。
呼応するように、
大鎌がその手元へ滑り込んだ。
「振り返るな。行け」
「かっこいいですね先生!見直しましたよ!」
「茶化すなガルド」
「早く行くぞ!マリー、まだ走れるか?」
「だい、丈夫、です」
「キャスターは解除して大丈夫だ」
「はい」
駆け出す。
だがユウリは、
一瞬だけ背後へ目を向けた。
霧の中、高速で動く黒い影が見えた。
魔物の断末魔だけが響いた。
「ピピッ!」
ピクルが鋭く鳴いた。
反射的に、
ユウリは身を屈める。
次の瞬間。
横薙ぎの剣閃が、
霧を裂いた。
「どうしたユウリ!」
二足歩行の蜥蜴型魔獣、リザードマンだった。
バックステップで距離を取ると、
迷いなく左右の手に武器を構える。
「敵は一匹か?」
「ピィ」
ピクルが短く鳴く。
「……魔獣まで紛れてるのか」
「リザードマンだ、気をつけろ!」
リザードマンが再度攻撃を仕掛ける。
だが。
ユウリの目には、
その動きがはっきり見えていた。
(遅いな)
左手の短剣で剣筋を逸らし、そのまま懐へ潜り込む。
次いで、右手の短刀が敵の喉元を斬り裂く。
喉を裂いた感触。
足で軽く蹴ると、無抵抗のまま倒れた。
「もう大丈夫だ」
「お、おう」
「ユウリが仲間で良かったぜ」
「悪いな、急いで行こう」
遠く。
森の向こうで、
木々がまとめて吹き飛んだ。
数拍遅れて、爆音が届く。
もう、振り返らない。
騎士団のいる拠点はすぐそこだ。
◇
仮拠点の中からも聞こえる戦闘音は、次第に激しさを増していく。
遠くで何かが爆ぜる音。
地鳴りのような振動が、わずかに床を震わせた。
否応なく状況の厳しさを伝えるその音は、アンヘルの精神を確実に擦り減らしていた。
落ち着かない様子で、崩れた壁の外へ視線を向ける。
「後方ってのは性に合わねえな」
大柄な男が、肩を回しながらぼやく。
整備中の長剣が、鞘の中で小さく鳴った。
「おい、新入り。ソワソワするな」
小隊唯一の女性であるカミラが腕を組んだまま言う。
鋭い視線が、アンヘルへ向けられる。
「わかっています! でも……」
反射的に返した声は、少しだけ上擦っていた。
再び、遠くで轟音。
大地が微かに震える。
「おいミラ、新入りに当たるなよ」
大柄な男が苦笑混じりに口を挟む。
自分の装備を慣れた手つきで確認していた。
「教育です」
カミラは短く返す。
その横顔に感情らしい感情はない。
「仕方無いさ。もどかしいのも分かる。お前もな」
頬に傷のある男が低く笑った。
白髪混じりの髪を掻き上げながら、壁に立てかけていた大盾へ手を置く。
「別にサボってるわけじゃねえんだ。俺たちは後方でドーンと構えてりゃいいんだよ」
その言葉に、小さく笑いが漏れる。
だが。
誰一人として武器から手を離してはいなかった。
その時。
外から複数の足音が近づいてくる。
「……ほら、一班帰ってきたみたいだぞ」
白い霧を纏ったまま、
ラグナ達が要塞跡へ駆け込んでくる。
全員の表情が硬い。
先頭のローディスは足を止めることなく、そのままイグナシオの元へ歩み寄った。
「何があった?」
「ゲンマを確認しました」
「しかも要塞跡地側から出現した」
その一言で、
周囲の騎士達の空気が変わる。
「……帰路側から?」
「はい。一度通った道から」
ローディスが霧の奥を見た。
「霧も異常です。広がる速度が早い」
イグナシオは短く舌打ちした。
「今、副隊長の分隊に周辺を探らせている」
「だが――」
崩れた石壁の向こう、
白く濁る森を睨む。
「学生達も、この状況で戦い続けることはないだろう」
「全員が戻り次第、即帰還する」
直後。
ヒュゥゥゥゥ――ン!!
再び信号弾が空へ打ち上がった。
赤い光が、
霧の中へ滲むように消える。
そして、
それに導かれるように。
「開けろ!」
霧の奥から、複数の人影が飛び込んできた。
「もう一班戻ってきたぞ!」
◇
深い霧の中。
複数の魔物の気配を背に、ユウリは最後尾を走る。
時折り霧の中から飛び出す魔影を、
並走するガルドとレオナルドのアサルト・アーマーが蹴散らしていく。
「見えたぞ! 城壁だ!」
前を走るガルドの歓声が、
ユウリの耳にもはっきり届いた。
白い霧の向こう。
崩れた石壁と、
仮拠点の狼煙が微かに見える。
「ここまで来れば――」
レオナルドが息を吐きかけた、その時。
――轟音。
城壁の向こう側で、
何かが激突する音が響いた。
「なんだ今のは?」
「中はどうなってる?騎士団がいるんじゃ無いのか?」
(行くしか無い)
「止まってる暇はない、中に入るぞ」
――――
旧要塞の中は、乱戦状態だった。
「せっかくここまで来たのに……」
奮闘する騎士団の姿が飛び込んでくる。
自軍の倍以上はいるリザードマンを相手に、
騎士達は一歩も退いていなかった。
剣戟。
怒号。
魔法の閃光。
崩れた石壁の間で、
騎士団が防衛線を維持している。
(リナは――)
ユウリは反射的に周囲を見渡した。
だが、
どこにも見当たらない。
代わりに目に入ったのは、
要塞の一角に集められた学生達だった。
まだ壁の残る場所に、
教師達が陣を敷いている。
ガーディアン・フレームが盾となり、
負傷した学生達を守っていた。
血の匂い。
リザードマンの死骸。
砕けた鱗と血が、
足元に散乱していた。
そして――
その場にも、リナの姿は無かった。
(どうする――)
「ガルド、レオナルド、マリーを頼む」
「先生達の所まで下がれ」
「ユウリは?」
「俺は、騎士団を支援する」
「ああ、ピクルは俺と一緒に行く。サポートが切れるから注意してくれ」
「わかった」
「油断するなよ」
◇
「右だ! 二体抜けるぞ!」
白虎中隊の騎士が怒鳴る。
「アレックスはまだ戻らないのか!」
霧の中から飛び出したリザードマンが、
低い姿勢のまま地を滑るように接近してくる。
槍兵が迎撃。
一体の胸を貫く。
だが。
「っ、まだいる!」
死角。
崩れた石壁の裏から、
もう一体が飛び出した。
剣を振り上げ、
騎士の首へ斬りかかる。
間に合わない。
そう思った瞬間。
銀閃。
リザードマンの腕が宙を舞った。
「――な」
続けざまに、
黒髪の少年が懐へ潜り込む。
短刀が閃く。
喉に刺突を受けたリザードマンは、
声すら上げられず崩れ落ちた。
アンセムが目を見開く。
「学院生……?」
肩には、
マスコットのような小動物。
その周囲には、
淡い魔力光が広がっている。
「手伝います」
ユウリは短く言い、
倒れた魔獣から視線を外した。
「大丈夫ですか」
「あ、ああ……助かった」
騎士は思わず答える。
だが、
驚いていたのはそこではない。
(今の動き……)
速い。
いや、
正確すぎた。
リザードマンの攻撃を見てからではない。
振り抜かれるより先に、
“そこへ来る”と分かっていたような動きだった。
「後ろだ!」
別の騎士の叫び。
霧の奥から、
三体同時に飛び出す。
ユウリの肩の上。
ピクルが鋭く鳴いた。
「ピィッ!」
半透明の障壁が展開される。
飛来した投槍が弾かれた。
「助かる!」
その隙に、
騎士達が体勢を立て直す。
「左を抑えろ!」
「押し返せ!」
怒号。
剣戟。
火花。
混戦の中、
ユウリは霧の奥を睨んでいた。
(……まだいる)
リザードマンだけじゃない。
もっと奥。
霧の向こう側。
強大な“何か”がこちらを見ている。
騎士達が押し返し始めた、その時。
轟音。
要塞の外壁が、内側から砕け散った。
「なっ――」
崩れた石材が吹き飛ぶ。
騎士達が目を見開く。
白い霧の奥。
ゆらりと、
“ソレ”が姿を現した。
一際大きいリザードマンのような魔物。
しかし“ソレ”は、
全体的に影のように暗く、黒いモヤを纏っている。
リザードマンが好んで使う湾曲した剣を両手に携え、双剣がゆっくりとこちらへ向けられる。
それだけで周囲の騎士達が息を呑んだ。
何より。
首から上が――存在しなかった。
イグナシオの表情から、
僅かに笑みが消える。
「総員、警戒を上げろ」
低い声。
だがその一言だけで、
騎士達の空気が変わった。
槍を構える音。
盾を打ち鳴らす音。
誰一人として、
軽口を叩かなくなる。
小隊長イグナシオが前へ出た。
「おいおい、最近の魔影は魔獣を率いるようになったのか?」
腰の剣を抜く。
「少年、下がっていなさい」
「あれは我々が相手をする」
そして、剣を高く掲げる。
「白虎の名に恥じぬ戦いを!」
「「応ッ!!」」
重なる怒声。
騎士達が一斉に武器を構える。
左肩の白銀の中隊章。
牙を剥く白虎の紋章が、
霧の中でも鈍く輝いていた。
その姿はまるで、
魔海に牙を立てる獣の群れそのものだった。
◇
白虎中隊の騎士達が一斉に駆け出す。
盾が前へ。
槍を持った騎士がその後を追う。
統率された動きに、一切の迷いは無い。
「止めろ、バレン!」
激突。
首無しの魔物が振るった双剣が、
騎士の大盾を吹き飛ばした。
「っ!?」
重い。
その場にいた全員が理解する。
今までの魔物とは、
格が違う。
だが。
「怯むなァ!」
イグナシオが踏み込む。
長剣が唸り、
首無しの胴へ斬り込んだ。
火花。
黒い靄が散る。
浅い。
だが確かに通っている。
「囲め!」
左右から槍が突き出される。
連携。
洗練。
まるで一つの生き物のような戦い方だった。
(強い――)
ユウリは息を呑む。
これが、
王国騎士団。
魔海を生き抜いてきた、
本物の実戦部隊。
その時だった。
視界の隅。
霧を裂くように、
空から黒い影が降ってくる。
――上空から何か来る。
空気が軋む。
圧倒的な魔力。
騎士達が反射的に距離を取る。
「なにっ――」
黒い影が、
瓦礫の上へ着地する。
漆黒の大鎌。
黒翼のように広がる魔力。
「はぁ……だる……」
聞き慣れた声。
「アルマリア先生!?」
肩で息をしながら、
アルマリアが大鎌を支えに立っていた。
ローブは所々裂け、
普段の気怠げな態度とは違い、
露骨に消耗している。
「……もう一体いたのか」
アルマリアが吐き捨てるように言う。
その言葉に、
場の空気が凍った。
「は?」
ガルドの顔が引きつる。
「森の方で一体は潰した」
「おかげで魔力がスカスカだ……」
そこでふらつく。
ポーチから取り出した小瓶の液体を一息に飲み干す。
「……まずっ」
そして。
アルマリアは、
そのままユウリへ倒れ込んだ。
「うおっ!?」
「……疲れた」
「休む」
完全に体重を預けてくる。
(なんて軽い)
なぜかリナの顔が脳裏に浮かぶ。
だが。
ユウリは気付いた。
アルマリアの紫の瞳が、
まだ霧の奥を警戒していることに。
「まだ終わってないんですか」
「終わるわけないだろ」
アルマリアが小さく笑う。
その瞬間。
霧の奥から、
無数の足音が響いてきた。
土を踏み鳴らす音。
剣を打ち鳴らす音。
低い唸り声。
それらが混ざり合い、
波のように要塞へ押し寄せてくる。
視界は白い。
だが、
見えないからこそ分かる。
外には、
まだ大量にいる。
ユウリはアルマリアを抱えたまま、教師達のいる方へ向かう。
途中、
崩れた外壁の向こう側が一瞬だけ見えた。
白い霧。
その奥で、
無数の赤い光が揺れている。
リザードマン達の眼光だった。
その数を認識した瞬間、
背筋が冷える。
(……冗談だろ)
まるで、
要塞そのものを呑み込むつもりで集まっているようだった。
そして。
"首無し"リザードマンが、
それら全てを従えるように――
ゆっくりと、歩みを進めた。




